国際法事始め その6

 田岡良一『国際法上の自衛権』(勁草書房)と森肇志『自衛権の基層-国連憲章に至る歴史的展開』を読み終えた。前者は、筆者が京大教授を定年退官する前後5年間の歳月をかけて書き上げた研究生活の仕上げのような著作、後者は、現在は東大教授をつとめる筆者が、東大社研助手となったころからあたためてきたテーマについて約10年の研究成果をまとめた博士論文に加筆・修正を加えた筆者の研究生活の劈頭を飾る著作であり、いずれも読む者の脳髄に軋みを覚えさせるほどの力作である。

 両者共通しているのは、第一次大戦前に、国際法上、自衛権として論じられてきたケースは、いずれも侵略等違法な武力攻撃に対して反撃するという本来的な自衛権とは次元の異なるものであったと整理し、本来的な自衛権が国際法上に登場することになったのは、国際社会で、戦争・武力行使を違法化する取り組みが始まった第一次大戦以後のことであることを明確にしている点である。田岡氏は、「伝統的な自衛権=緊急避難」と「第一次大戦後の新自衛権概念」と分別し、森氏は「治安措置型自衛権」と「防衛戦争型自衛権」と分別しておられる。

 これらの著作の性質からいって、あくまでも原理論的、本質論的分析と展開であるから、ただちに実践的に役立つわけではないのは当然である。しかし、国際法上の自衛権に関する深く掘り下げた分析は、実践的思考のトレーニングとして有益である。

 ただいずれにしても、私は、国際法上の自衛権とは、要するに19世紀から第一次大戦に至る無差別戦争観の時代には単なる外交上のイッシューに過ぎなかった、第一次大戦後は、戦争・武力行使違法化の趨勢に抗い、戦争・武力行使の抜け道作りであったとの感を一層深める結果となってしまった。そうであれば、実践的には、国際法上の自衛権に、戦争・武力行使の歯止めとして現実的な意味を持つように、限定的解釈をして行くことが必要であると思われる。

 さて、ずっと保留していた国連憲章51条所定の「個別的又は集団的自衛の固有の権利」をどう解釈するべきか、私の見解を述べてみよう。

 国連憲章51条の全文をまず見てみよう。

 「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

 ここで、文言上、「集団的自衛権」という表現はなく、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」⇒「この自衛権」とされているに過ぎないことに留意されたい。

 国際法の学説を整理すると、「集団的自衛権」は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」との文言から、「集団的自衛の固有の権利」を抽出して、これを「集団的自衛権」とし、この「集団的自衛権」の意味をめぐって、①自衛権共同行使説、②他国防衛説、③自国防衛説の三説が唱えられている。

 ①説は、武力攻撃を同時に受けた複数の国が、共同して自衛権を行使するのが「集団的自衛権」だという見解で、1950年代に活躍した著名な国際法学者バウエットがこの説を唱えている。この説によれば、「集団的自衛権」とはいっても、たまたま複数の国の自衛権が競合するに過ぎず、なんら従来の自衛権とかわるものではないことになる。

 ②説は「集団的自衛権」とは、文字通り攻撃を受けた他国を防衛するために武力行使に訴える権利であると捉える。「集団的自衛権」の現実を直視した把握である。国際司法裁判所は、1986年、ニカラグア事件判決で、この立場を明らかにしている。もっとも被害国が「武力攻撃を受けたことを宣言すること」と「明白な支援要請をすること」を要件としており、支援国の固有の権利としての「集団的自衛権」の位置づけは著しく弱まっていると評することができる。

 ③説は、密接な関係にある他国が攻撃を受け、それが自国の安全に重大な影響を及ぼすときに武力行使に訴える権利であると説く。かってはこれが多数説であったが、国際司法裁判所の上記判決後は、②説が多数説となっている。

 私は、「集団的自衛権」と構成しつつ、①説のようにレア・ケースを想定した論では説得力がないと思う。もともと国連憲章51条の規定を置くことになったのは、中南米諸国やアラブ連合諸国などの弱小国の異議申し立てに対処するための苦肉の策であったことを考えると、弱小国が、武力攻撃を受け、自力で対処できないときに他国の支援を得られる方途を確保できるようにするためであった。そのように考えると「個別的又は集団的自衛の固有の権利」⇒「この自衛権」との文言は意味深長である。
 こうして、私は、各加盟国は、自衛権を有しており、これを独力で、もしくは他国の支援を求めて行使する固有の権利があると解するのが相当だと考える。つまり「集団的自衛権」ではなく、あくまでも武力攻撃を受けた加盟国自身の自衛権であり、支援国に着目した権利ではないということである。

 こう解することにより、国連による集団的安全保障体制の瓦解を防ぎ、前進させることができるのである。国際司法裁判所の上記判決もこの立場に近いようである。

 従って他国が武力攻撃を受けた場合に、これに反撃する権利(たとえそれが自国に明白な危険があるとしても)を、「集団的自衛権」なる国家固有の国際法上の権利と構成する余地はない。

 さて、安倍政権は、去る7月1日、「集団的自衛権行使容認閣議決定」により、従来の憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権は国際法上の国家固有の権利であるから、憲法上、許容されるとの解釈に踏み込んだ。このような解釈が憲法9条の限界を超えることは言うまでもないことであるが、国際法上も、以上述べたとおり国連憲章の正しい理解に基づくものではなくい。

                                                            (了) 
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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