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外務省では偏りのあるミスター「安全保障」が「出世」する

 兼原信克氏は、第二次安倍政権発足とともに、外務省国際法局長から内閣官房副長官補に異例の抜擢をされ、本年1月以後は新たに内閣官房に設置された国家安全保障局の次長も兼任している。兼原氏の先輩を押しのけての「出世」ぶりは、外務省内にも波紋を呼んだほどである。

 さてその兼原氏、2011年4月に『戦略外交原論』という本(日本経済新聞出版社)を著わしている。これは、2009年秋、早稲田大学法学部からの依頼で、栗山尚一元駐米大使・外務事務次官が担当していた「外交政策の形成過程」という講座を引き継ぐこととなり、非常勤講師を務めた際の講義記録をまとめたものだそうである。

 500頁に及ぶ大著であるから、全部を紹介することはできないが、兼原氏の立場、安全保障に関するスタンスが、明瞭に読み取れるところを要約して紹介してみよう。

「積極的平和主義への道(1)―湾岸戦争の衝撃とPKOへの参画」

 湾岸戦争では1兆円を超える資金援助をした。莫大財政的貢献をしたにもかかわらず、国際社会から受けた冷笑と侮辱は屈辱的でさえあった。その後、日本はPKOへの参加をして、自衛隊は高い評価を得た。積極的平和主義への胎動であった。そのPKOへの参加は、厳しい武器使用制限を伴うものである。これを改め正当かつ十分な武器使用権を認めるべきである。それは政治の責任である。

「積極的平和主義への道(2)―第一次北朝鮮核危機とガイドライン法」

 90年代半ば、北朝鮮がNPT体制から離脱して核兵器開発に乗り出そうとしたとき、米国クリントン政権は戦争も辞さずとの態度をとり、第二次朝鮮戦争勃発の危機的状況に立ち至った。このとき自衛隊が、朝鮮半島有事に際し、何らの対応もできない状態であることが明らかになった。このことから97年新ガイドライン策定、99年周辺事態法制定と発展し、これによりわが国は、自国周辺の平和と安全に責任を果たせるようになった。

「積極的平和主義への道(3)―9.11同時多発テロと海上自衛隊のインド洋派遣、陸上自衛隊のイラク派遣」

 9.11同時多発テロに対する米国の対応(アフガニスタン戦争とイラク戦争)を無条件で肯定した上で、「小泉総理は、ワシントンやニューヨークで無差別テロにより数千人が虐殺されたことに際して、傷ついた米国の支援のために、勇断をもって新規に立法までして海上自衛隊を派遣した。これがブッシュ・小泉の黄金時代を築くことになる。日米同盟が一瞬、対等な同盟に見えた時代であった」、「陸上自衛隊は、サダム・フセイン政権が崩壊し戦争が終結した後、新生イラクの復興支援のために派遣された。戦後初めて、陸上自衛隊が第三国の土を踏んだのである」などと小泉政権の、米国追随、自衛隊の海外派遣を手放しで賛美している。

「積極的平和主義への道(4)―アデン湾での海賊対策」

 2009年にアデン湾での海賊対策に海上自衛隊が投入された。アデン湾は東アジアと応酬を結ぶシーレーン上にあり、マラッカ海峡と同様に戦略的に重要な場所である。海上自衛隊の艦船が日本の商船隊を守り始めた。

 自衛隊にわが国企業の海外躍進をサポートする役割担わせるという新帝国主義の立場を鮮明にしている。

 さらに日米同盟を対等に近づけるためには、①「防衛費を削り続けて『対等』は難しい」、②「『集団的自衛権行使禁止』は憲法のどきにも書かれていないから、集団的自衛権を認めるのが論理的である」、③「武器輸出は国際標準に従うべきで、佐藤政権時代のように限定的な禁止に戻すべきだ」などと述べ立てている。
第二次安倍政権は、これに追随しているだけのようだ。

 兼原氏のように、外務事務官の身分を保持したまま、これほどに一党一派に偏した安全保障政策を、大学で講義し、かつ出版する例は稀であろう。外務省というところは、こういう偏りのあるミスター「安全保障」が「出世」する不思議な役所である。  (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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