立憲主義を守るために秘密保護法が必要との謬論を駁す (2)

3 長谷部氏の秘密保護法必要論の展開

そうは言っても長谷部氏が、秘密保護法に賛成する立場にまわるという事態は、私にとっては想定外のことであった。

長谷部氏は、前出の「憲法とは何か」(岩波新書)の中で、次のようにも言っている。

「人間らしい生活を送るためには、各自が大切だと思う価値観・世界観の相違にもかかわらず、それでもお互いの存在を認め合い、社会生活の便宜とコストを公平に分かち合う、そうした枠組みが必要である。立憲主義は、こうした社会生活の枠組みとして、近代のヨーロッパに生まれた。」
「そのために立憲主義がまず用意する手立ては、人々の生活領域を私的な領域と公的な領域とに区分することである。私的な生活領域では、各自がそれぞれの信奉する価値観・世界観に沿って生きる自由が保障される。他方、公的な領域では、そうした考え方の違いにかかわらず、社会のすべてのメンバーに共通する利益を発見し、それを実現する方途を冷静に話し合い、決定することが必要となる。」
「政治のプロセスがその役割をその役割を適性に果たすことを狙いとする仕組みは、公と私の仕切りの他にも、さまざまな形で存在する。たとえば、マスメディアの表現の自由の保障がそうである。マスメディアは、法人であって生身の個人ではない。自分の言いたいことをいう自由は、個人には保障する必要があるであろうが、マスメディアには、『生まれながらにして』保障されるわけではない。しかし、マスメディアに報道の自由、批 判の自由が保障されているおかげで、世の中には豊かなで多様な情報が行き渡り、政策論争も活発となり、政治のプロセスがその役割をよりよく果たす助けとなる。」

長い引用になったが、熟読して頂きたい。長谷部氏は、憲法的原理として立憲主義を強調し、その眼目として、社会構成員それぞれの価値観・世界観に従って生きるべき私的領域に国家権力は介入してはならないこと、社会構成員の共通利益を実現すべき公的領域(政治過程)においては冷静な話し合いによる決定がなされるべきで、そのためにはマスメディアによる報道・批判に自由の確保を通じて多様な情報が行き渡り、政策論争も活発となることが必要であることを説いているのである。

このような長谷部氏の立憲主義論からすれば、公的領域(政治過程)においては、可能な限り情報が人々に行き渡っていることがその健全性を維持するために必要なことであり、いわば情報という米を食べた人々が自由に冷静に話し合うことによって妥当な決定を導き出すことこそが理想型として奨励されているのである。この長谷部氏の説くところと秘密保護法とは到底結びつかないだろう。

(1)第185国会衆議院安全保障特別委員会における参考人陳述

ところが長谷部氏は、昨年11月13日、第185国会衆議院安全保障特別委員会に参考人として招致され、要旨、次のように陳述し、私を驚かせた(驚かされたのは私だけではないだろう。)。

「第一に、特別の保護に値する秘密など存在しないという考え方は常識的な立場ではない。特別な保護に値する秘密があることを容認する以上、みだりに漏えい等が起こらないよう対処しようとすることには高度の緊要性が認められる。それに必要な制度を整備することは十分に合理的。ほかの国でも、類似の制度は少なくない。

第二に、この法案の別表の記載等には何が特別な保護に値する秘密なのか、基本的な考え方は示されているが、具体的にどのような情報が特別な保護に値する特定秘密なのかがわからないではないかと批判されるが、具体的な事例ごとに専門知識を持つ各行政機関で的確、合理的に判断し、その都度指定をしていくしかないのではないかと思われる。

第三に、この法案は、政府が保有する情報の中で、公になっていないものであって、かつ特定秘密として指定されたものについて、それを漏えいする行為、あるいは漏えいを唆したり扇動したりする行為等を処罰対象としているだけで、一般市民が独自に収集をした情報、既に公になっている情報についても、その保有が処罰の対象とされかねないという、ホラーストーリーはあたらない。

第四に、捜査当局がこの法案の罰則規定違反の疑いで逮捕や捜索を行う危険性、それはあるのではないかと言われるが、我が国の刑事司法は、捜索や逮捕につきましては令状主義をとっており、そうした危険性は小さい。

第五に、報道機関の取材活動に悪影響を及ぼすのではないかという懸念が示されるが、外務省秘密電文漏えい事件に関する最高裁の決定により、よほどおかしな取材の仕方をしない限りは、報道機関が情報の開示を公務員に求めたからといって、処罰されることはないとされている。法案の第二十一条第二項の条文は、この判例の考え方を注意的に確認をした。

最後に、こうした法律をつくること自体が、政府の保有する情報を取り扱う公務員の萎縮を招き、全体として報道機関の取材活動を困難にすると言われるが、この法案の目的がそもそも、特別な保護を必要とする政府保有情報に関しまして特に慎重な取り扱いを求めようとするもの、慎重な取り扱いをしているということは、悪く言えば萎縮をしているということになるだけのこと。

この問題は、そもそも日本という国には特別な保護に値する政府保有情報があるのかないのかという、冒頭の問題に戻っていくことになります。そんな情報はないという立場も理論的にはあり得ないわけではないとは思いますが、私は、それは余り常識的な立場ではないと考えております。」
 
なんという一面的で粗雑な論理であろうか。政府が保有する情報には特別に保護するべきものがあることを認めるかどうか、それを認めるならばみだりに漏えいすることを防ぐための法制度を設ける高度の必要性があり、何が秘密であるかを具体的に指定することは専門的知識を有する行政機関に委ねればよい、よその国もやっている、何も心配することはない、これだけのことである。

私は、前述のように立憲主義を説く長谷部氏であるならば、公的領域(政治過程)が健全に機能し、維持されるためには、政府が保有する情報はどうあるべきかを論じるべきであったと思うのである。そうすればいきなり特別に保護する必要があるかどうかの二者択一論から話が始まるのではなく、政府の保有する情報は、本来は国民に開示するべきあるが、ある理由のために、ある期間、秘匿をしなければならない場合もある、そのようなに秘匿を要する場合、物的管理で足りるのか、人的管理も必要なのか、現行の法制度に問題点はないか、問題点があるとすればそれはどのようなことか、それを改善し、克服するにはどうしたらいいのか、どういう法制度が望ましいのか、その法制度構築によって国民に必要以上の権利制限をし、不利益を課し、公的領域(政治過程)に無用な混乱、歪を生じはしないか等々、緻密に厳密に議論を組み立てることができた筈である。

それにしても長谷部氏が一番警戒をし、不信の念を抱くべき行政機関(つまり官僚)をかくも信頼しきっているのが、印象的であった。これは後に見るようにどんどん増幅されていくことになる。
長谷部氏ともあろう人が、こんな粗雑な俗論を述べるとはどうしたことか。長谷部氏に一体何があったのであろうか。
(続く)

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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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