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公職選挙法・戸別訪問を解禁するべきだ

 公職選挙法は、138条1項、2項により、家ごとに訪問して、選挙の投票を依頼することや、演説会や候補者の氏名の宣伝をすることを禁止し、239条第1項3号により、これに違反した場合には1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処することとしている。

 これを憲法論としてみれば、21条1項の表現の自由を侵害し、違憲ではないかということが問題になる。具体的事案で検討してみよう。

 事案は、「被告人A某は、昭和51年12月5日施行の衆議院議員総選挙に際し、島根県選挙区から立候補した○○○○に投票を得させる目的で、同年12月3日ころ、同選挙区の選挙人である△△市○○町××番地B某ほか4名を戸々に訪問し、同候補者のため投票を依頼し、もって戸別訪問をしたものである。」というものである。

 これに対し、一審松江地裁出雲支部は、以下のような理由から個別訪問禁止規定は、憲法21条1項に反し違憲であるとして無罪を言い渡した。
 
・ 戸別訪問は、選挙運動の基本的手段であり、現に西欧型民主国では、すべてそうなっている。
・ 選挙制度審議会における戸別訪問に関する議論についてみると、選挙運動の自由化の観点から、戸別訪問を自由化すべしとの意見が、圧倒的多数を占めている。
・ 戸別訪問の弊害として指摘されているのは(1)選挙の自由、公正をくつがえす買収、利益誘導、威迫などの不正行為の温床となる(不正行為温床論)、(2)情緒、義理、人情に訴える傾向を助長し、理性的公正な判断を害する(感情支配論)、(3)候補者に無限の競争を強い、煩に堪えなくする(煩瑣論)、(4)選挙人の生活の平穏を害し、選挙人が迷惑至極である(迷惑論)、(5)候補者が競って戸別訪問をするため、費用がかかる(多額経費論)、(6)次期立候補予定者が、当選議員の留守中に地盤荒しをする(当選議員不利論)などである。しかし、これらはいずれもそういう主張がなされるだけで、具体的に検討するといずれも正当なものとは認めがたい。
  逆に戸別訪問を禁止することにより、(1)選挙や政治は、国民から縁遠い存在となり、国民の代表と国民とのつながりは、稀薄化している、(2)身近で手数と金のかからない基礎的な選挙運動を奪うことは、政治に関するフェイス・ツー・フェイス、マン・ツー・マンの日常的な対話の場を剥奪し、国民の政治に対する無関心、無気力化を進める、などの弊害が認められる。
・ 憲法21条1項の表現の自由は、基本的人権の中でも、最も優越的地位を占めるものであるから、選挙運動においてこれを制限するには、選挙の自由と公正を確保するうえに必要かつ最小限度の範囲内においてのみ認められるところ、公職選挙法の戸別訪問禁止規定は、必要かつ最小限度の範囲内の制限とは言えない。

  この事件の控訴審である広島高裁松枝支部も、戸別訪問禁止の目的とされる事項を逐一検討し、その目的自体が表現の自由を制約すべき根拠となり得なかったり、あるいは戸別訪問禁止によりその目的を達成しうるとは必ずしもいえなかったり、あるいは選択された戸別訪問禁止がその目的を達成するうえで行きすぎていたりしているというほかはなく、戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない限度の規制であると考えることはできないとして、公職選挙法が一律に戸別訪問を禁止しているのは憲法21条1項違反と断じ、一審判決を維持した。

 しかしながら、上告審たる最高裁は、以下の理由で原判決を破棄した。

・ 戸別訪問の禁止は、意見表明そのものの制約を目的とするものではなく、意見表明の手段方法のもたらす弊害、すなわち、戸別訪問が買収、利害誘導等の温床になり易く、選挙人の生活の平穏を害するほか、これが放任されれば、候補者側も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなるうえに多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなるなどの弊害を防止し、もつて選挙の自由と公正を確保することを目的としているのであり、その目的は正当である。
・ 上記の弊害を総体としてみると、戸別訪問を一律に禁止することは合理的である。
・ 戸別訪問という手段方法による意見表明の自由が制約されるが、それは、もとより戸別訪問以外の手段方法による意見表明の自由を制約するものではなく、間接的、付随的な制約にすぎない。その反面、戸別訪問禁止により得られる利益は、戸別訪問という手段方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保である。よって得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きい。
・ 以上によれば、戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法138条1項の規定は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法21条1項に違反するものではない。

 一審判決及び控訴審判決と上告審判決とでは、一審判決が列挙している戸別訪問の弊害なるものをどう評価するかということと、戸別訪問の禁止が、意見表明の手段・方法の規制に過ぎず、意見表明そのものを禁止するのではないから比較的軽いものである(上告審判決は「間接的、付随的制約に過ぎない」と言っている。)のかどうか、という対立点がある。

 前者について簡潔に述べよう。戸別訪問禁止がなされたのは、1925年3月の衆議院議員選挙法改正法においてであった。いわゆる普通選挙法である。このとき戸別訪問を禁止する理由としてあげられたのは①情実、感情支配論、②選挙の品位低下論、③選挙の私事化論、④買収等不正行為冗長論であった。しかし、それ以前、戸別訪問は自由になされていたのに、具体的にこうしたう弊害が問題化していたわけではなく、なんら実証的根拠を持つものではない。むしろ、同年2月に、普通選挙法制定に先立ち、治安維持法が制定されていることを考えると、いずれも無産大衆対策であり、普通選挙法の実施により無産大衆が大量進出することは何としても抑えたいという支配者側の願望がこめられていると考えるべきだろう。要するにこれらは無産大衆の選挙運動として最も有効で費用のかからない戸別訪問を禁止するために支配者側が頭をひねって考え出した屁理屈であり、到底、戸別訪問を禁止すべき理由とはなりえない。

 後者について。戸別訪問という手段・方法を禁止したからといって、他の表現手段は奪われず、表現の自由を制限するわけではないというのは、実のない形式論理、言葉の遊びである。戸別訪問という手段・方法は、選挙において、一般国民にとって最も基本的な手段・方法であり、これを奪うことにより一般国民が選挙運動に参加すること防止するに等しい。上記一審判決のいうとおりである。

 結局、日本国憲法施行後は、戸別訪問禁止は許されなくなったというべきである。しかるにわが国会は、衆議院議員選挙法・参議院議員選挙法において、これをそのまま存置し、また1950年制定の公職選挙法においても漫然とこれを存置し、わが国最高裁は、無批判にこれに追随しているのである。国民の選挙離れが指摘されて久しく、特に最近の各種選挙での投票率の低下は甚だしい。がんじがらめ選挙、べからず選挙も、それをもたらしている一つの要因である。昨年のネット選挙解禁は一つの進歩であった。しかし、ネットを使いこなす層はまだ限られており、古来存する最もアナログな手段・方法である戸別訪問の方がはるかに多くの層に選挙に参加する道を開くだろう。今こそ、選挙運動が自由闊達に行われるための方策を取り入れなければならない。諸外国にならい、戸別訪問解禁にまず手をつけるべきではなかろうか。 (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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