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在日朝鮮人・韓国人差別・偏見のルーツ

 子どものころには、私も在日朝鮮人・韓国人に対する差別意識を知らず知らずのうちに身につけてしまっていた。

 わが家は7人兄弟、私は上からいっても下からもいっても4番目だった。たかだか13年ほどの間に、7人の子どもを産み、しかも戦中、戦後の食糧不足がたたって、母は、結核を病み、私が小学校に上がる前、1952年に死んでしまった。まだ36歳であった。
 父も、16歳を頭に、一番下が2歳までの7人もの子どもを抱えて大変だっただろうと思う。いや、そういう一般的な言い方は正しくないだろう。昔は、それが分からなかった。わかるようになったのは最近のことであると言うべきだろう。貧乏人の子沢山とはよく言ったもので、まさにわが家はそれであったから。
 あれは私が小学校1年生のころのことだったと思う。当時、貧困のどん底にあって、その日食べるものもない状態で、ひたすら父が食べ物を持って帰宅するのを待つ日々が続いていた。それを見て可愛そうに思ったのか、近くに住む朝鮮人(もしくは韓国人)のお母さんが、「ボク、これ食べ」と言ってコッペパンをくれたことがあった。だが、私は、それがどうしても食べられなかった。空腹がつのって喉から唾が出るほどであったのに食べられなかったのだ。

 わが国が韓国に併合条約を押し付けたのは1910年8月のことであった。以来1945年8月14日、わが国がポツダム宣言を受諾するまでの間、朝鮮半島は、わが国の領土の一部とされ、朝鮮半島の住民は、日本国民とされ、戸籍上は、内地国民の内地籍とは別個の外地籍(朝鮮籍)に登載されていた。

 井上寿一『第一次世界大戦と日本』(講談社現代新書)によると、朝鮮半島から内地への渡航者数として、以下のようなデータが記されている。しかし、これは氷山の一角であろう。

1913年       3635人
1918年     2万2411人
1919年     2万6605人
1920年     3万0189人
1921年     3万8651人
1922年     5万9722人

 これらの渡航者の大半は、わが国において、今でいう低賃金の3K労働に従事したのである。何故、そのように多数の人びとが故国を離れ、過酷な労働に従事するために敢えて内地に渡航してきたのだろうか。彼らは、決して好き好んで渡航してきたのではない。
 その原因の多くは、朝鮮総督府の実施した土地政策にある。1912年8月、朝鮮総督府は、土地調査令を公布した。同令に基づいて行われた調査事業は、「地税」の公平負担、土地所有権の保護、生産性の向上などをうたい文句としていた。しかし、実際には、土地所有権の保護は申告によって行い、申告のない土地は「国有」という名目で、総督府が取り上げてしまうというあこぎなものであった。これと並行して内地国民や内地資本による土地買収が進行する。伝統社会で私所有権の確立していないところに近代的制度を持ち込まれ農民が土地から分離された。土地を失った農民が大量に輩出した。彼らは、山間部に追いやられて焼畑農耕を行う火田民となり、あるいは沿海州やハワイへ移り、あるいは糊口を凌ぐために内地へ渡航してきた(成田龍一『大正デモクラシー シリーズ日本近現代史④』(岩波新書)。上記の数字は、それを示している。

 彼らは、第一次世界大戦時の好況時には、低賃金・3K職場に吸収され、内地労働者とは棲み分けができていた。しかし、戦後の反動不況で、内地労働者の失業問題が顕現するとともに、彼らは、内地労働者にとって排斥の対象となり、また危険視されるようになる。彼らと、内地労働者とは必ずしも従事する労働において競合関係にたっていたわけではないにもかかわらず、そういう対象とされてしまったのである。

 差別や偏見は、空から降ってくるわけではない。この時期の大量の渡航者らが、内地において低賃金、3K職場で、文字通り汗と泥にまみれた暮らしを余儀なくされ、わが内地国民に蔑まれ、時が移り、わが内地国民も不況に呻吟するようになると非征服民族ないしは不潔な低級民族としてその不満の捌け口とされ、さらには食い扶持を奪いあう競争相手と錯覚される。こうしたことが積もり積もって差別・偏見が定着して行ったのである。

 それがエスタブリッシュメントにとっては支配の有効な手段でもあるのであろう。

 今も在日朝鮮人・韓国人の差別を平然と行っている人たちは、ある意味では犠牲者でもある。彼らは真に対決するべき相手が見えなくされているのだ。   (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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