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ゾルゲ事件断章 その1

 ゾルゲ事件(当局発表では「国際諜報団事件」)に連座し、1944年11月7日、43歳の若さで刑死した尾崎秀実の、一審裁判所に提出した上申書(以下「上申書(1)」という。)、最終審の大審院に提出した上申書(以下「上申書(2)」という。)及び逮捕後約半年経過した1942年4月14日付検事調書(第27回)を読んだ(いずれも『尾崎秀実 ゾルゲ事件上申書』岩波現代文庫所収)。

 各上申書は、転向者としての真情を吐露したと認められた文書であり、いずれも内務省警保局発行の『特高月報』誌上に研究資料として掲載されたものである。

 上申書(1)は1943年6月8日付となっている。『特高月報』誌上には、内務省警保局保安課の手になる長い「はしがき」が付されている。抜粋すると以下の如くである。

 「尾崎秀実は、共産主義者として、国際共産党並びにその祖国ロシアに忠誠を尽くすために、日本の運命を売らんとした憎むべきスパイであった。そのスパイ生活は昭和5年から昭和7年までの『大阪朝日新聞』上海特派員時代、および昭和9年より昭和16年10月検挙されるまでの国際共産党諜報団時代の二時期に画される。」
 「その諜報内容には尾崎が、新聞記者として、あるいは内閣嘱託として、満鉄嘱託として、近衛公ないし風見章のいわゆるブレーンの一人として、かつまた昭和研究会の役員として、各その地位を利用し、(中略)『独ソ開戦前後の御前会議の状況』満鉄輸送関係等より推断して『年内に対ソ攻撃なし』との情報を送り、あるいは昭和16年8-9月頃世界各国の異常なる関心を集めて極秘裡に進められつつあった、日米交渉に関する日本の対米申入事項を提報する等、約90件に達している。」
 「尾崎が第一審において死刑を言い渡されたのは昭和18年9月29日であり、それが確定したのは、昭和19年4月5日、大審院において上告棄却となった時である。而して刑の執行はゾルゲと共に11月7日に行われたのである。」
「何れにしても、この上申書を書いた時は、まだ生きる希望を全然捨てねばならぬという時期ではなかった。しかしながら、それは極めて淡い希望であり、尾崎といえども当然死すべき運命を覚悟していたであろう。この上申書はこういった環境と心境の下に書かれたものであることを前提として、味わうべきであろう。」
 「死に直面して我が家、我が故郷、我が祖国を憶い、遂には我が国体の尊厳に触れて、これまでに犯した罪の怖ろしさに慄然となり、苦悩する思想犯の転向過程には、まことに味わうべきものがあろう。」

 上申書(2)は1944年2月29日付となっており、『特高月報』誌上には、以下の如き司法省刑事局思想課による「はしがき」が付されている。

 「本上申書は昭和19年4月5日上告棄却となった尾崎秀実が大審院の係判検事に提出したもので、大審院刑事部では昭和19年3月8日に受付けている。死に直面した被告が、悠久の大義に生きるべく思想的発展に懸命の努力を為していることが詳細に述べられているとともに、今次大東亜戦争に対する被告としての見透対策が大胆率直に語られているので、一読の価値あるものと認め印刷に付した次第である。」

 ご覧のように、各上申書は、当局公認の転向文書であるが、印刷に付し、あるいは「特高月報」誌上へ転載するという異例の扱いといい、「はしがき」の書きぶりといい、当局者さえも胸打つものがあったのであろう。

 一方、検事調書は、家族や交友関係あるいは仕事上の関係者への複雑な心境を語る部分もあるが、その他は自己の世界観、国体観、世界情勢の把握など自己の信念を決然と貫いた供述がしたためられた文書である。逮捕後約半年、第27回目の検事調書に至って、厳しく長く執拗な取調べにもかかわらず、非転向を貫き、堂々たる供述を展開している尾崎秀実の不屈の意思は、読む人に感動を呼び起こすであろう。
 彼は、やがて転向し、転向者として刑事裁判を受けることになったのであるが、上申書(1)、上申書(2)の行間、裏にまで目配りして読むと、これらからは、死刑の威嚇を伴って屈服を迫る国家権力に遂にこうべを垂れた真の転向者の姿とは異なる姿が浮かび上がってくる。彼は、たぐい稀な情勢分析能力により、日本の敗北が近いことを確信し、何としても生きのびることを選択し、そのために必至になって、当局者さえも心を動かされるほどに転向者を演じ通したのではなかろうか。日本敗北と世界大戦の終結は、世界革命の始まりである。生きて、世界革命を見届けよう。私には、彼がそのように考えたに違いないように思われる。

 あにはからんや、日本が敗北する前に、尾崎秀実は、死刑を執行された。しかし、それはむしろ幸いなことではなかったろうか。偉大な世界革命の根拠地となるべきソ連が、過渡期のプロレタリアート独裁を変じて醜悪なまでに国家権力を肥大させ、世界革命の反対物に転化したのだから。彼は、美しい世界革命の夢に生き続けることができたのだ。(了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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