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ゾルゲ事件断章 その2

 評論家松本健一氏は、『尾崎秀実 ゾルゲ事件上申書』(岩波現代文庫 2003年2月14日第一刷発行)に解説の一文を書いておられる。

 その中で、松本氏は、「この第一回目の上申書が、尾崎秀実の真実の転向を示すものなのか、それとも偽装転向なのか、については、現在でも議論がわかれているところである。ただ、その論理展開のしかたじたいは、当時の転向書の典型をかたちづくっている。翻っていると、そこにのべられている『転向』は型どおりのもので、尾崎秀実の精神の内面の動きがうかがえるものとはなっていないのである。ところが半年後の第二回目の上申書になると、その『転向』ははるかに具体的、というより自身の精神の内面を見つめる、ある意味では告白書の趣きを呈してくるのである。」と述べている。

 もっとも松本氏は、一方で、「かれが『転向』したのか、それとも偽装転向だったのか、などということは、わたしにはどうでもいいことのようにおもわれる。すくなくとも、共産主義=革命のみを正しい、絶対的な基軸と考え、尾崎はそこから離れていったのかどうかという『転向』議論は、何の意味ももたないとおもえるのである。」とも云っており、上申書(2)における尾崎秀実が、偽装転向であったかどうかの最終判断を回避(もしくは放棄)している。

 松本氏の見解に敢えて異を唱えるわけではないが、松本氏は上申書(2)の「精神の内面を見つめる」記述に着目して、「真実の転向」説に傾斜しているように思われるので、私は、むしろ同上申書中の「戦局の前途を想う」と題する第六章で展開されている戦局に関する大胆な提言に注目することにより、上記傾斜を「偽装転向」説側に少し戻しておきたいと思う。

 尾崎秀実は、第一章「重ねて上申書を呈上するにあたりて」、第二章「我が家、我が郷」、第三章「我が国土・我が国体を仰ぐ」、第四章「死に直面して」、第五章「悠久の大義に生きん」と綴ってきて、

 「今や私は日々の生活に満足し、我をして一日々々生かしめている総ゆるものに感謝しつつ悠々たる天地の中に生きつつあることを感じております。生物としての私は死によって、また個体を形成していた一切の原素に解体し去って跡なく消え去るでありましょう。しかしながら、それは宇宙の生命のうちに融化し去ることであります。」

と、超然として、死を迎える心境を語り、一旦ペンをおいたのであった。

 しかし、彼は、「現在上記のごとき心境に断罪の日を待ちつつある私もまた、眼前に迫り来る国家の逼迫せる危機を思っては、ただ黙し得ざるものがあるのを覚え、戦局の前途に考慮を馳せざるを得ないのであります。私は一度投じた再び取り上げて、この手記を続けます。」と述べて、第六章「戦局の前途を想う」を追加したのである。司法省刑事局思想課をして「今次大東亜戦争に対する被告としての見透対策が大胆率直に語られている」と言わしめた部分である。

 彼は、ここで、世界情勢の最近の発展を考察し、ドイツが本年度内(1944年内)に降伏に至るとの見通しをたて、そのもとで日本のとるべき根本態勢として、「総ゆる忍苦をもって現状を守り抜く」ことの重要性を提起している。彼は、その上で、長期戦を戦い抜くには、第一に、国民生活への配慮が大切であり、食うことの安心を保障することにより、国民生活に明るさを取り戻すことが必要であるとして以下のように述べる。

 「当局は真に謙虚に、かつ真剣に、何よりも自ら下層一般民衆の中に身を置いてこのことを考える必要があろうと思われます。」

 彼は、続ける。長期戦を戦うのに必要なことは、第二に勤労者層の政治的関心を高め、進んでその政治参与を実現する必要があると主張する。コミュニストたる尾崎秀実の面目躍如である。

 尾崎秀実は、さらに大東亜共同体にも敷衍し、中国問題の解決には中国の自主性を尊重すること、太平洋戦線においては守旧的防御に専念し、ソ連との良好な関係を維持して、ドイツ敗北後にヨーロッパ戦後体制をめぐり米ソの対立が生じることを待つべきである、そのとき米国も英国も疲弊をするだけではなく、国内には厭戦思想がひろがり、かつまた平和を希求する勢力が大きく進出するだろうから、わが国にとって米国とも妥協的収拾をはかる機会がおとずれるだろうと述べている。

 こういうことを堂々と述べる人が、ただひたすら懺悔をし、死一等を賜るを日を静かに迎えようとしていたとは到底思えないのである。(了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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