戦前秘密保全法制 (1)

戦前秘密保全法制は、我が国が、アジア侵略に乗り出した時期に、呱呱の声をあげた。そして、それは、我が国が侵略戦争と軍国主義にのめりこむのにつれて次第に成長し、日米開戦直前に筋骨逞しい大人になって、敗戦とともに死んだ。

その戦前秘密保全法制の足取りをざっと追ってみよう。

明治初期から中期

明治初期から、軍人軍属については、海陸軍刑律により、軍事機密の漏えい、戦時の間諜(スパイ)行為が処罰されることになっていた。これはその後、陸軍刑法、海軍刑法となった。一方、一般人については、刑法において、交戦時に間諜(敵国へ軍事機密を漏洩する行為等)が処罰されることになっていた。しかし、平時において、一般人が、軍事秘密の漏えいや取得を処罰されることはなかった。
 
徴兵令が布告されたのは1872年、軍人勅諭が発布されたのが1882年、この間に台湾出兵、朝鮮軍との武力衝突(江華島事件)があり1876年日朝修好条規なる不平等条約を朝鮮に押しつけた。早くも我が国はアジアに矛先を向け始めた。

それと符節を合わせるように1881年、陸軍刑法、海軍刑法の改正により、一般人にも「軍人秘密を要する図書、兵器、弾薬の製法、其の他軍事に関する機密漏洩」したときは3月以上3年以下の軽禁固に処するとされ、軍事機密の保護が強化された。

1883年4月改正新聞紙条例、同年6月出版条例により、陸・海軍卿に軍事関係の記事掲載を許可し、もしくは許可しない権限が与えられることになり、さらに1886年12月出版条例改正で、軍事機密を記載する文書図書の出版はできないこととなった。

日清・日露戦争前後

我が国と清国との関係が緊迫化すると、1890年、法律第2号「軍港要港に関する件」を定め、それにもとづく「軍港要港規則」によって、軍港・要港境域内の状況、形状等を機密として保護する権限を鎮守府司令長官に付与した。

日清戦争勝利は、我が国をして少壮帝国主義国の第一歩を踏み出させることになった。軍制もようやく整備されてきた。そこで帝国主義列強に倣い、1899年7月、軍事秘密保全のための単独法として軍機保護法(以下「旧軍機保護法」という。)が制定された。

旧軍機保護法は、①軍事秘密を探知収集した者を重懲役に処する、②職務上軍事秘密を知得領有し秘密であることを知って他人に漏洩、公布、公示したときは有期徒刑に処する、③偶然軍事秘密を知得領有した者が秘密であることを知って他人に漏洩、公布、公示したときは軽懲役に処する、ということを骨子とし、わずか8か条からなる法律であったが、我が国における本格的な秘密保全法制として重い位置を占めている。

他の法令を見てみると、1893年に出版条例にかえて制定された出版法に「外交軍事其の他官庁の機密」に関する無許可出版の処罰規定が置かれ、1909年新聞紙条例にかえて制定された新聞紙法に「陸軍大臣、海軍大臣及び外務大臣は新聞紙に対し命令を以て軍事若しくは外交に関する事項の掲載を禁止し又は制限することを得」との規定がなされた。

また1907年改正された刑法(現行刑法。ただし1947年に大幅改正)には外患誘致、外患幇助、通謀利敵と並んで第83条に「敵国の為に間諜を為し又は敵国の間諜を幇助したる者は死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処す 軍事上の機密を敵国に漏泄したる者また同じ」と定められた。交戦時の規定ではあるがふるえあがるばかりである。

我が国の戦前秘密保全法制は、このあたりで高校卒業程度にまで成長したといえようか。明日は筋骨逞しい大人になる様とその過程でどんな悪さをしたか描くことにする。 
(続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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