「集団的自衛権行使容認閣議決定」は立憲主義に反する その3

 国際法上の自衛権を概観してみよう。

 近代国際法の成立・展開は、17世紀ヨーロッパにおける主権国家群の成立及び国際関係の展開と軌を一にしていた。30年にわたって繰り広げられた宗教戦争後のヨーロッパ国際秩序を定めたウェストファリア条約(1648年)と、「国際法の父」と後世に呼ばれることになったフーゴ・グロティウスの著作『戦争と平和の法』(1625年)の刊行は、そのことを象徴的に示す出来事であった。

 グロティウスは、「法なくして存在しうる社会はないとするならば、すべての人類よりなる社会においても法は無視されない」と中世神学から解放された人類普遍法思想に基づく国際法を説く一方で、「君主ならびに君主と同等の権利をもつものは、自己またはその臣下に対して加えられた危害に対するだけではなく、直接彼らに関係はしないが、いかなる者に関しても、甚だしく自然法または国際法を破ってなされた危害に対して、処罰を要求する権利をもっている。」と、主権国家が戦争にうったえる権利、すなわち「正戦論」も説いている。中世神学の影響のもとに神学者が唱えた「聖戦論」からは決別しているものの、グロテゥスもまた覇権を握った絶対王政国家の論理を濃厚にまとっていたようである。

 18世紀後半になると、ヨーロッパにおいて、絶対王政の退行と国民的基盤をもった国民国家への編成が進行する。それは、一方で主権国家間の自由と平等の観念を生成させるとともに、他方で、戦争の自由、すなわち無差別戦争観を確立させる。戦争には正しい戦争も邪悪な戦争もない。主権国家の政策として行われるすべての戦争は正しい。・・・
 今では想像もつかないことではあろうが、国際法においては、このようにヨーロッパ主権国家は、激烈な世界市場の争奪戦のアクターとして、互いに戦争をすることを権利として認められていたのである。そこには、アジア、アフリカ、中南米の領域国家はいまだアクターとして登場しておらず、その適用対象でさえなかった。

 やがてそのような阿鼻叫喚の世界の底から、理性と人間性の覚醒が始まる。第一の動きは、戦争における人道主義の貫徹をめざすもの、第二の動きは戦争ものをできるだけ制限しようとするものであった。第一のものは、戦時国際法(jus in bello)といわれる一群の国際条約と国際慣習法、第二のものは戦争制限法(jus ad bellum)と呼ばれる一群の国際条約と国際慣習法として、次第に確立されていくことになる。この小文でとりあげるのは第二のものであり、具体的には戦争を違法化し、自衛権の行使としての戦争のみが認められるとする国際条約と国際慣習法である。

 国際法学において語り伝えられるカロライン号事件は、そのはしりともいうべき出来事であった。

 米国と英領カナダの境にあるナイアガラ川のカナダ領内にネイヴィ島というきな臭い名前の島があった。1837年当時、そこを拠点として、カナダの独立を目指す独立派が武器をとって英国と戦っていた。その独立派に対し、米国人所有の船カロライン号が、米国側とネイヴィ島との間を往復し、人員、武器、物資を輸送していた。英国は、米国にその取り締まりを要求したが、はかばかしい効果がない。そこでカナダ提督指揮下の英軍は、米国ニューヨーク州シュロッサー港に停泊中のカロライン号を急襲し、火を放った上、ナイアガラの滝から落下させてしまった。
 当然、この事件は、英国と米国との間で、重要な外交案件となり、厳しい交渉が行われた。その過程で、米国務長官ウェブスターは、駐米英国公使フォスターに宛てた書簡で、「英国政府は、差し迫って圧倒的な自衛の必要があり、手段の選択の余地がなく、熟慮時間もなかったことを示す必要がある」、「たとえ仮に米国領域への侵入がそのときの必要性よって容認されるとしても」、「非合理な、もしくは行き過ぎたことは一切行っていないことを示す必要があり、それは、自衛の必要によって正当化される行為が、かかる必要性によって限界づけられ、明白にその範囲内にとどまるものでなければならないからである」と主張し、英国政府に、カロライン号急襲と米国領侵犯につき、自衛権の行使としての正当性の論証を求めた。

 カロライン号事件は、現在の通念では、自衛権の行使と目されるような事案ではなく、また無差別戦争観が支配していた時代のものであったから、英国の武力行使が自衛権として正当なものかどうかがシビアーなテーマとなったわけではない。また事件自体も、英国、米国の外交上の非難・応酬の対象となったが、英国、米国とも、落としどころを得て、無事、落着をみた。

 しかし、第一次世界大戦後、平和主義台頭の時代を迎え、国際連盟の創設と国際連盟規約、国際連盟のもとでの連盟と加盟国における平和の実践、ロカルノ条約、不戦条約と、戦争(次第に宣戦布告をする戦争にとどまらず、宣戦布告のなされない武力行使も含まれるようになった。従って以下の記述では戦争には武力行使も含むものとする。)を違法とする動きが顕著になった。
 かくして1930年代ころには、戦争を違法とする国際条約法と国際慣習法が確立するに至ったもの解される。しかし、それは戦争を世界から駆逐する力となりえなかったことは現代史の証明するところである。そこにおいては自衛のための戦争は許されるとの重大な例外が認められていたのである。第二次世界大戦に至る過程をつぶさにたどるとき、自衛のための戦争論こそ、戦争違法化の土台を蝕み、戦争を頻発させる元凶となったことが明らかとなる。自衛のための戦争とは、何とおぞましい概念であることか。

 とはいえ、善意の国際法学者らは、そのようなこととは無関係に、自衛権の概念の定義に腐心した。彼らが注目したのは、百年も昔のカロライン号事件におけるウェブスター書簡中で示されたウェブスターの主張であった。

 ウェブスターの主張は、自衛権の行使として正当性を認められるためには、①急迫不正の侵害の存在、②他に取り得る方法がないこと(必要性)、③必要最小限度の範囲にとどまる措置であること(均衡性)の3点に集約・整理することができ、ウェブスター・フォーミュラとして、自衛権の定義、自衛権行使の要件として定着することになる。

 わが国でも、横田喜三郎博士は、戦前において、その著「国際法」上巻において、「自衛権は、国家または国民に対して急迫または現実の不正な危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する行為である。この実力行為は、右の危害をさけるためにやむを得ない行為でなくてはならない。」として、具体的に「第一に、急迫または現実の不正な危害でなければならない。(以下略)」、「第二に、国家または国民に対する危害がなければならない。(以下略)」、「第三に、危害に対する防衛の行為は、危害を防止するために、やむを得ないものでなければならない。(以下略)」と説いていた。

 国際法上、自衛権とはこのように厳密な要件のもとに認められた概念である。
(つづく)

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深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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