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「左折?右折? 憲法は自動車ではありません。」

 佐伯啓思さんが朝日新聞コラム「異論のススメ」に登壇することとなりました。初登板は4月3日。満を持して書いたのは、日本は講和条約発効の1952年4月28日までは主権国家ではなかったのだから「主権」の最高の発動たる憲法制定は不可能ではないかとの疑念の提起でした。安倍さんもよくぞ云ってくれたときっとほくそ笑んでいることでしょう。

 佐伯さんは「日本国憲法は無意味であり、無効でしたというわけにはいかない。それこそ戦後68年われわれがそれを擁してきた、という事実を消せるわけではない。私がいうのは原則論であり、原則論がそのまま現実論になるわけではない」と補足をしていますが、彼が強調したかったことは原則論の方であると考えてよいでしょう。

 しかし、残念なことに初登板で力みが目立ち、不安定な立ち上がりでしたね。

 佐伯さんは、講和条約発効までは、連合国の占領下に置かれ、「主権」を剥奪されていたと言いますが、それは正確ではありません。日本の「主権」は、ポツダム宣言を実行する連合国最高司令官に従属することとなりました(the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers 文末の(注)を参照。)が剥奪されたわけではないのです。連合国の占領は、間接占領であり、日本の「主権」にポツダム宣言の枠をはめたに過ぎません。

 さらに佐伯さんは「主権」という概念を極めて恣意的用いています。佐伯さんも学者ですからよくご存知であろうと思いますが、おそらく意図的にそのようにしているのでしょう。「主権」の概念は実は多義的です。国家「主権」といえば、独立国家として、その尊厳を保持する権利であり、国際法上認められるべき諸権利の総体を意味します。

 その一方で、国の統治権の根源はどこにあるのかという意味での「主権」もあります。

 ポツダム宣言の受諾とその公表により、独立国家として有する国際法上の諸権利は制限を受けることになりました。一方、統治権の根源としての「主権」は、天皇から国民に移行しました。いわゆる「8月革命」といわれる政治的変革です。これは政治思想史の丸山真男氏の示唆により、憲法学の宮沢俊義氏が憲法学説として唱え、通説となっている「8月革命説」です。

 統治権の根源としての「主権」の最も根本をなすものは憲法制定権力です。ポツダム宣言の受諾とその公表により、それは天皇から国民に移ったのです。それは剥奪されたわけでもなければ制限されたわけでもありません。現実には、日本政府は、ポツダム宣言受諾と公表後も、その意味を正しく理解できないまま、国民に移行した憲法制定権力を抑えこもうとし続けたのです。

 佐伯さんは、間接占領により独立国家としての国際法上認められる諸権利が制限されたことをもって「主権」が剥奪されたと誇張し、さらにそれとは全く別の次元の概念である憲法制定権力さえも剥奪されたと脱線しているのです。佐伯さんは、現行憲法の生まれの秘密を暴露してやったと、一人悦に入っているのかもしれませんが、こういうのを空騒ぎというのでしょうね。

 佐伯さんには、ポツダム宣言、占領、占領下における日本の統治構造などもう少し厳密に分析するべきことと、占領下で「主権」が剥奪されていたなどというアジビラ調の独断ではなく、学者らしく「主権」概念を整理し、情緒ではなく理性に働きかける議論を展開していただくことを期待することにしましょう。

 ところで放送法によりテレビ・ラジオは、政治的に公平であること、意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることが義務付けられます。これは公共の電波を利用することからくる制約として課せられたものです。しかし、新聞には、そのような義務も制約もありません。実際、自由民権運動とともに生まれた新聞は、政治的立場や社会問題に対する視点を旗幟鮮明にすることで読者獲得を競い合ってきました。新聞には色がついていて当然なのです。安易なレッテル張りは好みませんが、全国紙に対する世の評価は、「朝日」、「毎日」は中道左派、日経は穏健保守、読売は穏健右派、産経は急進右派というところでしょう。

 しかし、最近、「朝日」は、巧妙にバランスをとることが目立ちます。これは新聞としての生き残りのための戦略的転進なのでしょうか。「朝日」は、二つの吉田問題以後、取材と記事の正確さのための自己研鑽に努めるということよりも政治的立場や社会問題に対する視点をぼかし、両論併記を多用するようになりました。

 コラム「異論のススメ」の執筆者に佐伯啓思さんを加えたのもその一例といっていいでしょう。しかし、こうしたマヌーバで、失地回復を図ることはできないのではないでしょうか。私は、「朝日」の最近の傾向を深く憂慮しています。

 最後に、9日付の「朝日」夕刊「終わりと始まりと」に載った作家の池澤夏樹さんの文章についてコメントしておきたいと思います。池澤さんは、日本国憲法について①占領軍が密室で書いて受け入れを強要した、②その内容の多くは日本人に書けない良いものだった、護憲派は、②を重視して、①をないことにしてきたが、①を重視して、左折の改憲を考えるべきかもしれない、などと述べています。

 池澤さんには、左折の改憲を考える前に、①の占領軍が密室で書いて受け入れを強要したものだとの主張をよくよく吟味された方がよろしいのではないかと申し上げたいと思います。これは佐伯さんの主張と本質的に同じですよ。佐伯さんは右から言ったことを、池澤さんは左から言いかえているに過ぎないのではないでしょうか。GHQ草案起草の「密室の9日間」は、天皇から国民に移った憲法制定権力を、国民が行使するのを時の政府が押さえ込んだために起きてしまったことなのです。

 池澤さん、②の日本国憲法の内容の多くは日本人に書けない良いものだったというのも少し違いやしませんか。GHQ草案は、高野岩三郎や鈴木安蔵らの憲法研究会が起草した憲法草案がモデルとなっていますし、当時の日本政府の中にあっては異色の平和主義者であったといってよい幣原喜重郎の影響も無視できません。さらにGHQ草案から憲法典になるまでには、日本側で真剣に審議されて純日本製にバージョンアップされ、世論の絶大の支持を受けているのです。

 池澤さん、左折の憲法改正などというとカッコいいですが、結局は、右折の憲法改正に吸収されるのがオチでしょう。池澤さんは、外国の軍隊、施設は許可されないというようにする条項を盛り込む憲法改正に言及されていますが、それなら安保条約を破棄したらいいのです。そのように国会で決議できる力を国民が持ってないのに左折の憲法改正なんて、ドンキホーテではないでしょうか。  (了)

(注)
 1945年8月9日、長崎原爆投下とソ連参戦という緊迫した状況下で行われた御前会議で、日付線をまたぎ8月10日に至りようやく条件付ポツダム宣言受諾に決し、日本政府は、下記の条件付受諾申入れを中立国経由で連合国に発した。

 「帝国政府ハ1945年7月26日『ポツダム』ニ於テ米、英、支三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」

 これに対して、連合国を代表して、バーンズ米国務長官が発表した回答書の中に以下のとおりしたためてあった。

 “ From the moment on surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.”

 日本政府は、14日の御前会議で、これを前提にポツダム宣言を最終的に受諾、降伏決定をした。

 なお上記のbe subject to~については、当時、外務官僚が、軍部強硬派を刺激しないように、「~の制限の下におかれる」とあたりさわりがないように苦心の訳をほどこしたが、陸軍官僚が、これは「~に従属する」と訳すべきだと見破って、ひと悶着したというエピソードが残っている。
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2018年1月、弁護士リタイア。41年間の弁護士生活にピリオドを打ちました。深草憲法問題研究室
‶これからも社会正義の話を続けよう”

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