小川和久氏の参考人陳述批判(2)

 「保安隊が自衛隊へとドラスティックに変更されたことに比べれば、昨年7月の閣議決定は解釈改憲にはほとんど抵触しない。安倍政権は日本的議論を整理して日本の安全を確立しようとしており高く評価する。」

 小川氏は、『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書。以下単に「著書」という。)の中でも、1950年代における政府の解釈改憲について詳しく述べている。彼の「著書」も参照しながら、上記陳述がいかに一面的であるか見ていきたい。

 当時、今の安倍首相と同様の役回りを演じたのは吉田茂元首相であった。だが、安倍首相は、軍事大好き人間、自ら主体的に率先して解釈改憲の道を突っ走っているのに対し、吉田元首相は、アメリカの有無をいわせぬ要求に押し切られ、逐次再軍備への道に踏み出し、乙女のごとく恥じらいつつ、あるいはためらいつつ、解釈改憲を進めることを余儀なくされたのであった。

1950年代解釈改憲の道程

 吉田元首相は、帝国憲法改正=日本国憲法制定のために招集された最後の帝国議会(第90帝国議会)の衆議院本会議で、憲法9条について、自衛権を否定するものではないが、第2項において、一切の軍備と保持しない、交戦権は認めないと定めてあるから自衛権の発動としての戦争も認められないと断じた。日本共産党の野坂参三議員から自衛のための戦争まで放棄することの是非を問われ、近年の戦争は自衛を標榜したなされたのであり、自衛のための戦争を認めることは有害であると論じた野坂・吉田ディベートを知らない人はいないだろう。

 その「絶対平和主義者」吉田元首相に、乙女の恥じらいとためらいを味あわせたのは、朝鮮戦争勃発2週間目の1950年7月8日付のGHQ最高司令官マッカーサーから吉田元首相に宛てた1通の書簡であった。そこには「7万5,000名の国家警察予備隊の創設と,海上保安庁既存定員の8,000名増加に必要な措置をとることを許可する」としたためてあった。勿論、これは日本政府が自主的にとろうとする施策を許可するというのではなく、日本政府への指令である。このあまりにも有名なマッカーサー指令を、小川氏は、「著書」中で、文字どおり「許可」と紹介している。これをもって、小川氏に歴史改ざんの意図ありと断じるのは酷であろうか。

 吉田元首相は、再軍備の第一歩であったこの警察予備隊について、国会で追及されるや、その目的は治安維持であり、その性格は「警察力を補うため」の組織で軍隊ではないと述べた。駐留米軍が朝鮮戦争に出役することにより「間接侵略」への備えであり治安維持が目的の警察組織だと言い逃れをしたのである。憲法9条への抵触の可能性を形式論理によって糊塗したと言ってよい。

 ついで吉田元首相は自ら全権代表として、サンフランシスコ平和条約と旧安保条約に調印してきた後の1951年10月16日、旧安保条約で独立が達成された後も米軍の駐留を認め、基地提供を続けることについて「国が独立した以上、自衛権は欠くべからざるものであり、当然の権利である。この自衛権の発動の結果として、安全保障条約を結ぶのは当然のことである。」と言明するまでに至った。

 1952年10月、警察予備隊は保安隊にグレードアップされる。その目的は「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護する」とされ、「警察力を補うため」との性格規定の文言は廃された。吉田元首相は、保安隊は憲法9条に違反するとの野党の追及に対し、一旦は、憲法9条は自衛のための戦力の保持は禁じていないと大見え切った(1952円3月6日参議院予算委)ものの、世論の猛反発の前に、4日後、たとえ自衛のためであっても戦力を持つには憲法改正を要するが、保安隊は戦力ではないから憲法9条に反しないと言いなおした(同月10日参議院予算委)。その振幅の大きさは、逆に、再軍備の推進者が誰であるかを示すものであったと言ってよい。

解釈改憲の限界と歯止め

 自衛隊の発足は1954年7月。遮二無二再軍備をせかせるアメリカの要求と吉田元首相がこれに屈し、追随していく過程は、再軍備反対の国民的運動の高揚をもたらし、政権基盤の弱体化をもたらす過程でもあった。吉田政権末期には、こうした国民的運動の高揚に押されて、今日まで重要な意味をもつ政府見解が打ち出されている。一つは自衛権行使3要件、もう一つは憲法9条の下では集団的自衛権は認められないという見解である。ここに解釈改憲の限界と歯止めが設定されているのである。

(自衛権行使3要件)

 「いわゆる自衛権の限界は・・・たびたび述べておりますように急迫不正の侵害、即ち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないこと、さらに必要最小限度それを防御するために必要な方法をとるという三つの原則を厳格なる自衛権行使の要件と考える。」(1954年4月6日衆議院内閣委員会・佐藤達夫法制局長官答弁)

 この見解は、その後幾度となく、国会において、また政府実践において確認され、「自衛権行使3要件」と呼ばれることとなった。「自衛権行使3要件」を整理すると以下のとおりである。

①わが国に対する武力攻撃があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

(集団的自衛権の否定)

 「平和条約でも、日本国の集団的、個別的の両者の自衛権というものは認められているが、しかし、憲法の観点から言えば、憲法が否認していないと解すべきものは、既存の国際法上一般に認められた固有の自衛権、つまり、自分の国が攻撃された場合の自衛権であると解すべきである。集団的自衛権、これは換言すれば、共同防衛又は相互安全保障条約、あるいは同盟条約ということであって、つまり、自分の国が攻撃されてもいないのに、他の締結国が攻撃された場合に、あたかも自分の国が攻撃されたと同様にみなして、自衛の名において行動するということは、一般の国際法からはただちに出てくる権利ではない。それぞれの同盟条約なり共同防衛条約なり、特別の条約があって初めて条約上の権利として生まれてくる権利である。ところが、そういう特別な権利を生み出すための条約を日本の現憲法下で締結されるかどうかというと、できない。(中略)日本自身に対する直接の攻撃あるいは急迫した攻撃の危険がない以上は、自衛権の名において発動し得ない。」(1954年6月3日衆議院外務委員会下田武三外務省条約局長)

 自衛権行使3要件のコロラリーとして集団的自衛権は認められないことがはっきりと示されている。

1950年代解釈改憲の完成 

 1950年代の解釈改憲は、吉田政権崩壊後、自主防衛・自主憲法制定を党是とする日本民主党総裁鳩山一郎を首班とする鳩山内閣において完成した。

(鳩山内閣統一見解・・・1954年12月22日衆議院予算委・大村清一防衛庁長官の答弁)

 第一に、憲法は、自衛権を否定していない。自衛権は、国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。したがって、現行憲法の下で、わが国が、自衛権を持っていることは、極めて明白である。

 第二に、憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。

① 戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。

② 他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。したがって、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。

 小川氏も指摘するように1950年代に、アメリカの再軍備要求のゴリ押しに屈して推し進められた再軍備過程で、時の政府は、ドラスティックに憲法9条の解釈改憲をした。しかし、そこには明確な限界と歯止めが設定されていた。鳩山内閣統一見解で完成することになったいわゆる自衛隊合憲論は、許されざる解釈改憲ではあったが、「自衛権行使3要件」とそのコロラリーである「集団的自衛権否定」とワンセットとなったものであった。爾来、その下で専守防衛原則が連綿として守られてきたと言ってよい。それによって辛うじて憲法9条・平和憲法の命脈が保たれてきたのだ。

安倍政権の愚行

 しかるに安倍政権の7.1閣議決定は、安全保障環境の激変なるお題目を唱えて、いとも簡単に集団的自衛権行使を認めてしまった。確かにそれは日本的議論の整理であったかもしれない。しかし、その日本的議論の核心は、憲法9条の下では、「自衛権行使3要件」に基づく自衛権の行使しか認められず、従って「集団的自衛権」は認められないという憲法の規範的拘束を厳格に守るというものであった。それを切り捨てた安倍政権は、立憲主義と法の支配を否定してしまったのである。

 これは憲法9条にとどめをさす解釈壊憲以外のなにものでもない。
                              (続く)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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