小川和久氏の参考人陳述批判(3)

「集団的自衛権の行使か、日米同盟を解消し独自の防衛力を整備するか、の選択肢しかなく、今のレベルの独自防衛には防衛大学の教授の3年前の試算で23兆円が必要とされる。これは選択の余地なしである。」
「同盟を選択した以上集団的自衛権は認めざるを得ない。集団的自衛権は戦争抑止のための制度である。」


 上記は小川氏が参考人陳述で最も力説したポイントである。日本の安全保障政策の基本は、日米同盟の維持か、日米同盟の解消・自主防衛かという二者択一の選択肢しかない、仮に日米同盟の解消・自主防衛を選択すると年間23兆円ものコストを要することになり、到底その負担には耐えられない、従って日米同盟の維持しかないが、日米同盟維持のためには集団的自衛権を認めるのは当然のことである、と言うのである。

 前回紹介した『在日米軍―軍事占領40年目の戦慄―』(1985年3月・講談社)では、小川氏は、社会党が提唱していた非武装中立論にシンパシーを持ちつつ、「闘争心という人類の属性と世界の現状」を考えるとき、それはとり得ないとして、「スイスやスウェーデンのような武装中立国家」こそ日本のとるべき道だとの考えを示していた。小川氏は、少なくとも当時は、非同盟・中立主義の立場で最小限度、自国防衛(専守防衛)の限りで軍備を保持することを是としていたのであった。その小川氏が、一体どのような思想的遍歴の結果、日米同盟至上主義に立ち至ったのかは興味深いテーマである。その点はさておき、彼の歩んだ道は、彼にとってまっすぐな登り坂であり、外交・安全保障・危機管理の分野でときどきの政府の政策立案に深く関わり、「軍事に関する専門家」としての地歩を踏み固めてきたものであったことは確かであろう。

「日米同盟解消によるコストは年間23兆円」はブラフの類

 小川氏は、日米同盟解消によってもたらされるコストは年間23兆円だと述べ、国民に思考停止を強要しようとしているのであるが、その論拠としているのは、武田康裕・武藤功『コストを試算!日米同盟解体』(2012年6月・毎日新聞社)である。
 同書の著者らは、防衛大学校教授であり、防衛大学校安全保障研究会のメンバーであり、強固な現体制維持派であるから、実証的に、日米同盟維持と日米同盟解消・自主防衛選択の場合のコストを比較し、日米同盟維持のコスト面における優位性を論証しようとしたのであろう。
 同書において、日米同盟解消によりコストがどれだけ増加するかという計算は、(日米同盟解消・自主防衛の場合の直接経費増加分)+(同盟解消・自主防衛の場合に発生する経済的損失)-(日米同盟維持に要している直接経費)-(日米同盟維持に要している間接経費)によって示されている。同書が示すこの計算の詳細については、別途十分に読み込んで、検討する必要があるが、ざっと見た限りでも以下のように問題点を指摘することができる。

 第一に、日米同盟解消・自主防衛に必要な直接経費として①島嶼防衛能力の強化に2993億円、②空母機動部隊の保持に1兆7676億円、③戦闘機に1兆1200億円、④敵基地攻撃能力のための情報収集衛星に8000億円、⑤民間防衛組織の強化に2200億円を見込んでいるが、これらは専守防衛の範囲を超える軍備増強であり、憲法9条の規制のない普通の国の軍備に転換しようとするものである。

 第二に、日米同盟解消・自主防衛を選択した場合の間接経費として①貿易の縮小によるGDPの縮小が6兆8250億円、②株・国債・為替の下落により12兆円、③エネルギー価格の上昇1兆~2兆5000億円をコスト増要因として計上しているが、いずれも日米同盟解消との直接的な因果関係があるものかどうか不明であるし、推測の域を出ないものと言ってよい。

 第三に、日米同盟維持の場合の直接経費である在日米軍関係経費を4374億円としているが、本当にこれだけにとどまっているのであろうか。これは全体から見ると些少な部分であるが、こういうところがおろそかにせず財政学の専門家によるチェックが必要である。

 第四に、日米同盟維持に要する間接経費を1兆3824億円と計上しているが、在日米軍施設が存在する場合と返還された場合との経済効果の差し引き勘定や在日米軍施設の存在よってもたらされる被害額、自立した中立国家となった場合に国際社会で得られる信頼度の変化とそれの経済効果なども、検討の余地があるように思われる。

 かつての小川氏なら、こういう検討を自ら行った筈である。しかるに小川氏は、それを丸呑みしてしまい、オーム返しにして、国会における参考人陳述で、国民に対し、ブラフを投げつけたのである。これがかつての武装中立論者小川氏の現在の立ち位置である。

「日米同盟を選択した以上集団的自衛権は当然」か?

 私は、小川氏のブラフにかかわらず、日米同盟解消にチェンジして行くべきだと考える。しかし、それは急激にはできないだろうから、次のような段階をふむべきである。まず、日米同盟のもたらす弊害の極小化を図り、国家主権の自主・自立性を漸次的回復することに努力を傾注する(たとえばドイツ、イタリア、韓国の例を参考に、地位協定を全面的に改訂するとか在日米軍施設の整理縮小を図る。)。それと並行しつつ尖閣・竹島問題の平和解決、日ロ平和条約締結による北方領土問題の合意・解決、さらには東アジアにおける包括的な平和を確立するために、プロアクティブ・コントリビューション・ツー・ピースという「衣の下に鎧」のごとき積極的平和主義ではなく、軍事を極小化し、世界の人民の平和的生存権の擁護、世界の人民の構造的暴力からの解放、人間の安全保障を旨とするポジティヴ・パセフィズムとしての積極的平和主義を提唱して、憲法九条による平和外交に徹する。しかる後に、国際情勢の変化、潮時を見計らって、日米同盟の解消・を提起する。

 さて話が少し横道にそれたが、小川氏が参考人陳述で断言したごとく、日米同盟を選択した以上は、集団的自衛権は必然のことなのだろうか。小川氏がそのようにいう根拠は、参考人陳述では論じられていないが、彼の著書(『日本人が知らない集団的自衛権』文春文書)を参照するとわかる。彼は、同盟関係とは相互防衛体制であり、当然に相互に集団的自衛権の行使しあうことを約束しあうものだというドグマに固執しているのである。その上で、小川氏は言う。わが国は、米国のために在日米軍施設を供与することによって既に集団的自衛権を行使しているのだ、と。

 しかし、小川氏の主張は、あまりにも大雑把すぎる。まず同盟関係といってもいろいろな成り立ちがあり、またその関係形成に至った状況を反映して、千差万別、決して普遍的内容を持つものではない。日米同盟に即して言えば、占領体制の事実上の継続としての旧安保条約下の関係、わが国の施政権下にある地域における共同防衛を謳った現行安保条約下で1990年代まで維持された関係、1990年代以後アジアから世界に展開する米軍の支援に踏み込んだ安保再定義路線上の日米同盟、そして今、安倍政権が世界における米軍との共同作戦行動に踏み出そうとしている新たな段階の日米同盟というように、各段階に応じて個別的に検討しなければならない。しかるに、小川氏は、それらをいっしょくたにしているのである。

 国際法上、集団的自衛権をどう捉えるかについては既に当ブログで述べたところであるから繰り返さない(たとえば『フルスペックの集団的自衛権も限定的な集団的自衛権も単なる言葉の綾である』http://t.co/vUUMCoKWc8を参照されたい。)。

 少なくとも国際法上の集団的自衛権は、他国に対する武力攻撃の存在とそれに対する反撃としての武力行使が必須の要素であり、在日米軍施設の提供だけでは集団的自衛権の行使とはみなされない。またこれまでは米国に対する武力攻撃があってもわが国が武力行使に踏み出すことはなかった。

 日米同盟という言葉が、公式の場ではじめて用いられたのは、1979年5月末のこと。訪米した大平正芳首相が、ホワイトハウスの歓迎式典でのスピーチではじめて用い、カーター大統領の会談でも用いた。次いで次の鈴木善幸首相が1981年5月に訪米したときに初めて日米共同声明に盛り込まれた。それ以前は、日米関係とか日米安保体制という言葉が用いられていた。鈴木首相は、記者会見で、日米同盟という言葉には軍事同盟という意味はないとコメントし、当時の外務省高官に安全保障の素人呼ばわりされたというエピソードもある。
 同盟と言っても千差万別である。そのことを無視して、小川氏が、国会の参考人陳述の場で堂々と極論を披歴し、安倍政権の集団的自衛権行使容認を称えたことは、わが国が、今、とりかえしのつかない道に踏み込もうとしていることのグロテスクな象徴である。
                             (続く)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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