「ある外交官の証言」 戦後政治外交史こぼれなし―その4

 今回は、ある外交官の証言に注目してみた。ある外交官とは、故中島敏次郎氏。1977年1月当時外務省条約局長。同年9月北米局長になり、その後外務審議官を経て、中国大使。外務省退官後は、最高裁判事に就任している。外務省のほぼ頂点をきわめた人である。
 
 私が注目したのは中島敏次郎『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店・2012年1月27日第1刷発行)中に採録された以下の証言である。

(問い)
 1977年1月、米国でカーター(Jimmy Carter)政権が始動します。カーター政権は、在韓米軍撤退の政策を掲げて、日本はじめアジア同盟国に動揺を与えます。
同年3月のワシントンにおける日米首脳会談でも、福田赳夫首相はこの問題に対する慎重な対応を働きかけております。当時の日本政府の対応についてお聞かせ下さい。
(中島)
  「カーターさんは、もともと誰も大統領になると思っていなくて、選挙のとき笑い話で、“Jimmy Who ?”と言われた方でした。強力な政治家がうまく出てこなかったところに、うまいこと飛び出したのだと思います。それで彼は在韓米軍撤退政策をぶちあげたのですが、あの人は海軍の軍人でしたので、妙にプリンシプルなことにこだわるところがありました。しかし、南北朝鮮の対立が続いていた時代ですから、簡単にそうなっては困るというので、いろいろな方面から反対論が出てきて、結局取り下げになったという経緯があります。
 私自身も取り下げることになって幸いだったと考えています。日本も思いとどまらせようとしたのでしょうけれども、その際にいかなる論理を組み立てたのかというのは、要するに、朝鮮半島情勢は依然として流動的であり、そういうときにアメリカが引く話になったら、アジアにいろいろ波紋が起こりますよと説得したのだと思います。
 もともと、朝鮮半島は、アメリカのアチソン(Dean G. Acheson)が、シベリアのほうから日本と朝鮮の間に防衛線があるという演説をやって、そのことが北朝鮮の南進による朝鮮戦争勃発の一つの契機になりました。そのためにうっかり防衛線の変更みたいな話を責任ある人がやると大変なことになるという国際社会の教訓があり、その頃を知っている人間は誰しも、再び北朝鮮を刺激して、朝鮮戦争で生々しい事態が起こることを非常に心配したわけです。それで結局、国連軍の代表があそこにいて、静かな情況が継続したことで 、ある意味ほっとしたということだったと思います。
(問い)
 中島大使はじめ外務省事務レベルでは、具体的にカーター政権に対して撤退政策の反対を働きかけたということで何かご記憶がございますか。
(中島)
 どういう形でやったかは詳しく覚えていません。誰が乗り込んでいってどうしたという記憶はなく、おそらく在米の我が方の大使館がいろいろ働きかけたと思いますが、静かな格好でやったのではないかと思います。

第1の注目点

 1960年代から70年代は、米国が、ベトナム戦争とその後遺症に病んでいた時代である。カーターの前々任者の共和党ニクソン大統領は、就任間もなくの1969年7月、グァムでの記者会見で、非公式に新戦略・ニクソン・ドクトリンを発表した。それは、ベトナム戦争の泥沼化と、アメリカ経済の深刻な落ち込みを受けて、「(イ)米国は太平洋国家として今後もアジアにかかわりをもつ、(ロ)米国は従来の条約上の約束は今後も守る、(ハ)しかし米国は新しい約束はしない。アジアの安全保障はアジアの自主性を促がす範囲で米国は援助するに止める、(ニ)アジア地域が核の脅威をうけた場合を除き、米国は紛争に介入せず、アジアの互助と自立を促進させる。」とし、ベトナム戦争の収束とアジアに展開する米軍の整理、縮小、アジア諸国には自ら責任を果たさせるとの方向性を打ち出したものであった。カーターは、民主党候補として、ニクソン辞任後の1976年11月の大統領選挙で、副大統領から昇格した現職大統領のフォードを破り当選したのであるが、ニクソン・ドクトリンの延長線上において在韓米軍撤退を打ち出したものであろう。これは米国にとって、賢明かつ合理的で現実的政策であったと評価できる。
 しかるにわが国政府・外務省は、米国にこれを思いとどまらせるために、総力をあげて説得にあいつとめていたことを、故中島氏は、実にあっけらかんとその内実も含めて語っているのだ。
 このようなことをしたのであれば、わが国は、応分の役割分担に任ぜざるを得ないことになるのは当然である。カーター民主党大統領が1期で終わり、レーガン共和党大統領の時代になると、「日米軍事同盟」時代が幕開けとなったが、その端緒はこのあたりからであったのかもしれない。
 因みに日米同盟なる用語が、公式に用いられたのは鈴木善幸首相が1981年5月に訪米したときのこと。このときに初めて日米共同声明に盛り込まれた。その後、時はたち、今、日米同盟の深化を叫ぶ安倍首相の下で、わが国は、ついに違憲の集団的自衛権の封印を解き、米国とともに世界で一体となって戦う道に入り込もうとしている。まさに今昔の感がある。

第2の注目点

 以前から、朝鮮戦争勃発の要因の一つとして、ディーン・アチソン国務長官が、1950 年1月12 日ナショナルプレスクラブで行った演説で、アリューシャンから日本列島、琉球諸島、フィリピンに至る島嶼ラインの重要性を指摘したことがあげられていた。金日成に朝鮮半島には米国はコミットしないとの誤ったメッセージを送り、「南朝鮮解放」への決断に導かせたというのである。
 そのことを外務省のトップに近い故中島氏が公然と認めたのである。しかも単に話としてそうだと言うだけではなく、カーター政権に韓国から米軍撤退を断念させる論拠としたとのことのようだから、これは驚きである。
 ところで、このアチソン演説は、1948年3月初旬、皇室御用掛の寺崎英成が、昭和天皇の意向を戴して、GHQ顧問シーボルトを通じ米国務省に伝達された「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を、アメリカの防衛前線として確定すること」を要請した天皇メッセージといわれるものを彷彿させる。アチソンは、何故わざわざ「南朝鮮」を抜いたのであろうか。ミステリアスだ。
                                 (了)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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