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武力行使新三要件はタカの卵である

 托卵(たくらん)とは、卵の世話を他の個体に托する動物の習性のことであると説明されている。ホトトギスもこの托卵の習性をもっており、たとえばウグイスが卵を産むとその巣から一つの卵をくわえ出し、その巣に自分の卵を一つ産み落とす。ホトトギスの卵は、他のウグイスの卵より早くヒナになり、残ったウグイスの卵も巣の外に落としてしまう。そんなこととはつゆ知らぬ母ウグイスはホトトギスのヒナを、自分の子として育てるということだ。

 東大で憲法学を講ずる石川健治氏は、雑誌『世界』8月号で、インタビューに応じて、次のように語っている。

 卵をこっそり産み、結局は巣を乗っ取ってしまう―。集団的自衛権の問題はこのたとえにふわさわしいと思います。昨年7月1日に、政府は、集団的自衛権を小さく産み落とすことに成功しました。個別的自衛権行使の量的拡大にすぎないかのような体裁に見せて、実際には質的に異なるものを持ちこんだのです。
もちろん、いわゆる「新三要件」の起草段階では、公明党や内閣法制局の努力があって、既存の個別的自衛権の枠内に押さえ込もうとしました。しかし、集団的自衛権という産み付けられた卵は、ウグイスの子だと内閣法制局や公明党がどれほど言い繕っても、やはり着実にホトトギスの子として育っている。たとえば安全保障法制の議論をしてみると、何かといえば、地球の果てまで自衛隊が行ける話になってしまう。国内向けにはウグイスの子として育ててきたものの、やはりそれはホトトギスの卵だったのであって、大きく育ってウグイスの巣を占領しつつあります。

注:(武力行使)新三要件とは「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題する昨年7月1日付閣議決定で定式化された武力行使の要件(「①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であること、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力を行使すること」)であり、「国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合がある」と説明されている。

 なかなか巧みな説明である。その上、公明党と内閣法制局に少しは花をもたせてやろうという謙虚な姿勢に好感が持てる。しかし、それでも私は多少こだわってみたくなる。

 私は、武力行使新三要件とこれを存立危機事態として法制化しようとする「事態対処法案」と「自衛隊法改正案」は、もともと個別的自衛権に限りなく近い範囲の限定的な集団的自衛権の行使を容認するにとどめようというようなヤワな代物ではなかったと考える。

 国連憲章51条は、加盟国の「個別的又は集団的自衛の固有の権利」として認めた。しかし、国連憲章制定過程ではこの「個別的又は集団的自衛の固有の権利」の意義、目的、要件については何ら議論もなされてはいないし、規定もなされていない。

 国際法学者は、「個別的自衛の固有の権利」については従来から認められている国際慣習法上の自衛権とイコールであるが、「集団的自衛の固有の権利」については国連憲章において新たに認められることになった権利であると解し、前者を個別的自衛権、後者を集団的自衛権と呼び慣らわすことになった。諸国家も国連や関連機関も、そのように理解し、外交や国際紛争に対処してきた。

 こうした経緯から、個別的自衛権はその意義、目的、要件はおのずから明白で、おおむね以下のように整理されている。

 「自衛権は、国家または国民に対して急迫または現実の不正な危害がある場合に、その国家が実力をもって防衛する行為である。この実力行為は、右の危害をさけるためにやむを得ない行為でなくてはならない。」⇒具体的には「第一に、急迫または現実の不正な危害でなければならない。(以下略)」、「第二に、国家または国民に対する危害がなければならない。(以下略)」、「第三に、危害に対する防衛の行為は、危害を防止するために、やむを得ないものでなければならない。」
(横田喜三郎「国際法」上巻・1933年有斐閣)

 これは従来わが国政府が示してきた自衛権行使三要件(自衛権の発動としての武力行使は①わが国に対する武力攻撃があること、②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきことの要件を満たさなければならない。)と同じである。

 一方、集団的自衛権については当初からその意義、目的、要件は不明確なものだった。このため国際法学者の主流的な立場の人たちは、国連の集団的安全保障、即ち加盟国の武力行使を禁止し、国連安保理が平和の維持、安定のための措置をとることを旨とする体制を危殆に陥れないように、これを限定する趣旨で、他国に対する武力攻撃が同時に自国をも危うくする場合に、自国の自衛のために、この武力攻撃に反撃する権利であると解してきた。これを称して自国防衛説と言う。即ち、集団的自衛権は、もともと7.1閣議決定流の限定的なものとするのが国際法学上の主流的な立場だったのである。

 ところが現実には、集団的自衛権は、米国とその同盟国、旧ソ連とその同盟国など大国が、自国の国益を守り、そのヘゲモニー、イデオロギーを強制するために、侵略と干渉の道具として行使されてきたのであった。これが、今、フルスペックの集団的自衛権といわれているものの実情である。

 従って、武力行使新三要件がどんなに言葉巧みに限定的集団的自衛権の装いをこらしても、この道はいつか来た道、フルスペックの集団的自衛権への道なのである。実際に、武力行使新三要件の目玉とされる「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」との文言は多義的で不確定であり、総合判断を要するものであるもので、時の政府の判断に委ねることにならざるを得ない。

 武力行使新三要件は、鳥の卵のたとえを用いるなら、それはホトトギスの卵ではなく、タカの卵である。
                                                          (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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