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緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(4)

「王様も憲法に縛られる」が立憲主義か―その2 
 
 次いで日本の経験から。

 1988年4月、明治憲法草案が確定し、枢密院においてその審議が始まったのは同年6月18日からであった。

※参考 枢密院
 枢密院は、1988年4月30日公布された「枢密院管制及事務規定」によると、「天皇親臨シテ重要ノ國務ヲ諮詢スル所とされ、議長(1 名)・副議長(1 名)・顧問官(12 名以上)・書記官長(1 名)・書記官(数名)をもって組織することとなっている。なお、内閣総理大臣以下の各国務大臣は「其職權上ヨリ樞密院ニ於テ顧問官タルノ地位ヲ有シ議席ニ列シ表決ノ權ヲ有ス」とされている。
 審議事項は以下のとおり
 【枢密院の職掌】
 1 憲法及憲法ニ附屬スル法律ノ解釋ニ關シ及豫算其他會計上ノ疑義ニ關スル爭議
 2 憲法ノ改正又ハ憲法ニ附屬スル法律ノ改正ニ關スル草案
 3 重要ナル勅令
 4 新法ノ草案又ハ現行法律ノ廢止改正ニ關スル草案列國交渉ノ條約及行政組織ノ計畫
 5 前諸項ニ掲クルモノヽ外行政又ハ會計上重要ノ事項付特ニ勅命ヲ以テ諮詢セラレタルトキ又ハ法律命令ニ依テ特ニ樞密院ノ諮詢ヲ經ルヲ要スルトキ


 審議開始の冒頭、議長伊藤博文は、憲法制定にあたっては国家の機軸を確立しなければならず、長年にわたる歴史的蓄積と宗教的統合のない我が国においては皇室を統合の中心とし、君権を機軸せざるを得ない、これを制約するがごとき思想は採用しないと、明言した。

※参考 伊藤博文が枢密院の憲法審議開始冒頭に述べた憲法起草の大意
 「…歐洲ニ於テハ當世紀ニ及ンデ憲法政治ヲ行ハザルモノアラズト雖、是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ發カサルハナシ。反之我國ニ在テハ事全ク新面目ニ屬ス。故ニ今憲法ノ制定セラルヽニ方テハ先ツ我國ノ機軸ヲ求メ、我國ノ機軸ハ何ナリヤト云フ事ヲ確定セサルヘカラス。機軸ナクシテ政治ヲ人民ノ妄議ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、國家亦タ随テ廢亡ス。苟モ國家カ國家トシテ生存シ、人民ヲ統治セントセハ、宜ク深ク慮リテ以テ統治ノ効用ヲ失ハサラン事ヲ期スヘキナリ。抑、歐洲ニ於テハ憲法政治ノ萌セル事千餘年、獨リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、又タ宗敎ナル者アリテ之カ機軸ヲ爲シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ歸一セリ。然ルニ我國ニ在テハ宗敎ナル者其力微弱ニシテ、一モ國家ノ機軸タルヘキモノナシ。佛敎ハ一タヒ隆盛ノ勢ヲ張リ、上下ノ人心ヲ繋キタルモ、今日ニ至テハ巳ニ衰替ニ傾キタリ。神道ハ祖宗ノ遺訓ニ基キ之ヲ祖述スト雖、宗敎トシテ人心ヲ歸向セシムルノ力ニ乏シ。我國ニ在テ機軸トスヘキハ、獨リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ專ラ意ヲ此點ニ用ヒ、君憲ヲ尊重シテ成ルヘク之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。或ハ君權甚タ強大ナルトキハ濫用ノ虞ナキニアラスト云フモノアリ。一應其理ナキニアラスト雖モ、若シ果シテ之アルトキハ、宰相其責ニ任スヘシ。或ハ其他其濫用ヲ防クノ道ナキニアラス。徒ニ濫用ヲ恐レテ君權ノ區域ヲ狭縮セントスルカ如キハ、道理ナキノ説ト云ハサルヘカラス。乃チ此草案ニ於テハ、君權ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、敢テ彼ノ歐洲ノ主權分割ノ精神ニ據ラス。固ヨリ歐洲數國ノ制度ニ於テ君權民權共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス…。」


 しかし、憲法草案の審議が佳境に入った同月22日、伊藤博文は、森有礼(ありのり・初代文部大臣)が草案中の「臣民の権利」を定めた条章に反対し、臣民は天皇に対して分際と責任を有するのみだと述べたことに対して、以下のように反論している(丸山真男『日本の思想』岩波新書。開明派の森のために一言付言しておくと、森は、憲法による保障の有無にかかわらず人民の奪うべからざる権利は存在するとの天賦人権論を展開しており、彼の主張は必ずしも単純ではない。)。

 「森氏の説は憲法学及び国法学に退去を命じたるの説と言うべし。そもそも憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。故にもし憲法において臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法をも設くるの必要なし・・・臣民に無限の責任あり、君主に無限の権力あり、これ之を称して君主専制国と言う。」

伊藤は、一方で、皇室を国民統合の中心とし、君権絶対を説きつつ、他方で、臣民の権利を保障し、君権をこれにより制約すると述べているのである。これは矛盾しているが、明治憲法の二面性を如実に示しており、世に、これを評して、明治憲法を外見的立憲主義という所以でもある。

憲法学者にあってもこの前者の面を重視した穂積八束博士は憲法の定めるところに従って天皇大権の行使することを立憲主義と説いたのに対し、後者の面に焦点をあてた美濃部達吉博士は天皇大権を制限し、国民殊にその代表者としての議会を政治の中心におく考え方として立憲主義を標榜した(樋口陽一『憲法知の復権へ』(平凡社ライブラリー104頁以下)。京都帝国大学にあって憲法学を講じた佐々木惣一博士も、後者の面重視派であった。 同博士は、1918年に著した著書で、その立場から次のように述べている。

 「政治はもとより憲法に違反してはならぬ。しかも憲法に違反しないのみをもって、直ちに立憲だとはいえない。違憲ではないけれどもしかも非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実にこの点を注意せねばならぬ。違憲とは憲法に違反することをいうに過ぎないが、非立憲とは立憲主義の精神に違反することをいう。違憲はもとより非立憲であるが、しかしながら、違憲ではなくとも非立憲であるという場合があり得るのである。然されば、いやしくも政治家たる者は、違憲と非立憲との区別を心得て、その行動の啻に(ただに)違憲たらざるのみならず、非立憲ならざるようにせねばならぬ。彼の違憲だ、違憲ではないというの点のみをもって、攻撃し、弁護するがごときは、低級政治家の態度である。」
(『立憲非立憲』弘文堂書房)

 大正デモクラシー以後、後者の面重視派が、つまり君権制約・立憲主義派の見解が通説となり、政界、官界もこれに従っていたが、1930年代に入って急転する。これは「緊急事態条項」と密接に関連する問題である。
(続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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