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緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(15)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その3)

いわゆる2・26事件(承前)
 
 1936年2月26日、皇道派に属する青年将校が、指揮下の部隊を動員し、決起した。世に言う2・26事件である。
 彼らの決起は、北一輝の「天皇は全日本国民とともに国家改造の根基を定めんがために、天皇大権の発動によりて3年間憲法を停止し両院を解散し、全国に戒厳令を布く」(『日本国家改造法案大綱』)を実行しようとしたものであった。しかし、それは彼我の力関係や権力中枢部の動向を無視した無計画かつ無展望なもので失敗に帰することは火を見るより明らかな類の幼稚なものであった。
 2・26事件の深層に眼を向けるとき、その主役は、むしろ彼らと対立する統制派といわれた陸軍の実権派につながる幕僚将校グループであり、彼らのカウンター・クーデタ構想こそ注目されなければならないことがわかる。
 彼ら幕僚将校グループは、非常事態勃発とともに軍の主導の下に、国内事態の改善を図り、事態の推移において一部軍隊の反乱に立ち至れば速やかに戒厳を布き、外交、国防、政治機構、経済機構、社会政策、教育の各分野にわたる革新大綱を断行することを企図していた。

注:陸軍参謀本部第二部片倉衷( ただし)大尉を座長とする幕僚将校グループ作成の『政治的非常事態勃発に処する対策要綱』1934年1月)に、このことが明記されている。

 事態は彼ら陸軍統制派に属する幕僚将校グループの構想どおり進展した。同月27日、緊急勅令により戒厳が宣告され、反乱は同月29日に鎮圧された。しかし、それにもかかわらず、戒厳は継続され、反乱将校と民間人らに対する非公開・弁護人なし・一審限りの軍法会議を進め、刑の執行が終了した後の同年7月19日に至り、ようやく解除された。

注:陸軍軍法会議法によると、軍法会議の被告人となり得るのは陸軍軍人もしくは軍属であり、原則として所属する師団に設置される師団軍法会議が管轄を有することになっていた。また弁護人の付与、第二審の高等軍法会議への上訴も認められていた。しかし、2・26事件に関しては、「東京陸軍軍法会議設置に関スル件」なる緊急勅令が発令され、特設の東京陸軍軍法会議が設置され、そこで北一輝、西田税ら民間人を含め、いくつかの師団に分属する被告人全員を東京陸軍軍法会議で、一括して、一審限り、弁護人なし、非公開の下に審理・判決がなされた。これは陸軍統制派幕僚将校グループの手による上記カウンター・クーデタ構想をなぞった一大政治裁判と言ってよいだろう。

 その間、戒厳下において、2・26事件後に組閣された広田弘毅内閣は、軍部の要求に押され続け、軍部大臣現役武官制の復活により内閣の存亡は軍部の動向に帰することとなり、軍ファシズム体制の下でわが国は戦争の遂行と高度国防国家づくりに邁進することになった。その帰結は、明治憲法のどこをどう叩いても出てくる余地のない国家総動員法の制定であり、まさに明治憲法さえも乗り越える軍事独裁国家体制であった。

その他の緊急勅令悪用例として

 そのほか法案は議会で審議未了・廃案となったのに、議会閉会後に、法案どおり治安維持法を改悪した緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」(昭和3年6月29日勅令第129号)も、悪用もしくは濫用例として記憶に留めておきたい。

注:映画『武器なき斗い』(山本薩夫監督)において、主人公の労農党代議士山本宣治が、治安維持法改悪に反対して活動したことが活写されている。当時の雰囲気を知ることができる作品である。
(続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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