明治維新という時代

はじめに

 明治という時代のキーワードは不羈独立だといわれる。そうだとすれば、明治という時代が凝縮された明治維新という時代こそ、不羈独立という言葉が最もふさわしい時代である。
 不羈独立とは、なにものにも従わず、なにものにも縛られないことを意味している。自主独立と言い換えてもよいだろう。本来、この語自体に、プラスの意味も、マイナスの意味もなく、ニュートラルである。しかし、特定の状況において、プラスの意味を持ち、別の状況において、マイナスの意味を持つこととなる。

 これから『明治維新という時代』と題して書き綴っていく物語は、不羈独立もしくは自主独立の語が共通のキーワードである点以外は、相互に関連性はない。

 第一話『外国軍隊の撤退を求めた明治政府』では、草創期の明治政府を称える語として、第二話『ニワトリからアヒルの帝国軍隊』では日本帝国軍隊の暴走を非難する語として、第三話『大西郷は永続革命をめざしたのか?』は無私の人・西郷隆盛に畏敬の念を示す語として、この語がそれぞれ役割を果たしている。

 三話通して呼んで頂くと、『明治維新という時代』を、味わっていただけると思う。

本文の記述は、以下の参考文献を参照した。特に、23、24は全篇にわたり、20~22は第三話において、骨格と肉付けをなしている。このことをお断りして早速第一話にとりかかりたい。

参考文献

1.遠山茂樹『明治維新』(岩波現代文庫)
2.井上清『明治維新』(中公文庫『日本の歴史』20)
3.田中彰『明治維新』(講談社学術文庫)
4.鈴木敦『維新の構想と展開』(講談社学術文庫『日本の歴史』20)
5.岩波新書『シリーズ日本近現代史』①~③(井上勝生『幕末・維新』、牧原憲夫『民権と憲法』、原田敬一『日清・日露戦争』)
6.服部之総全集3『明治維新』(福村出版)
7.羽仁五郎『明治維新―現代日本の起源』(岩波新書)
8.藤田覚『幕末の天皇』(講談社学術文庫)
9.市村弘正編『藤田省三セレクション』(平凡社ライブラリー)
10.中島岳志編『橋川文三セレクション』(岩波現代文庫)
11.三谷博『明治維新を考える』(岩波現代文庫)
12.趙景達『近代朝鮮と日本』(岩波新書)
13.色川大吉『近代国家の出発』(中公文庫『日本の歴史』21)
14.瀧井一博『伊藤博文』(中公新書)
15.清水唯一朗『近代日本の官僚―維新官僚から学歴エリートへ―』(中公新書)
16.松本清張『象徴の設計』(文芸春秋社・松本清張全集17)
17.御厨貴『近現代日本を資料で読む「大久保利通日記から「富田メモ」まで」(中公新書)
18.田中彰『岩倉使節団「米欧回覧実記」』(岩波現代文庫)
19.石塚裕道『明治維新と横浜居留地―英仏駐屯軍をめぐる国際関係』(吉川弘文館)
20.坂野潤治『西郷隆盛と明治維新』(講談社現代新書)
21.毛利敏彦『明治6年の政変』(中公新書)
22.猪飼隆明『西郷隆盛―西南戦争への道―』(岩波新書)
23.萩原延壽『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』(朝日文庫全14冊)
24.アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新(上・下)』(岩波文庫)
 
 
外国軍隊の撤退を求めた明治政府(1)

 幕末から明治の初めにかけて、我が国に外国軍隊が駐留していたことをご存知であろうか。横浜に英仏駐屯軍が駐留していたのである。

 英仏駐屯軍のことのおこりをたどってみよう。

 安政5年というと西暦では1858年になるが、この年、幕府は、米英仏蘭露とあいついで通商条約を締結し、1859年6月から横浜、長崎、箱(函)を開港した。いよいよ我が国は、西洋列強と本格的に外交・通商を切り結ぶこととなった。

 しかし、これに孝明天皇と尊王攘夷派の少壮公卿・脱藩志向の横行武士らが激しく反発、世はまさに幕末激動の時代へと急転して行く。

 この激動の時代を、幕府は、後に安政の大獄と呼ばれることとなった強権政治で乗り切ろうとする。これに対して、尊王攘夷派は、テロルを以て応酬した。

 1859年以来、外国人や外国施設に対してもるテロルの嵐が吹き荒れた。ざっとあげると以下の如くである。

1859年 8月 ロシア軍艦の士官と水兵が殺害される(横浜)
      11月 フランス公使館の中国人使用人が殺害される(横浜)
1860年 1月 イギリス公使館で日本人通訳官が殺害される(江戸)
       2月 オランダ商船の船長ら2名が殺害される(横浜)
      10月 フランス公使館で公使使用人が襲われ、重傷を負う(江戸)
1861年 1月 アメリカ公使館書記官ヒュースケンが殺害される(江戸)
       5月 イギリス公使館襲撃事件(江戸)
1862年 5月 イギリス公使館で、護衛兵ら2名が殺害される(江戸)
1862年 9月 いわゆる生麦事件発生。イギリス商人3名が斬られ、1名死亡、2名重傷を負う(神奈川)
1863年 1月 品川御殿山に新築中で、竣工を目前に控えたイギリス公使館焼き討ちされ、全焼(江戸。この実行犯には、高杉 晋作、井上聞多・馨、伊藤俊輔・博文らが名を連ねていた。)

 これらの頻発するテロルによって横浜の外国人居留地に住む外国人は、不安な日々を送っていた。その頂点に達するのが、孝明天皇が将軍家茂に迫って約束させた攘夷実行の期日である1863年6月25日であった。

 幕府は、その前日、英仏米蘭などの諸国の公使に次のような通告をした。外国人追放令である。

「今本邦の外国と交通するはすこぶる国内の輿情にもとるを以て、更に諸港をとざし居留の外人を引き上げしめんとす。この旨朝廷より将軍へ命ぜられ、将軍余に命じてこれを貴下らに告げしむ。請うこれを領せよ。云々」(文久三亥年五月九日 小笠原図書頭)

 この通告文を読んで激怒した各国公使は、これは宣戦布告にも等しいと激しく抗議した。恐ろしい剣幕にへっぴり腰の幕府側は、これを実行するつもりはない、ミカドの真意に出たものではないので必ず撤回されるだろうなどと弁明に努めた。
 しかし、追い打ちをかけるように、6月25日に、長州藩が、下関海峡を通航していたアメリカ商船ベンブローク号を砲撃したとの報が入ってきた。
                           (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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