明治維新という時代

大西郷は永続革命をめざしたのか?(12)

(「征韓論本論」―1873年、留守政府での論議の経緯)
 
 副島が、既に述べたとおり、表向きは日清修好条規の批准書交換の目的、内実は台湾問題での談判の密命を帯びて、清国派遣特命全権大使に任じられたのは1873年2月27日、清国に向かったのは3月13日のことであった。
 ところが副島は、何ら任務を与えられていなかった朝鮮問題を、清国側と相当つっこんで議論していたことがパークス覚書によって認められる。

 この副島の動きに歩調をあわせるように、外務省が朝鮮問題に火をつけ始める。釜山・草梁の大日本公館に日本側責任者としてとどまっていた外務省7等出仕広津弘信(前出のパークス覚書に出てくる2名の下級役人の一人、もう一人はり、15等出仕束田伊良)から、同年21日と31日の二度にわたって、副島の留守を預かっていた外務省少輔上野景範宛てに、以下の内容(要旨)の報告書が提出された。

 昨年大日本公館として外務省に回収して以来、東京の三井組の手代が対馬商人に名義を使って商売をしようとしたことが、密貿易だとの朝鮮側の怒りを買い、現地の官憲の取り締まりが厳しくなっていたが、この度東莱府(とうらいふ・釜山における朝鮮側の対日窓口)が、公館の門に日本を侮蔑する内容の言葉を書き連ねた「伝令書」を掲示した。

 このうち31日付報告書には、束田が400字にも及ぶ漢文を、一見しただけで記憶にとどめ、その記憶に基づいてか再現したのだという「伝令書の写し」なるものが添付されていた。抜粋(原文をわかりやすく表記した。)すると以下のとおりであるが、この文書、そのような代物であることから、正確に「伝令書」の趣旨を伝えるものであるかどうか、保証の限りではない。

 「かれ(日本のこと)制を人に受くるといえども恥じず」「近ごろ、かの人(日本人)の所為を見るに、無法の国というべし」「すべからくこの意をもって、かの中(日本)の頭領の人を恫諭して、妄錯して事を生じ以て後悔あるに至らざらしめよ」

 これらの報告書を受けて、上野は、突如として、三条太政大臣に、閣議において朝鮮問題について審議することを求めた。三条は、同人と協議の上、次のような議案を閣議に提案した。
 議事録が残されていないので、明確に日にちを特定できないが、同年6月末から7月にかけてのことだと考えられる。

注:『明治天皇紀』三、丸山幹治『副島種臣伯』および『伊藤博文伝』上には、日にちが特定されていない。『大西郷全集』三の「年表」には「明治6年6月12日」とされているが、出典は不明である。学者からはいろいろな見解が示されているが、おおむね6月から7月と見る者が多い。ここでは報告書の到達期間を考えて、もう少し絞り、「6月末から7月にかけて」とした。

 これは副島がまさに朝鮮問題を、清国側と談判している時期に重なるが、単なる偶然の一致とは到底思えない。いずれにしても、三条自身がこのような内容にまとめて議案提出したのは、上野からの強力にネジを巻かれたからであろう。しかし、この議案の提出者はあくまでも三条である。


 (議案要旨)「朝鮮官憲が日本を無法の国とし、妄錯して事を生じ後悔させよなどという掲示をしたので、暴挙を起こし、日本人がどのような凌辱を受けるに至るかはかり知れない状態である。そもそもこれは朝威にかかわり、国辱ものである。もはや武力を用いて解決するほかはない。居留民保護のためにも、陸軍若干、軍艦数隻を派遣し、九州鎮台にて即応態勢をとり、談判に及ぶべきである。」

 閣議では、おそらく怒りの声が渦巻いたであろう。板垣が、居留民保護のために兵士一大隊を派遣せよ、これは正当防衛だとまくしたてる。大勢は原案支持に傾きかけた。
 それに対し、西郷は、ただちに軍隊を派遣するとかえって朝鮮官民の疑惑を招くので、まず使節を派遣し、公理公道に基づく談判をするべきだと反論した。
 すると三条も西郷の使節派遣論を支持しつも、使節は護衛兵を率い、軍艦に搭乗していくべきであると主張した。しかし西郷はこれにも反対し、兵は率いず、烏帽子直垂の正装を着し、礼を厚くして行くべきだと主張した。

 その結果、原案支持に傾いた大勢は、西郷の意見へと揺り戻された。

 では誰を使節とするのか。事の成り行きからすれば、当然、外務卿の副島になる。三条もそのつもりである。
 そこで西郷は、敢然と名乗りをあげた。副島が使節となることを阻もうとしたのである。副島は名だたる征韓論者であり、外交交渉ではく、軍事制圧さえをも構想していたこと、外務省をその強硬路線で固め、引っ張ってきたこと、これらはあきらかであった。そのようなに人物に朝鮮問題を任せるわけにはいかない。とすれば自分が名乗り出るしかない、そう西郷は考えたのである。
 なるほど筆頭参議たる西郷自らが遣朝使節になるとすれば副島を朝鮮問題から切り離すことができる。みごとではないか。

                         (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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