明治維新という時代

大西郷は永続革命をめざしたのか?(16)

(明治六年の政変)

(使節団全員帰国。役者は揃った。しかし・・・。)

 大久保にしても木戸にしても、三条の召還訓令により使節団の一行から離れて早く帰国したのに、全く生彩を欠く状態が続いていた。そこに残りの一行がようやく帰国してきた。それは9月13日のことである。役者は揃った。
しかし、それでも大久保、木戸は自ら積極的に動き始めたわけではない。

 精力的に動くのは伊藤である。9月14日、旅の疲れを癒す間もなく、伊藤は木戸のもとを訪れる。経緯を語れば長くなるので省略するが、木戸は、自分にとっては一番弟子ともいうべき伊藤に対し、使節団の中での同人の言動、特に対立関係にある大久保に同人が接近し過ぎていることに不満を募らせていた。それを察知しての伊藤の気配りだったのだろう。心憎いばかりだ。
 さすがに木戸も、その忠勤ぶりに相好をくずしたようだ。当日の『木戸日記』には「伊藤春畝来訪、欧州一瞥以来の事情を承了し、また本邦の近情を話す。」と記されている。

注:春畝(しゅんぽ)とは、伊藤博文の号。「欧州一瞥以来の事情を承了し」という微妙な言い回しに、木戸は伊藤に屈折した思いを持っていたことが察せられる。

 木戸は、翌15日、早速、伊藤宛てに手紙を書く。「(超訳要旨)自分は、岩倉からも留守政府からも信用されていないし、自分も彼らを信用していない、だから辞職したい。」と。一方、大久保のことにはひとことも触れられておらずなく、完全無視である。
 この気弱というか退嬰的というか、舞台から降りかかっているかつての千両役者木戸も、前述「小野組転籍事件」について、自説を吐露する手紙を立て続けに伊藤に送っている。彼は、これまた弟子の槇村らに対する裁判所の強硬姿勢によほど反感を抱いていたようだ。「(超訳要旨)こんなふうに身分ある官員を取り扱ったことは幕府でもなかった、裁判所など天下のためにも人民のためにもならないから廃止した方がよい。」と。

 岩倉も活動を再開する。同日、三条と面談、当面する問題を話し合った。その結果を踏まえであろうか、19日、岩倉は、パリで世話になった駐仏公使(中弁務使)鮫島尚信に書状を書き、当面する重要課題を自分なりに整理している。
その内容は以下のとおりである。
 
 「(超訳要旨)①井上、渋沢らの辞職、これにはいろいろ言われており心配だ。②島津久光の問題は一応おさまったがその進退が懸念される。③農民一揆は落ち着き、今年は豊作であるが、今後も心配なのでおだやかな改革にしたい。④台湾遠征はいずれやらねばならないが、すぐ着手とはならないだろう。⑤朝鮮征伐も同じ。⑥樺太におけるロシア側からの圧迫は放置できない。談判を始め、始末しなければならない。」

注:島津久光の奇行については「留守政府の栄光と混迷」のところで述べた。同人は、鮫島にとっては旧主君筋である。
 
 注目すべきことは、これによると岩倉は、外交案件では、ロシアによる樺太圧迫問題を最重問題と考え、すぐにも交渉開始して始末すべきこととしている一方で、朝鮮問題については「朝鮮征伐」との位置付けをしつつ、いずれ着手する問題だとの認識を示し、西郷遣朝使節派遣問題に一言もふれておらず、そのことを当面解決すべき重要な課題だとは見ていないこと、である。
 
 いずれにしても大久保、木戸、岩倉の言動を見る限り、この9月中旬過ぎの時点で、朝鮮問題を重要問題としていたとは到底認められず、勿論、自説の開陳も一切なされていない。この時点で、10月に起こる政変を予知させるようなものは、微塵も認められないのである。
                             (続く)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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