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立憲君主制と象徴天皇制の間 (1)

これからしばらくの間、「立憲君主制と象徴天皇制の間」と題して、天皇や天皇制に関することを思いつくままに書いていくことにしようと思う。

私が、天皇や天皇制について、ちょっと突っ込んで考えてみようと思ったのは、昭和天皇独白録を読んでからだ。独白録は、1928年6月の張作霖爆殺事件に関連する田中義一首相とのやりとりに始まり、1945年8月14日ポツダム宣言受諾決定に至る約17年間のできごとを昭和天皇が回想して側近に語り、これを記録した文書である。

1946年2月から脳出血で倒れるまで2年程の間、宮内省御用掛として、昭和天皇に仕えた故寺崎英成氏の遺品中から発見され、遺族の希望で公開されたものである。初出は、文藝集住1900年12月号であった。現在は、文春文庫となっているので手軽に読める。

独白録は、読み物として非常に面白い。だが、面白いと言ってすましてしまうわけにはいかない重大な問題を含んでいる。

独白録は以下の文章で締めくくられている。

開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下における立憲君主としてやむを得ぬことである。もし己が好むところを裁可し、好まざるところを裁可しないとすれば、これは専制君主となんら異なるところはない。終戦の際は、しかしながら、これとは事情を異にし、廟議がまとまらず、議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。そこで私は、国家、民族のために、私が是なりと信ずるところに依て、事を裁いたのである。
今から回顧すると、最初の私の考えは正しかった。陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時においてすら無条件降伏に対し「クーデター」様のものが起こったくらいだから、もし開戦の閣議決定に対し私が「ベトー」を行ったとしたらば、一体どうなったであろうか。
(中略)
 私がもし開戦の決定に対して「ベト―」をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の命の保証もできない、それはよいとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、はては終戦も出来かねる始末となり、日本は滅びることになったであろうとおもう。
     (注:ベトー veto=拒絶)

昭和天皇は、立憲君主制をよりどころにして戦争責任を否定し、かりに日米開戦を拒絶をしていたら内乱勃発で、とんでもない事態になっていたであろうと開戦を承認したことをむしろ正当化しているのである。

明治憲法では、一般国務については国務各大臣が天皇を輔弼しその責任を負うと規定されているが(第55条)、統帥権の独立(第11条)と宣戦講和の大権(13条)が認められている。憲法上は、立憲君主というよりは専制君主に近いし、とりわけ昭和期に入ると神格化され、実態的にも到底立憲君主とは言えなくなっている。

私は、このような昭和天皇の弁明がはたして成り立つであろうか疑問に思った次第である。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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