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普通の軍隊に変貌する自衛隊 

 私は、2015年5月20日、当ブログにおいて、『専守防衛が堅持される?それほんまかいな~?』と題する評論を書き、戦争法案が成立すると、自衛隊の海外派兵=海外での武力行使は、必至となり、政府・自民党が、専守防衛は堅持されると言っているのは虚偽であることを論証しました。

 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-237.html

 http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-238.html

 その際、私は、海外での「武器使用」の範囲の拡大が、自衛隊の海外派兵=海外での武力行使の扉を押し開く一つの鍵であるとして、次のように論じました。

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(海外での武器使用の拡大)

① 政府見解では以下のとおり、武器使用と戦闘行為、武力行使とは異なる概念とされる(政府見解では、武力行使の定義が著しく狭いことに留意されたい。)。

・戦闘行為/国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為
・武力行使/①国家もしくは国家に準ずる組織に対する②組織的・計画的な戦闘行為
・武器使用/国家もしくは国家に準ずる組織が対象とならない武器の使用(自己保存、武器防護、治安活動・警護等任務遂行のための武器の使用)

② これまでの海外派兵時の武器使用の基本形は自己防護型と武器防護型であった。
⇒戦争立法ではこれを以下のように著しく拡大
イ 宿営地での共同自己防護
ロ 安全確保活動・駆けつけ警護活動における任務遂行のための武器使用
ハ 在外邦人の警護・救出任務遂行のための武器使用
二 重要影響事態での後方支援活動中に人員・物資・補給等の活動をする合衆国軍隊等の武器防護/その他海外自衛隊と連携してわが国の防衛に資する活動に従事中の合衆国軍隊等の武器等を職務上警護するにあたっての武器使用

③ これらが単なる武器使用にとどまらず、武力行使にあたる場合もある。かりにそうでなくともこうした武器使用の拡大により、敵対勢力の反撃から戦闘行為、武力行使に発展する(武力攻撃事態、存立危機事態を招き入れる)。

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 少し言葉足らずだったこの文章の趣旨を補う論文をみつけました。雑誌『世界』に連載された軍事評論家の前田哲男氏の『自衛隊変貌』と題する論文です(第1回・2016年12月号、第2回・2017年1月号、第3回・同3月号、第4回・同4月号)。
 その第2回(サブタイトルは『境界線を失う「武器の使用」と「武力の行使」』)及び第3回(サブタイトルは『「改正」自衛隊法の検証』)の中で、前田氏は、以下のように述べています(可能な限り短く要約しましたので、文意の正確性が損なわれているかもしれません。御容赦下さい。)。

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① 海外での武器使用の第一歩はPKO協力法であったが、そこで、部隊隊員は、「自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員の生命又は身体を防護するためにやむを得ない」場合に、小火器を使用することが認められた。
これは部隊隊員の自己保存権であり、憲法9条1項の「武力行使」ではないと位置付けられ、なおその趣旨を明瞭にするため、部隊の任務から、部隊の駐留、巡回、武装解除など国連が要請する「本体業務」は凍結された。その後の変化は以下のとおり。

・ 1998年のPKO協力法第一次改正により、部隊隊員の自己保存権としての武器使用は、個々の隊員の判断ではなく、原則として上官の命令によらねばならないこととされた。これにより部隊隊員の自己保存権は、部隊の自衛権という色彩を帯びることになった。

・ 2001年のPKO協力法第二次改正により、「武器使用」の要件は、「自己又は自己と共に現場に所在する他の隊員若しくは自己の管理に入った者の生命又は身体を防護するためにやむを得ない」場合と改め、さらに自衛隊法95条を適用し、「PKO部隊の管理の下にある武器等の防護」まで拡大された。
  この改正により、部隊隊員の自己保存権は、部隊の自衛権に完全に変容した。
  
  同時に、この改正において、部隊の駐留・巡回、武装解除など国連が要請する「本体業務」の凍結が解除された。
  
  これらにより「武力行使」と「武器使用」の境界線はあいまいとなった。

・ 2015年改正(「戦争法制」)により、駆け付け警護、宿営地共同防護のための「武器使用」が認められ、PKO業務として「保安のための監視、駐留、巡回、検問及び警護」が追加された。
  これらにより「武器使用」は、警告・威嚇型から突入・射殺を含むものに質的変化を遂げた。

② PKO協力法による海外における「武器使用」の創設・発展・変容・変質の流れは、周辺事態法、テロ対策特措法、イラク特措法を経て、今般の戦争法制に怒涛の如く流入する。

 周辺事態法、テロ対策特措法、イラク特措法では、派遣部隊の活動エリアは、対象区域は限定され、かつ後方地域、非戦闘地域に限られていた。重要影響事態法、国際平和支援法においては、そのような限定は取り払われた。

 さらに自衛隊法の改正により、平時から有事に至る切れ目のない米軍等の武器防護のめの「武器使用」、在外邦人等の保護措置のための武器使用が認められた。

 かくして、「武器使用」と「武力行使」の境界線は溶解し、「武器使用」なる迂回路を通って、自衛隊の海外派兵=海外における「武力行使」への扉が開かれた。

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 勿論、このような事態を確認したからといって、今般の戦争法制で、集団的自衛権を認め、真正面から海外派兵=海外での「武力行使」に打って出ようとする表通りの危険性・重要性を軽視していいというわけではありません。しかし、表通りだけを見ていると、事の本質を見失うこともあります。事態は、ここまで深刻となっていることをご理解下さい。

 軍隊はどんな小さな穴でもこじ開け、自己肥大を遂げようとする衝動に突き動かされるものです。軍隊とは、不羈独立へのはてしない野望を追い求めるものです。そういうことは、既にこの5月、私が、当ブログに連載した『明治維新という時代』の第二話『ニワトリからアヒルの帝国軍隊』で述べたところです。
 自衛隊も、憲法9条があるにもかかわらず、小さな穴をこじ開けて、ここまで来てしまいました。憲法9条を変えてしまえば、どこまで暴走するでしょうか。恐るべきことです。  
                                (了)
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南無父母無二仏  合掌

仏教聖典https://sptnkne.ws/dDF5

_はげみ_第一章さとりへの道_第三節仏のたとえ_第一項_雑宝蔵経

 遠い昔、棄老国と名づける、老人を棄(す)てる国があった。

その国の人びとは、だれしも老人になると、遠い野山に棄てられるのがおきてであった。

 その国の王に仕える大臣は、いかにおきてとはいえ、年老いた父を棄てることができず、深く大地に穴を掘ってそこに家を作り、そこに隠して孝養を尽くしていた。

 ところがここに一大事が起きた。

それは神が現れて、王に向かって恐ろしい難問を投げつけたのである。

 「ここに二匹の蛇がいる。

この蛇の雄・雌を見分ければよし、もしできないならば、この国を滅ぼしてしまう。」と。

 王はもとより、宮殿にいるだれひとりとして蛇の雄・雌を見分けられる者はいなかった。

王はついに国中に布告して、見分け方を知っている者には、厚く賞を与えるであろうと告げさせた。

 かの大臣は家に帰り、ひそかに父に尋ねると、父はこう言った。

 「それは易しいことだ。

柔らかい敷物の上に、その二匹の蛇を置くがよい。

そのとき、騒がしく動くのは雄であり、動かないのが雌である。」

 大臣は父の教えのとおり王に語り、それによって蛇の雄・雌を知ることができた。

 それから神は、次々にむずかしい問題を出した。

王も家臣たちも、答えることができなかったが、大臣はひそかにその問題を父に尋ね、常に解くことができた。

その問いと答えとは次のようなものであった。

 「眠っているものに対しては覚めているといわれ、覚めているものに対しては眠っているといわれるものは誰か」

「それは、いま道を修行している人のことである。

道を知らない、眠っている人に対しては、その人は覚めているといわれる。

すでに道をさとった、覚めている人に対しては、その人は眠っているといわれる。」

 「大きな象の重さはどうして量るか。」

「象を舟に乗せ、舟が水中にどれだけ沈んだか印をしておく。

次に象を降ろして、同じ深さになるまで石を載せその石の重さを量ればよい。」

 「一すくいの水が大海の水より多いというのは、どんなことか。」

「清らかな心で一すくいの水を汲んで、父母や病人に施せば、その功徳は永久(とこしえ)に消えない。

大海の水は多いといっても、ついに尽きることがある。

これをいうのである。」

 次に神は、骨と皮ばかりにやせた、飢えた人を出して、その人にこう言わせた。

「世の中に、わたしよりもっと飢えに苦しんでいるものがあるであろうか。」

「ある。

世にもし、心がかたくなで貧しく、仏法僧の三宝を信ぜず、父母や師匠に供養をしないならば、その人の心は飢えきっているだけでなく、その報いとして、後の世には餓鬼道に落ち、長い間餓えに苦しまなければならない。」

 「ここに真四角な栴檀の板がある。

この板はどちらが根の方であったか。」

「水に浮かべてみると、根の方がいくらか深く沈む。

それによって根の方を知ることができる。」

 「ここに同じ姿・形の母子の馬がいる。

どうしてその母子を見分けるか。」

「草を与えると、母馬は、必ず子馬の方へ草を押しつけ与えるから、直ちに見分けることができる。」

 これらの難問に対する答えはことごとく神を喜ばせ、また王をも喜ばせた。

そして王は、この智慧*が、ひそかに穴蔵にかくまっていた大臣の老いた父から出たものであることを知り、それより、老人を棄てるおきてをやめて、年老いた人に孝養を尽くすようにと命ずるに至った。

_________


*智慧(般若はんにゃprajna)
 普通に使われている”知恵”とは区別して、わざわざ仏教では”般若”の漢訳としてこの言葉を用いているが、正邪を区別する正しい判断力のことで、これを完全に備えたものが”仏陀”である。単なる知識ではなく、あらゆる現象の背後に存在する真実の姿を見ぬくことのできるもので、これを得てさとりの境地に達するための実践を、”般若波羅密はんにゃはらみつ”という。


南無父母無二仏 合掌
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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