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憲法9条は戦後日本のアイデンティティーである

 憲法9条の起源については、諸説ある。

 1946年1月24日のマッカーサー・幣原会談で、幣原首相が主張したものをマッカーサーがGHQ憲法草案に取り込んだという経緯は、まちがいないようである。 

 この経緯から、憲法学者や政治学者の中では、幣原・マッカーサー共同説もしくは幣原原因・マッカーサー決定説を唱える者が多いようである。

 しかし、私は、マッカーサーは受動的であり、幣原の主張こそが決定的であったと考える.。その理由については当ブログでも、既に、述べたことがあるので割愛する。

 たとえば以下をご覧頂きたい。

『立憲君主制と象徴天皇制の間 (26)』(2014年3月16日)
http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

『憲法九条は幣原喜重郎元首相の発案によるもの』(2016年8月28日)
http://tofuka01.blog.fc2.com/blog-entry-296.html


 幣原をしてそのように主張させたものは、なんだったのだろうか。

 憲法制定過程で、当時の国際法に基づいて、自衛のための戦争さえも放棄することを非として、憲法9条に異を唱えたのは日本共産党であった。それは近代知の最先端を行く主張であったと言ってよく、当時の議論としては正当であった。
 これに対し、提案者側の吉田茂首相をはじめ、政府当局者は、すぐる大戦によって壊滅的打撃を受けた日本の眼前の光景を思い浮かべ、いかなる名目の戦争も非であることを滔々と情熱的に訴えた。これまた日本国民の当時の言葉にならない思いを、正当に代弁したものであった。

 この論争は、9条の根源を、くっきりと浮かび上がらせている。それはまさに泥沼の十五年戦争をさまよい歩いた日本国民の原体験を、ストレートに表現したものなのである。日本共産党もまもなく見解を変え、9条を最も強固に擁護する立場に転じたことは賢明であった。
 幣原は、戦前、幣原外交の名で呼ばれた国際協調外交にコミットし、右翼・軍部から国賊とののしられて苦難の時代を過ごした人であった。その幣原が、たまたま憲法制定過程のとっぱなにおいて、首相という地位につき、この日本国民の原体験を、憲法の高み押し上げる一撃を与えることによって不朽の名声を得ることができた。人間万事塞翁が馬である。

 柄谷行人は、最近の著書の中で、憲法9条は無意識の問題であると主張している。彼は、フロイト心理学によりつつ、認識論のレベル、意識的な反省のレベルをこえる人間自然の情動によって、憲法9条を説明し、それを文化の問題へと格上げしている(『憲法の無意識』岩波新書)。

 柄谷の論の運び方には異論もあろうが、憲法9条を文化の問題にまで格上げしたのは卓見である。私は、これを戦後日本のアイデンティティーと見なしたい。

 柄谷は、同書で、以下のようにも述べている。

「政府・自民党は、ふだんは公然と九条の改正を唱えているにもかかわらず、選挙となると、決して九条改正を争点にしないのです。」

 このひそみに倣うと、都議選前に、憲法9条改憲を唱えた安倍自民党が、歴史的惨敗を喫したのも、まさに「むべなるかな」であった。

                  (了)
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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