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立憲君主制と象徴天皇制の間 (6)

高尚な学理の世界の話から、下世話な現実の話に目を向けてみよう。
日本国憲法において象徴天皇制が採用されることになった事情、天皇の日本国憲法上の地位・権限と現実に果たしている役割の問題である。

まずはその第一話、日本側が何を欲したかということから始めよう。

アジア・太平洋戦争における日本の敗北がもはや時間の問題となった1945年2月4日から11日までソ連・クリミア半島の保養地ヤルタに、米英ソの首脳、ルーズベルト、チャーチル、スターリンが集い、会談した。ヤルタ会談である。そこではヨーロッパにおける戦後処理の問題が話し合われ、合意を見るとともに、対日戦についても重大な密約が取り交わされた。
世にヤルタ密約と言われるもので、米英ソ三国は、ドイツ降伏後2ヶ月から3ヶ月のうちにソ連が連合国の側に立って対日戦争に参加すること、その条件として、南樺太領有権をはじめポーツマス条約によって日本がロシアから得た諸権益をソ連に返還させる、②千島列島をソ連に引き渡させることなどを確認しあったのであった。

日本国内においてもようやく、重臣の中から決定的な敗北を避けて和平に向かうべきことを唱える動きが表面化してきた。それが天皇の耳まで達したのは、同年2月14日、近衛文麿の上奏であった。
近衛は、敗戦はもはや必至として、「敗戦はわが国体の瑕瑾たるべきも、英米の輿論は今日までのところ国体の変革とまでは進みおらず・・・したがって敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存じそうろう。国体の護持の建前より憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起こることあるべき共産革命に御座そうろう」との長文でしたためた上奏文を天皇の前で読み上げた。

しかし、天皇は「もう一度戦果を上げてから出ないとなかなか話は難しいと思う」と述べて採用しなかった。内大臣木戸幸一によると、木戸自身も敗戦は不可避であり、皇室を救うためには和平が必要であるとの点では近衛と同意見であったが、それには軍部を巻き込んで進めなければならない、そのためには時期尚早と考えていたようである。

ソ連は、ヤルタ密約及び対日参戦意図を秘しつつ、ヤルタ密約に沿って着々と手を打って行く。
2月12日、佐藤尚武駐ソ大使(1937年2月から6月まで林銑十郎内閣で外相を務めた大物外交官)は、ヤルタ会談からモスクワに帰ってきたモロトフ外相と会見し、ヤルタ会談で極東問題が話し合われたかどうか問いただしたが、モロトフは「日ソ関係は、日本と英米との関係とは根本的に異なる性質のものである。英米は日本と戦争関係にあるが、ソ連は日本と中立条約を結んでおり、日ソ関係は、日ソの二国間の問題であると考える。これまでもそうであったし、これからもそうであろう。」と巧みに身をかわした。さらに佐藤大使が、日ソ中立条約の5年の期限が満了した後も、日本政府としてはさらに5年延長する方針であると水を向けると、モロトフは、日本政府の方針を聞いて満足した、これをソ連政府に伝えることを約束するとその場を取り繕った。

それから2ヶ月もたたない4月5日、ソ連は日ソ中立条約の破棄通告をした。同日、モロトフは佐藤大使を呼んで、「(条約締結後)ドイツはソ連を攻撃した。ドイツの同盟国である日本は、ソ連との戦争を遂行しているドイツを支援している。また、日本はソ連の同盟国であるアメリカ、イギリスと戦争をしている」「このような状況のなかで中立条約はその意味を失い、これを継続することは不可能である」「これにかんがみソ連政府は、中立条約第3条にもとづき中立条約を破棄することを声明する」との声明文を読み上げたのである。もっとも日ソ中立条約第3条によれば、破棄通告後も条約の満期が到来するまで(発効日から5年の1946年4月24日満了まで)は存続することが定められている。そこで佐藤大使は、この通告は何を意味するのかと説明を求めた。これに対してモロトフは「ソ連政府の条約破棄の声明によって、日ソ関係は条約締結以前の状態に戻る」と回答した。なにやら怪しげな回答であるが、形式的には日ソ中立条約はあと1年存続するものの、その締結の基盤・前提を失い、実質的にはその効力を失ったに等しい状態になったと見てよいであろう。

同日、小磯内閣総辞職。天皇は、固辞する元海軍大将にして侍従長・鈴木貫太郎を「もうお前しかいない。頼む。」と言って説き伏せ、内閣組織の大命降下をした。鈴木は、かって英米協調派の君側の奸の一人と目され、2.26事件で、決起将兵に襲われた際に、ひるまず「お撃ちなさい」と言って銃弾3発を浴びせられたと言われている。だが奇跡的に一命をとりとめ、以来、隠遁生活を送っていた。齢76歳の老人。誰がどう見ようと、同月7日に組閣された鈴木内閣は、敗戦処理内閣であることは明らかであった。

米国にあっては、同月12日、ルーズベルトが死去。副大統領のトルーマンが第33代大統領に就任した。米国内にあっても、鈴木内閣の成立を和平への秋波と受け止め、日本を条件付降伏に引き出そうとする「知日派」の動きも起きた。

日本の敗戦の舞台は整えられて行く。ところが日本は、やがてソ連を仲介者と頼んで、国体護持の一点を条件として、連合国と和平をしようという泥沼にはまりこんで行く。まさに悪女の深情けというべきか。

その過程の話は次回とする。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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