立憲君主制と象徴天皇制の間 (19)

「日本計画(最終草稿)」は、心理作戦共同委員会での検討過程で、当時、米国極東陸軍最高司令官・連合国軍南西太平洋方面総司令官であったダグラス・マッカーサー将軍に、意見照会がなされている。

マッカーサーからは、「プロパガンダ、対抗プロパガンダ、破壊活動、ゲリラ活動を含む日本に対する心理戦の計画は、明らかに最近イギリス政府からオーストラリア政府へと提案された共同政治戦計画に対応するものである」と評価し、連合国軍全体での調整の必要、現地文民政府の了解、経済戦や戦後計画との関連、軍事作戦との接合を説く回答が寄せられている。従って、マッカーサーも「日本計画(最終草稿)」の概略程度は知っていただろう。

さらに注目するべきことがある。一つは日本占領開始直後、その独自の人脈で、天皇側近と接触を持ち、あの昭和天皇独白録の仕掛け人となったボナー・フェラーズ准将によるマッカーサーに対する「日本計画(最終草稿)」の注入である。それは戦中に始まり、戦後にも引き継がれる。もう一つは、コールグローブその人とマッカーサーとの関わりであるが、これは戦後の問題である。

フェラーズに関してはジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」(岩波書店)において、占領軍の天皇制政策について「なかでも最重要人物は、マッカーサーの軍事秘書官であり、心理作戦の責任者でもあったボナー・フェラーズである」(下巻7ページ)と指摘されている。

フェラーズは、1896年生まれ、クエーカー教徒で、教団設立のリッチモンドにあるアーラム大学に入学。そこで日本から留学していた女性と親しくなり、ラフカディオ・ハーンを紹介されて、貪り読むようになった。同大学を中退して陸軍士官学校に入学し、1918年卒業後は、軍人として日本人の精神構造、心理など日本研究に打ちこみ、1935年には「日本兵の心理」なる論文を書いている。1936年、フィリピンに派遣され、フィリピン国軍創設のため軍事顧問を任じられていたマッカーサーのもとで働くことになった。このころ、マッカーサーは、フェラーズが書いた論文「日本兵の心理」を読んだようである。

1939年、陸軍大学を卒業、1940年、陸軍武官としてエジプトに駐在。エジプトはこのころ、ヨーロッパ戦線にあって、あの戦略情報局(OSS)長官ドノヴァンが最も力を入れていた北アフリカ上陸作戦の米国側拠点であり、心理作戦の専門家として腕を磨いたことであろう。その後、1942年7月から1943年9月までドノヴァン直近の戦略情報局(OSS)の心臓部である心理作戦計画本部に勤務した。ここでは当然「日本計画(最終草稿)」に精通したものと思われる。

フェラーズはその任についていた1943年2月2日付フェラーズのドノヴァン宛手紙によると「ほとんどの軍事的な努力がヨーロッパに傾注されるため、当面アメリカが極東で持つ唯一の武器は心理作戦である」としたためている。
フェラーズは、准将に昇進、1943年9月、オーストラリアのブリスベーンにあった連合国軍南西太平洋方面軍総司令部に統合計画本部本部長として赴任、司令官マッカーサーより「軍事秘書」としてその側近に起用され、期をおかずマッカーサーの命令で、司令部内に心理作戦部(PWB)という機関を創設、その部長となった。

日本軍と戦う南西太平洋方面軍にとって、ラジオやビラなどで対敵宣伝を行い、敵の士気を落として投降を促す心理戦は重要な戦術であった。マッカーサーはフェラーズの研究、経歴・実績を尊重して心理戦の責任者に据えたのである。

フェラーズは、心理戦を実戦の中に生かすについて、天皇をどう位置づけ、どう利用するかということを考え続けた。そして、以下のように定式化した。ここに、「日本計画(最終草稿)」の成果が生かされていることは明瞭に読み取ることができるであろうし、少し、後になるがフェラーズが友人の新聞記者に差し出した1945年7月21日付の手紙には「天皇を日本の精神的象徴と見なし、軍国主義者を一掃して、リベラルな政治を日本に要求してはどうだろうか。・・・戦争が終われば、日本は最もコントロールしやすい国になるだろう」と種明かしをしているのである。

・東条を首相として承認した以上、天皇には戦争責任がある。
・しかし、天皇の戦争責任を追及すれば日本人から猛反発を招く。日本人は天皇を絶対に疑わないからである。
・ 軍部が天皇をだましたという認識を広め、軍国主義者を一掃するのが最も賢明である
・天皇および国民と、軍国主義者との間にくさびを打ち込む心理作戦を行うべきである
・ 天皇に関しては攻撃を避け無視するべきである。しかし、適切な時期に、我々の目標達成のために天皇を利用する。天皇を非難して国民の反感を買ってはならない。
  
心理作戦部(PWB)が作成し、ジャングルに潜む日本兵に向けて飛行機からまかれたビラは実に2億2200万枚に及んでいる。その一例をあげると以下如くである。

「今日4月29日は御目出度い天長節であります。(中略) 戦争の責任者である軍首脳者はこの陛下の御誕生の日に戦捷の御報告申しあげる事も出来ず、むしろ自身の無能の暴露を恐れているでせう。軍首脳部は果して何時まで陛下を欺き奉ることができるでせうか。」

これらのビラの効験あらたかであったことは、フィリピン戦で投降した約12,800人の日本兵のうち、4分の3が、ビラを読んで降伏を決断したという調査結果に如実に示されている。

さて1945年8月30日、マッカーサーが厚木に降り立ったとき、フェラーズもひっそりとその後ろから付き従った。マッカーサーは連合国軍最高司令官(GHQ・SCAP)であり、その司令部GHQを率いて、勇躍、日本占領の第一歩を踏み出したのであった。そしてかの心理作戦部(PWB)は、GHQ・民間情報教育局(CIE)へと改組され、フェラーズの部下であったケン・ダイクが局長に就任した(以上のフェラーズに関する叙述は、多くは、東野真「昭和天皇二つの『独白録』」NHK出版に依拠している。)。

いよいよ、心理戦における天皇利用の幻のバイブル、否、脈々と実戦において生かされてきた天皇の利用という劇薬の処方箋「日本計画(最終草稿)」が占領政策の中に貫徹して行くことになる。その顛末を次に述べることとする。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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