スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

立憲君主制と象徴天皇制の間 (23)

1945年9月27日に行われたマッカーサー・天皇第1回会見の正式記録は、「朝日新聞」記者が情報公開法に基づき外務省に対して行った行政文書開示請求によって開示されることになった。

外務省は不存在を理由に不開示と決定をしたのであるが、2002年9月20日、不服申立てを受けた情報公開審査会が、不開示決定を取り消すとの答申をしたため、ようやく10月17日、開示した。
実は、朝日新聞の記者は宮内庁にも行政文書開示請求を行っており、こちらも不存在を理由に不開示としていたのであるが、一週間後、これに追随して開示した。存在しないものが突如として現われる摩訶不思議である。どちらが正本でどちらが副本かはわからないが、さすがは外務事務官、推測どおり、奥村は、公式記録を作成し、外務省と宮内省(当時)に提出していたのであった。

ところがである。開示された公式記録は、既に、作家児島襄が、文藝春秋1975年11月号に、入手経路を秘匿して掲載した「奥村勝蔵が手記した会見記録」と細かな相違が数箇所認められるもののほぼ同じものであった。
挨拶や雑談を除いて実質的意味のある部分のみを周辺のみ摘記してみよう。

(マッカーサーの滔滔たる20分に及ぶ陳述に続いて)
天 皇 この戦争については、自分としては極力之を避けたい考えでありましたが、戦争となるの結果を見ましたことは、自分の最も遺憾とするところであります。

マ元帥 陛下が平和の方向に持って行くため御軫念あらせられた胸中は、自分の十分諒察申上げるところであります。只、一般の空気が治々として或方向に向いつつあるときは、別の方向に向って之を導くことは、一人のカを以てしては為し難いことであります。 恐らく最後の判断は、陛下も自分も世を去った後、後輩の歴史家及世論によって下されるを俟つほかないでありましょう。

天 皇 私も日本国民も敗戦の現実を十分認識して居ることは申す迄もありません。今後は平和の基礎の上に新日本を建設する為、私としても出来る限りを尽したいと思います。

マ元帥 それは崇高な御心持であります。私も同じ気持であります。

天 皇 ポツダム宣言を正確に履行したいと考へて居りますことは、先日、侍従長を通じ閣下にお話した通りであります。

マ元帥 終戦後、陛下の政府は誠に多忙の中にかかわらず、あらゆる命令を一々忠実に実行して余すところがないこと、又幾多の有能な官吏が着々任務を遂行して居ることは、賞賛に値するところであります。又聖断一度下って日本の軍隊も日本の国民も全て整然と之に従って見事な有様は、是即ち御稜威のしからしむるところでありまして、世界の何れの国の元首と雖も及ばざるところであります。之は今後の事態に処するに当り、陛下のお気持を強く力づけて然るべきことかと存じます。申上げる迄もなく、陛下程日本を知り日本国民を知る者は他に御座居ませぬ。従って今後睦下に於かれ、何等御意見乃至御気付の点(opinion and advice)も部座居ますれば、侍従長其の地然るべき人を通じ御申聞け下さる様御願い致します。それは私の参考として特に有難く存ずるところで御座居ます。勿論全て私限りの心得として他に洩らす如きことは御産居ませんから、何時たりとも又如何なる事であろうと、随時御申聞け願いたいと存じます。

天 皇 閣下の使命は東亜の復興即ちその安定及び繁栄をもたらし以て世界平和に寄与しりに在りことと思いますが、この重大なる使命達成の御成功を折ります。

マ元帥 それ(東亜の復興云々)はまさに私の念願とするところであります。只私より上の権威(オーソリティ) があって、私はそれに使われる出先(エージェンシー)に過ぎないのであります。私自身がその権威であればという気持が致します。

天 皇 閣下の指揮下の部隊による日本の占領が何等の不祥事なく行われたことを、満足に存じて居ります。この点においても、今後とも、閣下の御尽力に侯ツところ大なるものがあると存じます。

マ元帥 私の部下には苛烈な戦闘を経て来た兵士が多勢居りまして、戦争直後の例として上官の指示に背き事件を惹起する者が間々居りますが、この種の事件を最小限にする為には十分努力するつもりであります。

天皇は、この会見内容について「マッカーサー司令官とはっきりとこれはどこにも言わないと約束を交わしたことですから、男子の一言のごときは、守らなければならない」と述べたことがある(1977年8月3日記者会見における発言)。

ところがいろいろなルートで話は漏れるものである。その最たるものが当の相手方であるマッカーサーの回想記である。1964年朝日新聞社から刊行されたマッカーサー回想記(下)には、次のように記述されている。
「この会見にはどこか気が進まなかった。天皇は命乞いに来るのではないか。天皇が平和を望み、戦争開始を避けようとしていたことは自分も知っている。それだけに弁明する天皇への応答は厄介な仕事と思われた。ところが会ってみると、天皇は『私は、国民が戦争遂行にあたって政治・軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためにお訪ねした』と語った。」

しかし、上記のとおり正式記録にはそのような記載はなされていない。では他の非公式な資料ではどうだろうか。いくつか見てみよう。

① 高松宮日記(1945年9月27日の項)

「(前略)約15分間、MCは一人で語る(戦争の破壊力は極めて大となれり。今後の戦争は勝敗何れとも甚だしき損害をうくべし。陛下は実によい時機に戦を止められた・・・)。陛下は「戦争にならぬよう努めたが及ばなかった」、MC「一人の力ではどうともならぬことがある」、陛下「自分も国民も十分に戦敗を認め知っておる」、MC「陛下は一番日本国、国民をご存知の方である。今お考えのこと、重大なるご心配あれば極秘裏に伝えられたい。MCは一人で十分考えて協力する」、陛下「進駐軍の平穏なることを喜ぶ」、MC「はじめに来た部隊は歴戦者で荒かったが、今後益々よくなるであろう」、陛下「今後かかる機会を度々持ちたい」

② 内務省スポークスマン談として1945年10月2日付「ニューヨークタイムズ」記事(10月1日東京発ロイター電)

「マッカーサー最高司令官と裕仁天皇とは、もし武力侵攻が実行されたなら、日米双方に多くの人命が失われ、日本の完全な破滅に終わったであろうという点で、完全ん意見が一致した。天皇はマッカーサー元帥が誰に戦争責任があるかについてまったく言及しなかったことに、とりわけ感動した。天皇は個人的見解として、最終的な判断は後世の史家に委ねなければならぬだろう、と言ったが、マッカーサーは何の意見も述べなかった。」

③ フェラーズの1945年9月27日付家族への手紙 

(会見を終えて)天皇がアメリカ大使館を出発したとき、マッカーサーは感動の面持ちでこう言った。「私は自由主義者であり、民主主義国で育った。しかし、惨めな立場に立たされた天皇の姿を見ると、私の心は痛む。」
オフィスに向かう途中で、マッカーサーは、天皇は困惑した様子だったが言葉を選んでしっかりと話をした、と語った。「天皇は英語がわかり、私の言ったことはすべて直ちに理解した。」
私は言った。「天皇はあなたから処罰を受けるのではないかと恐れているのですよ。」
マッカアーサーは答えた。「そうだな。彼はその覚悟ができている。処刑されてもしかたがないと考えている。」

④ 1945年10月27日付ジョージ・アチソンのメモランダム(9月27日当日にマッカーサーが天皇の発言として語ったことをまとめ、米国務省に送った極秘電文。歴史家秦郁彦が米国務省公開文書から発見)

「天皇は握手が終わると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条首相のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民のリーダーとして、国民のとったあらゆる行動に責任をもつつもりだ、と述べた」

⑤ 皇太子の家庭教師を務めたエリザベス・バイニングの日記
1946年12月7日の項に、第1回会見におけるやりとりについて、マッカーサーから聞いた話として以下の記述がある(1987年10月3日付東京新聞)。

マ元帥 戦争の責任をおとりになるか
天 皇 その質問に答える前に、私のほうから話をしたい。
マ元帥 どうぞ。お話なさい。
天 皇 あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてもかまわない。しかし、私は戦争を望んだことはなかった。なぜならば、私は戦争に勝てるとは思わなかったからだ。私は軍部に不信感をもっていた。そして私は戦争にならないように出来る限りのことをした。
 
さて以上を通覧してどのように受け止めるか。それぞれの天皇観、世界観によって相違が生じるところであろう。

まず事実の客観的指摘をしておこう。日本側の公式記録、あるいは当局筋に近い資料では、天皇の戦争責任に触れるやりとりはなかったことになる。しかし米側の資料は、いずれも天皇の戦争責任に触れるやりとりがあったことになっている。

次に解釈を示したい。

米側の資料のうち、マッカーサー回想記では、天皇は「私は、国民が戦争遂行にあたって政治・軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためにお訪ねした」と、天皇の潔さを賛美している。もっともこれは1960年代前半に書かれたものであり、時代背景を考えると額面どおりには受け取れないだろう。

この点に関し、ジョージ・アチソンのメモランダムとバイニングの日記は、天皇の戦争責任に関する発言として①東条に騙されたという趣旨もしくは軍部の責任を強調する趣旨の発言と、②全ての責任は自分にあるという趣旨の発言の双方があったことを示している。

米側の資料が一致して記す以上②の発言があったことは認めてよいだろう。
第8回目の会見から通訳を担当した外務事務官松井明作成のメモ(松井文書)の概要(2002年8月5日付「朝日」)によると奥村が余りの重大さから記録を控えたと聞いたことが明かされていることも補強材料だ。

しかし、近衛の東条に全ての責任を負わせようとの画策、これには東久邇宮をはじめ当時の政府高官も同調していたこと、天皇自身、クルックホーン単独会見での真珠湾奇襲攻撃の東条の意図を知らず、宣戦布告の詔書が意図せざる使い方がされたとの回答書などから推して①の発言もあったと認めるべきである。

この第1回の天皇との会見を終えて、天皇を占領政策の道具として利用しようとの決意と確信を益々深めたマッカーサーにとっては、この①、②二つの発言は、極めて重要な意味を持つことになるのである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。