立憲君主制と象徴天皇制の間 (24)

マッカーサーは、いまや日本における最高権力者である。しかし、その権力基盤は、日本側が考えているほどには強固ではなかった。

占領政策については、本国政府から「降伏時におけるアメリカの初期対日方針」(SWINCC150-4)に縛られる。天皇および天皇制についても、本国政府で検討が進められており、容易ならざるものがある。9月10日には厳しい上院合同決議がなされている。本国の世論も沸騰している。日本降伏直前の6月に行われたギャラップ調査では、「死刑にする」が全体の33%、「裁判で決定」17%、「終身刑」11%、「追放」9%、傀儡として利用する」は僅かに3%に過ぎなかった。また8月に行われた全国世論調査(NORC)では、「天皇制廃止」が66%だった。それに連合国諸国もやかましい。本国政府も牽制をしてきた。政治顧問として「知日派」を送って欲しいと要請したのに、国務省は、なんと親中派のジョージ・アチソンを派遣してきた。これではお目付け役ではないか。等々。

だからマッカーサーが、天皇との第1回会見において、「私より上の権威(オーソリティ) があって、私はそれに使われる出先(エージェンシー)に過ぎないのであります。」と述べた(奥村作成の正式記録)のは、本音でもあり、また愚痴でもあったのである。

天皇と天皇制を利用することによって占領目的を成功裡に早期に達成できる。それはマッカーサーの側近フェラーズ准将の考えでもあった。彼は、未だ戦争中の1945年7月21日に友人の新聞記者にあてた手紙で「戦争が終われば、日本は最もコントロールしやすい国になるだろう」と書いていた。それは米国太平洋軍心理作戦部(PWB)部長として、あの「日本計画(最終草稿)」を実戦に活用した彼の持論であったのだ。ボスが、同じ考え方に立っているのに、それを大胆に打ち出せないでいることにあせりを感じた。

フェラーズは、ボスに心酔していた。これはマッカーサーのもとに配属された1943年9月の初対面以来のことである。1946年7月に帰国した後、1948年6月に、ボスが在職のまま日本から共和党大統領候補の予備選に名乗りを上げたとき、不在のボスにかわって選挙運動を取り仕切ったほどである。

ちなみにマッカーサーは緒戦のウィスコンシン州の選挙で、圧勝するだろうとの下馬評を裏切り、惨敗してしまった。本人不在が響いたのであろう。以後も態勢立て直しができず、共和党の候補者になることができなかった。この選挙に勝って大統領になったのは民主党のトルーマンであった。

何とかしなければならない。フェラーズは、天皇および天皇制度利用を、本国政府や本国国民の世論、連合国諸国の反対を押し切ってでもやり抜くための工作を進めることを決意した。いわば占領下における心理戦を戦い抜くことにしたのである。勿論、かっての心理作戦部(PWB)を改組したGHQの民間情報局(CIE)も手足としてフル稼働させた。

フェラーズがとった作戦は、三つ、一つは天皇および天皇制の利用を確信もって主張できるテーゼを起草すること、二つにはソフトで平和的で国民に慕われる天皇のイメージを作り上げること、三つには日本側に天皇が戦争責任を負わない論拠を提示させ、戦犯容疑者に天皇を矢面に立たせないように根回しすること、であった。
これらは「日本計画(最終草稿)」の描いた天皇および天皇制利用の心理戦であると同時に米国政府、米国国民、連合国諸国に対する心理戦でもあった。

まず、フェラーズは、天皇および天皇制の利用を確信もって主張できるテーゼを起草した。それが第1回マッカーサー・天皇会見の6日後、10月2日付の「覚書」である。この作成経緯については、フェラーズと同じクェーカー教徒の日本人、河合道や一色(旧姓渡辺)ゆりらの嘆願とかフェラーズ自身の天皇への思いなど麗しき話で飾られているが、私は、それは単なるエピソードとして読ませてもらうことにしよう。

「覚書」の中から一部を抜粋すると以下のとおりである。

「天皇に対する日本国民の態度は概して理解されていない。キリスト教徒とは異なり、日本国民は、魂を通わせる神をもっていない。彼らの天皇は、祖先の儀徳を伝える民族に生ける象徴である。天皇は、過ちも不正も犯すはずのない国家精神の化身である。天皇に対する忠誠は絶対的なものである。」

「天皇は、開戦の結果について、東条が利用したような形でそれを利用するつもりはなかったとみずからの口で述べた。」

 「いかなる国の国民であろうと、その政府をみずから選択する固有の権利をもっているということは、米国人の基本的観念である。日本国民は、かりに彼らがそのような機会を与えられるとすれば、象徴的国家元首として天皇を選ぶであろう。」

 「天皇の命令により、700万の兵士が武器を放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置によって何万何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予定より早く終結した。したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦争犯罪のかどにより彼を裁くならば、それは日本国民の目には背信に等しいものであろう。」

 「もし天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないだろう。(中略)何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば日本国民を疎隔してしまうことになろう。」等々。

なかなか説得力がある。マッカーサーは、この「覚書」にいたく感銘を受けたようで、机の上の引き出しの一番上に入れ、しばしば取り出し読んでいたとは後にフェラーズが家族に語った話である。やがてマッカーサーは、この「覚書」を下敷きにして、本国政府に強烈なアッパーカットを炸裂させることは後にみるとおりだ。

次いでフェラーズは、民間情報局(CIE)を通じて、天皇の神性を剥ぎ取り、国民に親しまれる天皇をアピールする工作をした。それらは、1945年12月15日の神道指令、1946年1月1日の天皇の人間宣言及び天皇の地方行幸の勧めである。ケン・ダイク、ハロルド・ヘンーダーソンその他のかって心理作戦部(PWB)で部下だった者たちは、実戦で学んだことを生かし、彼の意をくんで、よく働き、いい仕事をした。

神道指令は、学校現場から「教育勅語」や「ご真影」をなくし、天皇を現人神とする思想を否定することになった。また人間宣言は神道指令の延長線上に位置するもので、正式には「新日本建設に関する詔書」と命名された。

「朕と爾ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とにより結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神として、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにあらず」

なかなかの名文ではないか。天皇自ら国民、否、米国をはじめ連合国諸国の国民に発したこのメッセージは、期待どおりの効果を発揮した。

天皇の地方行幸の勧めも、天皇も宮内省側も肯定的に受け止め、すみやかに具体化していく。やがて、1946年2月19、20日の神奈川視察を皮切りに順次進んで行くことになった。白馬にまたがり軍服姿の天皇は、今は、背広姿で、歓呼する国民の列の中を歩き、親しく語りかけている。この様子を報ずるメディアの報道は、わが国は勿論、連合国諸国の人びとの天皇に対するイメージを一新させることになった。

ここまで、フェラーズの心理戦は大成功だ。フェラーズが実行した三つ目の策はどうか。これについては次回に述べることとする。
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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