立憲君主制と象徴天皇制の間 (28)

1946年1月24日に行われたマッカーサーと幣原の3時間を超える二人だけの会談は決定的な転機となった。このあとのマッカーサーの動きは、大胆であり、かつ素早い。それもその筈だ。マッカーサーがここでモタモタしていては、フェラーズが着々と進めている天皇と天皇制の維持・利用のための心理戦も頓挫してしまう。

なぜなら天皇と天皇制を維持するなら、それは現行憲法とは異なるものであることを明確にし、改正憲法もしくは新憲法に書き込まれなければならないのであるが、そのためには二つの難関を突破しなければならない。一つは、憲法改正もしくは新憲法の制定は「日本国民が、その自由意思を表明しうる方法で、憲法改正または憲法を起草し、採択すること」とされた本国政府の設定したルールをクリアすることである。またもう一つは、前年12月27日に設置が決まった連合国極東委員会活動を開始すると、マッカーサーの権限は、その監督下に置かれ、いかなマッカーサーでも勝手なことはできなくなるので、その本格的な活動前に決着しなければならないということである。

1月17日以来、その前哨戦が始まった。
同日、来日中の極東諮問委員会(連合国の対日占領政策に関する諮問機関で、これが後に決定機関たる極東委員会に改組される。)のメンバーと会談した民政局次長チャールス・ケーディスは、憲法改正に向けて民政局が研究をしているのではないかと質問をしたフィリピン代表トーマス・コンフェソールに対し、「していません。民政局は、憲法改正は日本の統治構造の根本的変更に関する長期的問題であり、貴委員会の権限の範囲に属するものと考えております」と答えた。

同月29日、マッカーサーは、同委員会メンバーとの会見で、「憲法改正問題は、モスクワ協定によって、私の手を離れてしまった。今後の作業がどのようにすすめられるのか全くわからない。私が日本で最初の指令を出した時には、この問題の権限は私にあった。私は示唆を与え、日本人は私の示唆にもとづいて作業を始めた。ある委員会が憲法改正を行う目的でつくられたが、この作業へのGHQの関与につき、最高司令官は、いかなる行動をとることもやめている。私はなんらの命令も指示も発しておらず、指示だけに限定している。(中略)憲法の内容がいかに立派で、よく書かれていても、武力によって日本に押し付けらた憲法は、武力が存在する限り続くであろうが、軍隊が撤退し、日本人が自由になるとともに、日本人はその憲法を廃止してしまうだろう。・・・私はこのことを信じて疑わない」と述べた。

ケーディスもマッカーサーも相当の狸である。きっと極東諮問委員会のメンバーは、満足して帰国して行っただろう。マッカーサーは、極東委員会を油断させた。

ここにおもしろい資料がある。GHQ民政局長コートニー・ホイットニーのマッカアーサーに宛てた2月1日付の長文のメモである。以下のように述べている。

「日本の統治機構について憲法上の改革を行うという問題は、急速にクライマックスに近づきつつある。日本の憲法の改正案が、政府の委員会や私的な委員会によっていくつか起草された。次の選挙の際に憲法改正問題が重要な争点になるといいうことは、大いにありうることである。
 このような情況のもとで、私は、閣下が最高司令官として、日本の憲法構造に対する根本的改革の問題を処理するに当たってどの範囲の権限をもつか、日本政府によってなされる提案の承認または拒否をなしうるか、あるいはまた日本政府に対して命令または指令を発しうるか、という問題について考察した。私の意見では、この問題についての極東委員会の政策決定がない限り―いうまでもなく同委員会の決定があればわれわれは拘束されるが―閣下は、憲法改正についての占領と管理に関する他の重要事項の場合と同様の権限を有されるものである。」

ホイットニーは、1897年生まれ、マッカーサーより17歳の年下であるが、軍務の傍ら、コロンビア・ナショナル・ロー・スクールの夜間部に学び、弁護士資格を有し、戦間期に約13年間、フィリッピンで弁護士業務に従事した経験がある。さすがに法令の機微をわきまえ、その隙間さがしには長けている。おそらくこのようなメモが作成されるにはこれよりも少し前に、マッカーサーから下問があった筈だ。

マッカーサーは、上記の二つの難関を切り抜けるために、日本政府の憲法改正案の提出をまたずに可及的速やかにGHQ側においてモデル案を作成し、日本政府に提示すること、日本政府にはこれに準拠して「自主的」に憲法改正案を作成させる、このような妙手を考案した。いや、この妙手は、マッカーサー・幣原会談で話し合われ、合意に達した新憲法制定シナリオだったのであろう。これが単なる憶測なのか合理的推認なのかは以下に摘記するエピソードでご判断戴きたい。

既述のとおり2月1日、毎日新聞は、憲法問題調査委員会で検討されていた憲法改正試案をスクープした。これは同委員会で検討されていたいくつかの案のうちでは一番ましだといわれる宮沢甲案といわれるものであったが、「第1条 日本国は君主国とす」「第2条 天皇は君主にしてこの憲法の条規に依り統治権を行う」などとあり、毎日新聞記者も「あまりにも保守的、現状維持的のものにすぎないことを失望しない者は少ないと思う」と厳しい批判のコメントを加えていた。

「誰もいない首相官邸1階の憲法問題調査委員会の事務室の机の上に放置された草案の冊子を社に持ち帰って大急ぎで手分けして筆写したうえ、約2時間後に誰もいない事務所に戻り、元の机に返した。」
この特ダネをとった毎日新聞記者西山柳造は、ことの顛末をこのように手記にしたためている。

このとおりであるなら元祖・西山事件である。しかし、この憲法改正試案漏えい事件が問題にされた痕跡はない。別に想像をたくましくする必要はないが、彼が記事を書き、掲載されたのは1946年2月1日の朝の新聞であるから、これはその前日、午後のできごとであろう。その日は木曜日、このようなことを誰にも見咎められずにできるなどとは到底考えられないだろう。従ってこの裏には、憲法問題調査委員会の事務局担当者らの黙認があったとしか考えられない。幸いなことに当時の官吏服務規律(明治20年勅令39号)には、秘密漏えいを処罰する規定は置かれていなかった。上層部の指示があれば、憲法問題調査委員会の事務局担当者が情報を漏らしても、誰も傷つかずに済んだのである。因みに国家公務員守秘義務違反処罰規定が置かれた1948年改正国家公務員法からである。

私は、西山記者の大殊勲も、ご本人には気の毒だが、官製スクープであったに過ぎないと思うのである。それは単に、1月24日の会談において合意されたマッカーサー・幣原合作の新憲法制定シナリオの存在を裏付けるエピソードに過ぎないのである。

既出の平野文書中には、実は、「憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打ち明けることのできないことである。」との幣原の打ち明け話が載せられていた。マッカーサー・幣原合作の新憲法制定シナリオなる私の推測は決して突拍子もないことではないことを了解していただけるのではなかろうか。

マッカーサーは、2月3日(この日は日曜日だ!)朝早く、ホイットニーといつものように話し合い、2月12日までに民政局スタッフが憲法改正原案を作成し、13日に日本政府に提示し、それに従い日本政府に「自主的」に憲法改正案させることを指示した。マッカーサーがこのとき示した憲法改正案原案作成作業を方向付ける3項目の要点を手書きしたメモランダムをホイットニーに交付した。これがマッカーサー3原則と呼ばれるものである。しかし、私は、マッカーサー・幣原3原則というべきだろうと考えている。それは以下のとおりである。

① 天皇は、国の最高位にある。
  皇位は世襲される。
  天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする。
② 国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための予防手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための戦争をも放棄する。日本のは、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
 日本が陸空海軍をもつ権能は、将来も与えられることなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
③ 日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。
  華族の地位は、今後はどのような国民的または市民的な政治権力も伴うものではない。
  予算の型はイギリスの制度にならうこと。
 
これに基づき、有能かつ理想的憲法をつくることに情熱を燃やした25人の民政局のメンバーが9日間、密室にとじこもり文字通り精魂傾けて、期日どおり12日に憲法改正案原案を完成させた。天皇の地位を国民の意思に基づくものとし、日本国および日本国民の統合の象徴とする象徴天皇制が、ようやくにして公然たる形をとって提示された。実に長い道のりであった。

あとは多少の紆余曲折はあったが、マッカーサー・幣原合作のシナリオどおり進行したに過ぎない。なお、その過程で、前に保留しておいたノースウエスタン大学教授コールグローブ隠然たる働きをしていることを記しておきたい。コールグローブといえば、あのフェラーズも学んだ天皇および天皇制利用の心理戦のバイブル「日本計画(最終草稿)」の真の起草者ファーズの師であり、戦前期日本の憲法および政治学の研究者である。コールグローブは3月初旬、6日に日本政府から憲法改正草案要綱が発表される前に来日、国務省とGHQ・マッカーサーとの対立、極東委員会の米国代表フランク・マッコイらとGHQ・マッカーサーとの緊張関係をほぐし、GHQ・マッカーサーへの支持を固める役割を果たしたのである。ここにも「日本計画(最終草稿)」は貫徹しているのであった。

GHQは何を押し付け、何を押し付けなかったのかよく吟味しなければならないと思うがどうであろうか。

さて天皇制の取り扱いの結末はついた。しかし現天皇の取り扱いについてはもう少し見ておく必要がある。それは次回とする。
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プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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