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J・マーク・ラムザイヤーは新しい闖入者か?

J・マーク・ラムザイヤーは新しい闖入者か?

 J・マーク・ラムザイヤーというハーバード大ロースクール教授が書いた「太平洋戦争における性行為契約」という論文が、国際学術雑誌「International Review of Law and Economics(IRLE)(法と経済学の国際レビュー)」のWEB版で公開されたのは2020年12月のことであった。その論文の最も肝心な部分の要旨は以下のようなものだった。

 (要旨)――日本軍慰安婦は売春宿の主人との間で、対等の立場で売春契約を結んだ売春婦である。その契約は、日本軍慰安婦の給与の多くを前払いにすること、戦地の危険性を鑑みて短期の契約することを要求、売春宿の主人は、彼女らが一生懸命働くインセンティブを生み出すこと、とのそれぞれの要求を満たすべく、売春宿の主人は売春婦に多額の前払い金を支払う、最長契約期間が1年から2年、売春婦は最長契約期間より早く廃業可能という内容のものであった。その結果、日本軍慰安婦は、他の公娼と比べて給与は高く、契約期間は短かった。

 ラムザイヤーの言うところは、日本の歴史修正主義者の中で言い古されたことで、別に目新しいことではないが、それが歴史学としてではなくゲーム理論という枠組みで語られていることが目新しいと言えるのかもしれない。

 明治以降、戦前の公娼業界における公娼供給のシステムは、困窮した農村の口減らしと当座しのぎの一時金目的のために親が娘の意思とは無関係に前借金を受け取り娼妓契約を結ぶことにより、あるいは既に公娼となっている者が、何らかの事情で他の公娼業者に移る場合に、元の公娼業者が自己の前貸金回収するために事実上当該公娼の意思とは無関係に新たな公娼業者から前借金を受け取って自己の前貸金や支度金を清算すると同時に娼妓契約を結ばせることにより成り立っていた。
 こうして戦前の公娼業界では、女性は、自己の意思に基づかないで公娼とされ、或いは公娼を続けさせられ、自己の意思に反する公娼稼業を強いられていた。
 明治5年芸娼妓解放令(太政官布告)は前借金契約で年季奉公を強いることを無効としたが、親が借金したかたちにすればそれを潜脱できた。そのため娼妓解放の実はなく、かたちだけのものとなっていた。それが全体として無効とされたのはずっと後のこと、1955年10月7日最高裁判決を待たねばならなかった。
 世の現実は、建前とは違うレベルで動いていたのである。

 日本人女性が日本軍慰安婦として徴募される場合、社会の底辺にオリの如く層をなしたこのような悪しき契約慣行が基礎となっていた。のみならず、そのほか、悪質な周旋業者による詐欺的な手口による徴募や、それに官憲が協力する場合もあった。

 植民地朝鮮や台湾、あるいは軍事占領された中国やその他東南アジア諸国では、事情はさらに深刻であった。日本人女性の場合のように形の上で契約関係を基礎とするケースは皆無と言ってよく、周旋業者が困窮した家庭に赴き、親に一時金を渡しその同意を得て徴募するのはまだよい方で、多くは詐欺、脅迫、あるいは官憲の力を借りて親に多少の一時金をつかませ、あるいは何らの補償もなく、本人の意思を無視して徴募するケースが多数あり、一部の地域においては直接的な暴力による連行がなされるケースもあったことが実証されている。

 日本軍慰安婦問題を論ずる場合、こうしたことを実証的に研究し、さらに日本軍が一体どのような役割を果たしたのか、史料批判を加えながら実証的に研究することが何よりも大切なことである。

 ラムザイヤーは、そうした実証的研究に基づかないで、ゲーム理論という枠組みで、現実社会から切り離された各アクターの最大の利益を求める行動を抽象的に考察することを通して、売春婦と公娼業者との対等の立場で結ばれる売春契約に基づいて日本軍慰安婦は成り立っていたと言うのであるが、それはおとぎ話にしか聞こえない。

 ラムザイヤーのこのような論文(本文はA4サイズで7頁にも満たない諸論文)が、名前の通っている国際学術雑誌「International Review of Law and Economics(法と経済学の国際レビュー)」に査読を経て受理されたということは驚愕すべきできごとで、まともな歴史学者、経済学者らからは総スカンをくらい、同誌編集部は、多数の抗議を受けて紙媒体への印刷を延期するという対応を示しているとのことである(『世界』5月号掲載の茶谷さやか『ラムザイヤー論文はなぜ「事件」となったのか』)。

 ラムザイヤーは日本で幼少期を過ごし、日本語に堪能。東京大などで日本語による授業経験もあるという。2018年に旭日中綬章を受章している。ハーバード大学の公式サイトの英語版ではMitsubishi Professor of Japanese Legal Studies(三菱日本法律研究教授)とされている。
 この日本軍慰安婦問題への自説を開陳したドン・キホーテは、決して偶然迷い込んだ闖入者ではないようである。彼が、今後、どのような発言をしていくのか、注視し続けて行きたい。(了)
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プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2018年1月、弁護士リタイア。41年間の弁護士生活にピリオドを打ちました。深草憲法問題研究室
‶これからも社会正義の話を続けよう”

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