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戦後政治外交史こぼれなし―その1

ダレスが説いた「日本国憲法9条は『集団的自衛権』を認めていない」との正論

 しばらくお休みしていたが、この間、戦後日本の政治外交史の勉強をしてきた。沖縄密約問題を、総合的に検討してみたいと思ったからだ。そんなわけで、前回の記事で予告したように、横田喜三郎・尾高朝雄『国際連合と日本』(有斐閣)をまだ読んで続稿を書くところまでには至っていない。そのかわり、少し面白いことに気付いたので、忘れないうちに書いておきたい。

 旧安保条約は、米国がわが国全土に、望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させるという一方的かつ片務的な「駐軍協定」であった。それだけではなく、本文わずか5カ条の条文には、以下のようなわが国が独立国家であることを疑わせるような定めがなされていた。

・大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するために駐留米軍を出動させ得ること
・米国の同意なしに第三国に基地・駐兵・通過などの軍事的権利を認めないこと
・駐留米軍及び軍人・軍属などの地位と権利を行政協定で定めること
・期限の定めなし(米国が認めない限りは失効しない)

 サンフランシスコと講和条約と旧安保条約を締結した当時、外務省条約局長として、事務方を取り仕切った西村熊雄氏は、交渉過程でズルズルと後退をし、このような結果になってしまったことに切歯扼腕し、これを「国連憲章にいう地域的取り決め、そして恒久的取り決めとして、憲章の原則に従った」新条約に置きかえることを願った。

 一方、政治家のドンたちは、そうした本質論的考察よりも、対等性の回復という目に見える成果が欲しかったようだ。その点において、さしずめドンキホーテとでもいうべく敵陣突破を試みたのは保守合同前の民主党・鳩山政権であった。
 1955年8月、鳩山政権の重光葵外相は、訪米し、ダレス国務長官に以下のように激しく迫った。

 「日米間の現在の共同防衛組織は、当時の事情によって日本が自衛のためにも武装兵力をもち得ないという独立否認に等しい誤った憲法解釈によってつくられたために、全く不平等の関係にできている。(中略)国防問題に関する日米不平等の位置は日本が自衛能力を欠くことからくるところであってもとより米国の責任ではない。しかし、この点が日本の米国への隷属関係であるといって左翼勢力の反米思想鼓吹の根源をなしている。」
 「(日米間の新たな関係を創始するため)安保条約及び行政協定の如きは相互主義を基礎とする対等者間の同盟に置き換えられなければならぬ。(中略)米華又は米比もしくは米韓間のそれと同様の形式の相互防衛条約に改められるべきである。」

 私は、この重光外相の発言を読んで、1945年2月の近衛上奏文のことを思い出してしまった。近衛文麿は、昭和天皇に、共産革命の危機を煽って早期戦争終結の決断を促した。しかし、昭和天皇は、一撃を与えた上ででなければ難しいと近衛の憂国の情を軽くいなしたのであった。歴史は繰り返す。二度目は喜劇として。重光外相は、共産党の勢力増大に対抗する武器として旧安保条約を相互防衛条約に置き換えることを強く迫ったが、ダレスから次のように諌められた。まるで子供を諭すように。

ダレス「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか。(中略)日本は米国を守ることができるか。たとえばグァムが攻撃された場合はどうか。」
重光「そのような場合は協議すればよい。」
ダレス「憲法がこれを許さなければ意味がないと思うが如何。」
重光「自衛である限り協議できるとの我々の解釈である。」
ダレス「それは全く新しい話である。日本が協議によって海外出兵出来るという事は知らなかった。」

 かくしてダレス国務長官は、「集団的自衛権」は日本国憲法9条の下では認められないとの正しい見解のもとに旧安保条約を相互防衛条約に置き換えることを求めた重光外相を一蹴したのであった。

                              (了)

小川和久氏の参考人陳述批判(6)

 戦力投射能力なき自衛隊そのものが、自衛隊の武力行使の歯止めになるとの小川氏の主張は、しっかりと検討する必要がある。何故なら、彼の主張は、戦前の軍隊ならともかく、今の自衛隊が、海外進出して世界の紛争に首を突っ込む、あるいは戦争を引き起こすなどということはあり得ないとの楽観論を、軍事アナリストなる専門家の知見をもって、支える効果を持っているように思われるからである。

自衛隊の能力に対する厳しい診断

 最初に彼の著書『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)から、この文脈で言わんとしていることを正確に引用して紹介しておこう。

 まず「戦力投射能力」とは、「多数の戦略核兵器によって敵国を壊滅させることができる能力」又は日本のような島国で非核政策をとっている場合には「海を渡って数十万規模の陸軍を上陸させ、敵国の主要地域を占領して戦争目的を達成できるような構造を備えた陸海空軍の能力」のことだそうである。

 こう言っただけではわからないと思ってか、続けて、「仮に朝鮮半島を本格的に攻めるとすれば、50万人ほどの陸軍を上陸させて敵軍を粉砕し、首都を占領しなければ、戦争目的を達成できない」、「そのための作戦をしようとすれば3000機規模の作戦用航空機を持つ空軍力が必要」、「海軍は、数十万人規模の陸軍に応じた揚陸作戦能力を持つ空軍と、それを援護する戦闘艦艇、航空機が必要」、「数万人規模の空挺部隊と、それに見合う輸送機も必要」等々と大きな話が展開される。

 それに対して、現在の陸上自衛隊は定員15万1000人(現員13万7000人)、海上自衛隊は主要艦艇約140隻(45万トン)、一度に運べるのはわずか2000人ほどという兵員輸送能力しか保有していない、航空自衛隊は戦闘機など作戦用航空機は約440機を保有するのみで、兵員輸送能力はどんなにがんばっても3000人程度しかない。だから、「自衛隊は、本格的な海外派兵をしたり、戦力を投入して外国を占領できる構造を持つ軍事力ではない」、「限られた国土防衛における戦闘、つまり『専守防衛』だけで、侵略戦争などできるはずもない」と。

 さらに自衛隊の現実の能力を見ると、海上自衛隊の対潜水艦戦能力と掃海能力は世界トップクラスだが、空母も巡洋艦も原子力潜水艦もない「単能海軍」であるし、航空自衛隊の防空戦闘能力も対地・対艦攻撃能力は限られている。これはアメリカの求めに応じて整備されてきた結果である。自衛隊は自立できない構造であり、わが国防衛も独自にはできず、日米同盟によってはじめて成り立つのであると厳しい診断が下される。

戦前日本の侵略戦争は「戦力投射能力」を備えた上で敢行されたか

 戦前日本は、日露戦争での形ばかりの勝利で、新参の帝国主義国として華々しく国際舞台に登場することになったが、そこで日本が確保できたものは遼東半島(南満州)の租借権と鉄道経営権のみであった。戦果を華々しく報じる新聞に煽られて「勝った!勝った!」と提灯行列に沸いた民衆は、無賠償が報じられるや一転して、怒り狂い、暴徒と化して日比谷公園を焼き討ちした。しかし、それは如何ともし難いことであった。日本は、ときすでに戦争を継続する力を失い、米英の仲立ちで辛うじてポーツマス条約を締結、メンツを立てることができたというのが事の実態であり、日本にとっては、ロシアにおける革命の進展と帝政の動揺、米英の仲立ちという僥倖に助けられた薄氷の勝利あったからだ。
 日露戦争における兵員の犠牲者は、戦死者では日本88,429人、ロシア 25,331人、戦傷病死者では日本 27,192人、ロシア11,170人とされているが、日本がロシアのおよそ3倍である。これは日本軍の戦力不足を物語っており、小川氏流に言えば「戦力投射能力」なき無謀な戦争であったと評価できるのではなかろうか。

 日本が日露戦争に投じた直接戦費は、当時の国家予算の約8倍、それらの80パーセントは外債によりまかなわれた。そのために、日露戦後の国家予算は、長期にわたって歳出の部の30パーセントが国債費、その上にさらに30パーセントが軍事費として積み上げられることになり、国民生活は逼迫の度を進めた。

 当時の日本を、夏目漱石は次のように活写している。

 「第一、日本程借金を拵えて、貧乏狂いしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争する蛙と同じ事で、もう腹が裂けるよ。」(『それから』より)

 政府も軍部も、このようなあい路を打開する術として、「満蒙の特殊権益」なるものを発明し、国民をしてそれに執心せしめる策をとった。遼東半島(南満州)の租借権と鉄道経営権が、「満蒙の特殊権益」なるものに目いっぱい膨らませられ、国民にとって神聖なる権利に転化して行った。

 父祖の血をもってあがなった「満蒙の特殊権益」を守るためとのスローガンで国民は動員される。満州駐在の関東軍が、それを声高に叫び突っ走る。「戦力投射能力」?そんなものクソ喰らえだ。かくして柳条湖事件が引き起こされ、満州事変が始まった。事態は、常に、現地派遣軍が戦争の引き金を引き、あとから軍中枢部と政府が追認するかたちで進行する。盧溝橋事件後の日中全面戦争もしかりである。これらの戦争は「戦力投射能力」を備えた上で進められたものだとでも言うような人は誰もいないだろう。

 そのどん詰まりが日米開戦であった。

天皇 「もし日米開戦となった場合、どのくらいで作戦を完遂する見込みか?」
杉山 「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます。」
天皇 「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか。」
杉山 「支那は奥地が広うございまして、予定通り作戦がいかなかったのであります。」
天皇 「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。いったいいかな  る成算があって3ヵ月と言うのか?」

 これは日米開戦を決定づけた「帝国国策遂行要領」(1941年9月6日御前会議)の策定の前日における昭和天皇と陸軍参謀総長杉山元とのやりとりとして、一般に知られているところである。果たしてこのようなやりとりが本当にあったのかどうか、資料は、近衛文麿の手記だけなので、確証できているわけではないが、これが本当であったとすれば、日米開戦決定は、陸軍最高首脳において3カ月程度戦えばなんとかなると何ら成算もなく、なされたことを示して余りある。

 実際、戦後になってアメリカが、対日戦における空襲の効果について調査した「米国戦略爆撃調査団報告書」によると、何故日本が日米開戦に踏み切ったのかという調査項目に対してインタビューに応じた旧軍人、旧指導者、官僚らの説明を要約して、①ヨーロッパ戦線におけるドイツの圧勝とイギリスの敗退の見通し、②アメリカが反転攻勢に移るまでには3、4ヶ月はかかるのでその間にできるだけ兵力を展開し、占領地域を拡大する、③そうすることによって民主主義国家アメリカは国民の間に厭戦気分が蔓延し、妥協を図ることを余儀なくされるとの分析に立っていたことが示されている。

 日米開戦決定直前における日本とアメリカの戦力比、工業生産力、資源調達量、マンパワー、いちいち数字をあげないが、いずれを見ても大人と子供の違いがある。「戦力投射能力」など戦争をするか否かの決定に、何の影響も与えることはなかったのである。

現代の戦争、武力紛争

 ましてや現代における戦争は、旧来型の大国どうしの全面戦争の形をとることはないだろう。それは、一極化した超大国アメリカの世界戦略に基づく世界秩序維持のための強権行使とそれに対する反抗としての武力紛争となる。戦争は、戦争ではなく武力紛争と呼ぶにふさわしく非対称な形態のものとなっている。そこにおけるアメリカの同盟国の役割は、最初から機能分担がなされている。もっともそれは超大国アメリカの都合にあわせて、時には伸張し、時には縮小する。1990年代においてアメリカの世界戦略と軍事展開は激しく揺れ動いた。しかし、今や、悪化する財政の圧力から、世界各地における武力紛争への対処の仕方はできる限り同盟国の軍事力に肩代わりさせる方向に進んでいる。
 その中で、わが国の自衛隊の役割も大きな転機を迎えている。アメリカ軍を補完する軍事力として世界に展開して行くことが鮮明になってきている。日米新ガイドラインと今回の安保法制はまさにそれを示している。そのときに「戦力投射能力なき自衛隊」には武力行使は歯止めがビルトインされているなどとどうして言えるのであろうか。またはアメリカの求めに応じて整備されてきたから自衛隊は自立できない構造だ、だから日米同盟によってはじめて機能することになるのだということが、日本の海外における武力行使の歯止めになるなどとどうして言えるのであろうか。むしろアメリカの要求に応じられる構造となっている自衛隊だからこそ、もっと言えば日米調整メカニズムという名でアメリカ軍の指揮命令系統に組み込まれる軍事組織であるからこそ、自衛隊はより一層世界の武力紛争にアメリカ軍とともに介入して行けることになるのである。将来はともかく、少なくとも、現時点では、安倍政権は、それを喜んで買って出ている状況であり、自立・自主の道を歩むことはなかろう。

グレーゾーン事態への自衛隊の投入

 小川氏は、中国の武装船による尖閣海域への侵入と武装「民間人」上陸の危険を盛んに煽りたて、それらは海保の巡視船の武器では到底対応できない武力を備えているから、海保に任せていれば皆殺しにあうだろう、だから海保に任せていてはだめだ、速やかに自衛隊を投入できるようにしなければならない、また外国公船に対しても、単に警告だけではなく毅然と対処できるようにしなければならない、などと主張し、そのような法整備をすることを提唱している。
 しかし、戦闘的軍事アナリスト小川氏の主張に従っていては中国との間に何回もの小競り合いを繰り返し、それが大きな武力紛争に発展してしまうおそれ大である。

 中国とは一衣帯水、どんなに気に入らなくても平和を第一義において粘り強く交渉を続け、もつれにもつれた相互の関係を友好と信頼、互恵と互譲の関係に復元させるほかはない。
 グレーゾーンはあくまで治安・警察問題であり、海保を含む警察力で対応し、自衛隊は極力しゃしゃり出るべきではない。それが本連載の2回目で述べた「自衛権行使3要件」で定義される自衛権行使の主体たる自衛隊の務めである。

まとめ

  以上、小川氏の参考人陳述は、いずれの点から見ても採用しがたく、安保法案支持者の弁はここでも無効であった。政府は、少数の勇ましい賛成意見を進軍ラッパとして猪突猛進するもではなく、圧倒的多数の憲法学者、歴代内閣法制局長官の違憲論、国民多数の反対意見に耳を傾け、速やかに安保法案を撤回して、出直すべきである。

最後に一言。小川氏の参考人陳述に対する批判は図らずも6回にも及んでしまった。別に私は小川氏に遺恨があるわけではなく、むしろ、かつて政府からも独立した軍事アナリストとして活躍された小川氏の著作を読み、私なりのイメージがあった。しかし、それは残影であったのかもしれない。それを追うあまりやや言葉が走ったところもあっただろう。失礼の段お許し願いたい。
 小川氏が、かつて書かれたものについて、それらは若気の至りであったと言われればそれまでだが、それらには本当に時代にマッチした提言があったことを小川氏の名誉のために記しておきたい。
                               (了)

小川和久氏の参考人陳述批判(5)

「国連憲章、集団的自衛権、戦力投射能力なき自衛隊という3点が全て歯止めになる。」

 いよいよ終わりに近づいた。小川氏は、突然歯止めの問題を提起する。話の筋から言うと、それは、わが国の武力行使に対する歯止めという意味であろう。
 小川氏は個別法令による歯止めの前に、大きな枠組みとして、国連憲章、集団的自衛権、自衛隊の軍事力という三つの歯止めがあると述べているのであるが、果たしてそれらは歯止めとして機能するのであろうか。

国連憲章は無視され続けてきた

 小川氏は国連憲章の精神に反することはできない、それに反した場合には国連が対応措置をとると言うのであるが、それは全くの空論である。そのことは、国連設立後70年の歴史の一コマ一コマが実証しているところであり、ホゾをかむ思いを抱き続けてきたことは、私たち戦後に生きた者の共通体験ではないか。東西冷戦時代しかり、冷戦終結後のアメリカ一極支配確立後しかりである。
 大国の横暴により、武力行使禁止原則と国連関与の下での集団的安全保障による国際の平和と安全の確保という国連憲章の真髄は、いかに無残に踏みにじられてきたことか。とりわけ国連生みの親とも言うべきアメリカの、育児放棄とネグレクトは顕著なものであった。アメリカが国連憲章に背馳する単独行動で武力紛争を引き起こし、国連憲章を侵犯したことは幾たびに及んだであろうか。すぐにはその回数を答えられない程である。
 国連憲章は、かつて違法、不当な武力行使の歯止めになったためしがないのだ。

集団的自衛権が歯止めになる?

 小川氏は集団的自衛権が歯止めになると言うが、その意味するところはよくわからない。ここは小川氏の言葉をなぞるが如く論じることにする。

 小川氏は、参考人陳述の中で、二つの例をあげている。一つはドイツの例、もう一つはアメリカの例。

 まずドイツの例について。戦後ドイツはNATOに包摂されることによってのみ再軍備が認められたのであり、単独で軍事行動はできない、これは集団的自衛権による歯止めだとおっしゃっている。しかし、ドイツは、再軍備をしてNATOにドイツ国軍の指揮権を委ねる、即ち主権の一部譲渡をすることが戦後国際社会に復帰するための唯一の道であったのであり、大きな国民的議論の末、ドイツ国民はその道を選択したのであった。集団的自衛権がドイツ国軍の武力行使に対する歯止めであるなどという小川氏の論は、戦後ドイツの政治史を正しく見ておらず、牽強付会と言うほかない。

 次にアメリカの例について。アメリカは湾岸戦争のとき、同盟国からの意見噴出により単独行動にブレーキがかけられた、それは集団的自衛権による歯止めが働いたからだとおっしゃる。しかし、これは全くの見当はずれである。戦後アメリカは一貫して単独行動主義をとってきたことは上述のとおりであり、湾岸戦争では、冷戦終結後、たまたま国連を自己の世界戦略に利用できる状況が生まれたため、これを奇貨として、国連の疑似的な集団的安全保障措置に乗っかったに過ぎないのであって、集団的自衛権がアメリカの武力行使の歯止めになったなどいう小川氏の論はこれまた牽強付会と言うほかはない。その後、時を経ずしてアメリカが単独行動主義に回帰したことは周知のとおりである。

 小川氏の集団的自衛権が武力行使の歯止めになるという主張は、彼の著書『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)を読むと、もうひとつ集団的自衛権行使を約束しあった軍事同盟の対峙が平和共存をもたらすということをも根拠にしているようである。しかし、これはすでに破綻済みの古典的なパワー・ポリティクス論である。バランス・オブ・パワーによってつかの間の平和共存が現出されても、あい対峙する超大国、あるいは相互の同盟ブロックにおけるあくなき軍拡競争を呼び起こし、やがて世界大戦の破局を迎えるか、一方がその負担を担い切れずに体制崩壊するが、そのいずれかに帰することになる。小川氏は、歴史の教訓から何も学んでいないのだ。

 ところで戦後、集団的自衛権を根拠として、どれだけの違法、不当な武力干渉、武力行使がなされてきたことだろう。以下の事例は全てを網羅しているわけではないが、これらを一瞥するだけで、小川氏の主張がいかに的外れであるか一目瞭然であろう。

(冷戦期)

① ハンガリー動乱(1956年/ソ連)
② レバノン・ヨルダンへ介入(1958年/アメリカ、イギリス)
③ イエメンへ介入(1964年/イギリス)
④ ベトナム戦争(1966年/アメリカ)
⑤ プラハの春への介入(1968年/ソ連)
⑥ アフガニスタン介入(1980年/ソ連)
⑦ グレナダ介入(1983年/アメリカ)
⑧ ニカラグア介入(1984年/アメリカ)
⑨ チャド介入(1986年/フランス)

注:朝鮮戦争については、38度線まで北朝鮮軍を押し戻す過程は国連の集団的安全保障、そこから中国国境線近くまで攻め入った北朝鮮せん滅作戦は集団的自衛権と見るべきだろうか。さらに研究を深める必要がある。

(冷戦終結後)
   
① アフガン戦争(2001年/アメリカ、NATO構成諸国)
② イラク戦争(2003年/アメリカ、イギリス)

注:イラク戦争は勿論であるが、アフガン戦争も、同国は一目1兆ドルの豊富な鉱物資源の宝庫であり、これらは古典的な帝国主義戦争という側面も有しているように思われる。ブッシュの対テロ戦争論は、ハゲタカの論理を覆い隠す方便であったかもしれない。

 さて今回で終える予定でいたが、歯止め論の最後、戦力投射能力なき自衛隊そのものが歯止めになるという主張は、少し面白いのでもう1回とって論じたい。また小川氏は律義にもグレーゾーン問題に言及しているので、それにも少し応接することとして、次回には、小川氏の参考人陳述にお別れをしようと思う。

                              (続く)

小川和久氏の参考人陳述批判(4)

「日米同盟は世界最高レベルの安全をもたらしており、費用対効果に優れている。『米国の属国』と言うのは日本人が悪い。米国から見て最も対等に近い唯一の同盟国は日本。日本列島という戦略的根拠地を提供し、米軍の本社機能が日本に置かれている。84ヶ所の米軍基地と日米共同使用施設が50ヶ所あり、喜望峰まで活動する米軍を支えている。だから米国は日米同盟の解消をずっと懸念してきた。既に対等平等の同盟関係なのだ。」

「本社機能を持つ日本列島を攻撃しないで米国を攻撃するということはない。抑止力として日米同盟に勝るものはない。東シナ海でも中国は極めて抑制的に動いて気を遣っている。沖縄の海兵隊は抑止力でないと言うが、尖閣や台湾有事などで1000人が駆けつける。中国に米国と全面戦争するのをためらわせる抑止力になる。」


 小川氏は、7月1日、衆院安保特別委に公明党推薦の参考人として招かれ、標記のごとく、陳述した。その小川氏は、1985年3月に書いた『在日米軍―軍事占領40年目の戦慄―』(講談社)では、同じ論点に関して、一体どう述べていたのであろうか。

 小川氏は、同書の中で、NATO諸国と日本の実情とを比べている。

 たとえば核兵器の問題について。NATO諸国ではアメリカは核兵器の配備状況を詳しく通知しなければならないことになっている。そればかりか、イギリスでは、アメリカ軍に承認なしに配備された核兵器を使用する動きが見られた場合、イギリス軍は国内にある米軍基地を攻撃する旨の通知さえしていたことが判明している。ドイツでも、テロ対策のプロ集団たる国境警備隊の特殊部隊は、国内にある米軍基地に突入し、アメリカによる核兵器の無断先制使用を抑止することが極秘任務とされている。それにひきかえわが国では、アメリカは、核兵器の配備状況や運用については一切明らかにしないという説が常識であるかのようにまかり通ってきた。わが国政府は、一方で、非核三原則を宣言しておきながら、「アメリカから事前協議の申し入れがないからには、日本に寄港する艦艇は核兵器を信頼するほかない」などと頬かむりし、無責任な態度に終始している。

注:わが国政府は、米軍の核に関する有名なテーゼである「NCND(neither confirm nor deny)」を真に受けていた。否それは「真に受けて」というよりは「隠れ蓑にして」という方がより正確かもしれない。実際には、日本政府は、核兵器を搭載した艦船や航空機のわが国領域内の通過、寄港、立ち寄り(trannsit)については事前協議の対象としないこととする密約を交わして黙認していたこと、沖縄返還に際して緊急時の再持ち込み・貯蔵を認める密約を交わしていたことが、開示された日米双方の文書により確かめられていることは周知のとおりである。 

 小川氏は、こうしたわが国政府の無責任な態度は、折角批准したNPT条約上の「核兵器を持たない国を核によって攻撃し、又は攻撃してはならない」との特典を放棄するに等しいものであったことを痛烈に批判している。曰く「核戦力に密接に関連した在日米軍の駐留を許してきたことによって、核による攻撃や脅迫を招いてもしかたのない立場を、みずから選択してしまったのである。」と。

 そうした考察をもとに、小川氏は、日本は本当の意味での独立国家ではないとの実感を吐露し、超大国であるアメリカとソ連に互して生存の道を探るしたたかな独立心を持つべきことを政府と国民に求め、「これまでの分析であきらかなように、日本は“赤い標的”ソ連を撃つための米軍の巨大な出撃基地であり、同時に補給、情報の基地としても、アメリカの対ソ戦略に欠くことのできない一大軍事基地を形作っていた。そこでは、戦後40年にわたるアメリカの軍事占領がピークを迎えつつあり、国家としての日本の独立性はきわめて疑わしい限りだということを強調しておきたい。」と結んでいる。

 さて上記の如く主張した当時と標記の参考人陳述をした現在とでは、小川氏の主張は180度転換している。この30年の間に、彼がそのようにドラスティックな転換を遂げてしまうほどに、国際環境や日本の地位に大きな変化があったのであろうか。

 日本列島に置かれた米軍施設(基地)の状況は殆ど変っていない。小川氏は、現在も「日本列島という戦略的根拠地を提供し、米軍の本社機能が日本に置かれており、84ヶ所もの米軍基地と日米共同使用施設が50ヶ所あり、喜望峰まで活動する米軍を支えている。」と指摘しているではないか。
 ただ、変化したことと言えば、いまや冷戦体制の一方の雄でありアメリカに匹敵する強大な軍事力を有し、わが国にとっても軍事的脅威として現前していたソ連は解体してしまい、世界はアメリカ一極支配の構造となったということだろう。中国が軍備を急速に拡大しつつあるとはいえ、何せ元が小さかったので、アメリカの足元にも及ばず、到底アメリカに対峙できるような力はない。いずれにせよ、これは小川氏が主張を大転換するに足る客観的事情の変化にはならないだろう。

 アメリカは、一極支配構造の下で、なんの自制もなく、世界のあらゆる紛争に武力介入をし、武力による威嚇、武力行使によって強引に自己本位の世界秩序の形成を進めている。これに対するさまざまな抵抗が噴出し、それらは非対称の武力紛争の形態をとりつつ、アメリカのさらなる武力鎮圧にあって、分散し、拡散してウイルスが蔓延するがごとく世界を蝕みはじめている。アメリカに自制を促す強大国がない状況のもとで、アメリカは、自国の安全と国益を最大化することに血道をあげている。アメリカは、いまや世界の抑圧された民衆の怨嗟の的になっている。アメリカ国民とその同盟国の国民は、見えない敵の攻撃にさらされることになる。日米同盟が世界最高レベルの安全をもたらしているなどと、呑気なことを言ってもらっては困るのだ。日米同盟が中国に対する抑止力になるなどと風が吹けば桶屋がもうかるという類のほら話をする前に、日米同盟の深化を叫び、自衛隊を米軍の肩代わりとする道を突き進むことにより、再稼働されれば、原発がテロ攻撃の標的になることを心配した方がいいのではなかろうか。

 在日米軍施設の運営や在日米軍の活動の自由を定める日米地位協定は、日本を植民地並みの不平等な地位に貶めている。米軍の活動は、日本の国内法の規制外に置かれている。今も、アメリカからの新たな施設(基地)の設置要求があれば従わなければならない。犯罪捜査や刑事裁判を筆頭に米軍の軍人・軍属はさまざまな特権を付与されている。米軍施設(基地)の管理は米軍の専権事項である。まさに治外法権である。これを「対等平等」などと言うのは悪い冗談だ。

 1985年の小川氏は、日本は独立国ではないと慨嘆していた。彼はこうも言っていた。「一般的にいわれる日米軍事同盟にしても、米軍と自衛隊が共同して作戦行動をするといった対等の関係ではなく、あきらかに自衛隊を米軍のひとつの戦闘単位として組み込んだ現実が浮かび上がってくる」と。
 今の小川氏は、「『米国の属国』と言うのは日本人が悪い。」とのご託宣を下している。

 これは早い話が単なる変節ではないか。その変節ぶりたるや、見事である。

                             (続く)

小川和久氏の参考人陳述批判(3)

「集団的自衛権の行使か、日米同盟を解消し独自の防衛力を整備するか、の選択肢しかなく、今のレベルの独自防衛には防衛大学の教授の3年前の試算で23兆円が必要とされる。これは選択の余地なしである。」
「同盟を選択した以上集団的自衛権は認めざるを得ない。集団的自衛権は戦争抑止のための制度である。」


 上記は小川氏が参考人陳述で最も力説したポイントである。日本の安全保障政策の基本は、日米同盟の維持か、日米同盟の解消・自主防衛かという二者択一の選択肢しかない、仮に日米同盟の解消・自主防衛を選択すると年間23兆円ものコストを要することになり、到底その負担には耐えられない、従って日米同盟の維持しかないが、日米同盟維持のためには集団的自衛権を認めるのは当然のことである、と言うのである。

 前回紹介した『在日米軍―軍事占領40年目の戦慄―』(1985年3月・講談社)では、小川氏は、社会党が提唱していた非武装中立論にシンパシーを持ちつつ、「闘争心という人類の属性と世界の現状」を考えるとき、それはとり得ないとして、「スイスやスウェーデンのような武装中立国家」こそ日本のとるべき道だとの考えを示していた。小川氏は、少なくとも当時は、非同盟・中立主義の立場で最小限度、自国防衛(専守防衛)の限りで軍備を保持することを是としていたのであった。その小川氏が、一体どのような思想的遍歴の結果、日米同盟至上主義に立ち至ったのかは興味深いテーマである。その点はさておき、彼の歩んだ道は、彼にとってまっすぐな登り坂であり、外交・安全保障・危機管理の分野でときどきの政府の政策立案に深く関わり、「軍事に関する専門家」としての地歩を踏み固めてきたものであったことは確かであろう。

「日米同盟解消によるコストは年間23兆円」はブラフの類

 小川氏は、日米同盟解消によってもたらされるコストは年間23兆円だと述べ、国民に思考停止を強要しようとしているのであるが、その論拠としているのは、武田康裕・武藤功『コストを試算!日米同盟解体』(2012年6月・毎日新聞社)である。
 同書の著者らは、防衛大学校教授であり、防衛大学校安全保障研究会のメンバーであり、強固な現体制維持派であるから、実証的に、日米同盟維持と日米同盟解消・自主防衛選択の場合のコストを比較し、日米同盟維持のコスト面における優位性を論証しようとしたのであろう。
 同書において、日米同盟解消によりコストがどれだけ増加するかという計算は、(日米同盟解消・自主防衛の場合の直接経費増加分)+(同盟解消・自主防衛の場合に発生する経済的損失)-(日米同盟維持に要している直接経費)-(日米同盟維持に要している間接経費)によって示されている。同書が示すこの計算の詳細については、別途十分に読み込んで、検討する必要があるが、ざっと見た限りでも以下のように問題点を指摘することができる。

 第一に、日米同盟解消・自主防衛に必要な直接経費として①島嶼防衛能力の強化に2993億円、②空母機動部隊の保持に1兆7676億円、③戦闘機に1兆1200億円、④敵基地攻撃能力のための情報収集衛星に8000億円、⑤民間防衛組織の強化に2200億円を見込んでいるが、これらは専守防衛の範囲を超える軍備増強であり、憲法9条の規制のない普通の国の軍備に転換しようとするものである。

 第二に、日米同盟解消・自主防衛を選択した場合の間接経費として①貿易の縮小によるGDPの縮小が6兆8250億円、②株・国債・為替の下落により12兆円、③エネルギー価格の上昇1兆~2兆5000億円をコスト増要因として計上しているが、いずれも日米同盟解消との直接的な因果関係があるものかどうか不明であるし、推測の域を出ないものと言ってよい。

 第三に、日米同盟維持の場合の直接経費である在日米軍関係経費を4374億円としているが、本当にこれだけにとどまっているのであろうか。これは全体から見ると些少な部分であるが、こういうところがおろそかにせず財政学の専門家によるチェックが必要である。

 第四に、日米同盟維持に要する間接経費を1兆3824億円と計上しているが、在日米軍施設が存在する場合と返還された場合との経済効果の差し引き勘定や在日米軍施設の存在よってもたらされる被害額、自立した中立国家となった場合に国際社会で得られる信頼度の変化とそれの経済効果なども、検討の余地があるように思われる。

 かつての小川氏なら、こういう検討を自ら行った筈である。しかるに小川氏は、それを丸呑みしてしまい、オーム返しにして、国会における参考人陳述で、国民に対し、ブラフを投げつけたのである。これがかつての武装中立論者小川氏の現在の立ち位置である。

「日米同盟を選択した以上集団的自衛権は当然」か?

 私は、小川氏のブラフにかかわらず、日米同盟解消にチェンジして行くべきだと考える。しかし、それは急激にはできないだろうから、次のような段階をふむべきである。まず、日米同盟のもたらす弊害の極小化を図り、国家主権の自主・自立性を漸次的回復することに努力を傾注する(たとえばドイツ、イタリア、韓国の例を参考に、地位協定を全面的に改訂するとか在日米軍施設の整理縮小を図る。)。それと並行しつつ尖閣・竹島問題の平和解決、日ロ平和条約締結による北方領土問題の合意・解決、さらには東アジアにおける包括的な平和を確立するために、プロアクティブ・コントリビューション・ツー・ピースという「衣の下に鎧」のごとき積極的平和主義ではなく、軍事を極小化し、世界の人民の平和的生存権の擁護、世界の人民の構造的暴力からの解放、人間の安全保障を旨とするポジティヴ・パセフィズムとしての積極的平和主義を提唱して、憲法九条による平和外交に徹する。しかる後に、国際情勢の変化、潮時を見計らって、日米同盟の解消・を提起する。

 さて話が少し横道にそれたが、小川氏が参考人陳述で断言したごとく、日米同盟を選択した以上は、集団的自衛権は必然のことなのだろうか。小川氏がそのようにいう根拠は、参考人陳述では論じられていないが、彼の著書(『日本人が知らない集団的自衛権』文春文書)を参照するとわかる。彼は、同盟関係とは相互防衛体制であり、当然に相互に集団的自衛権の行使しあうことを約束しあうものだというドグマに固執しているのである。その上で、小川氏は言う。わが国は、米国のために在日米軍施設を供与することによって既に集団的自衛権を行使しているのだ、と。

 しかし、小川氏の主張は、あまりにも大雑把すぎる。まず同盟関係といってもいろいろな成り立ちがあり、またその関係形成に至った状況を反映して、千差万別、決して普遍的内容を持つものではない。日米同盟に即して言えば、占領体制の事実上の継続としての旧安保条約下の関係、わが国の施政権下にある地域における共同防衛を謳った現行安保条約下で1990年代まで維持された関係、1990年代以後アジアから世界に展開する米軍の支援に踏み込んだ安保再定義路線上の日米同盟、そして今、安倍政権が世界における米軍との共同作戦行動に踏み出そうとしている新たな段階の日米同盟というように、各段階に応じて個別的に検討しなければならない。しかるに、小川氏は、それらをいっしょくたにしているのである。

 国際法上、集団的自衛権をどう捉えるかについては既に当ブログで述べたところであるから繰り返さない(たとえば『フルスペックの集団的自衛権も限定的な集団的自衛権も単なる言葉の綾である』http://t.co/vUUMCoKWc8を参照されたい。)。

 少なくとも国際法上の集団的自衛権は、他国に対する武力攻撃の存在とそれに対する反撃としての武力行使が必須の要素であり、在日米軍施設の提供だけでは集団的自衛権の行使とはみなされない。またこれまでは米国に対する武力攻撃があってもわが国が武力行使に踏み出すことはなかった。

 日米同盟という言葉が、公式の場ではじめて用いられたのは、1979年5月末のこと。訪米した大平正芳首相が、ホワイトハウスの歓迎式典でのスピーチではじめて用い、カーター大統領の会談でも用いた。次いで次の鈴木善幸首相が1981年5月に訪米したときに初めて日米共同声明に盛り込まれた。それ以前は、日米関係とか日米安保体制という言葉が用いられていた。鈴木首相は、記者会見で、日米同盟という言葉には軍事同盟という意味はないとコメントし、当時の外務省高官に安全保障の素人呼ばわりされたというエピソードもある。
 同盟と言っても千差万別である。そのことを無視して、小川氏が、国会の参考人陳述の場で堂々と極論を披歴し、安倍政権の集団的自衛権行使容認を称えたことは、わが国が、今、とりかえしのつかない道に踏み込もうとしていることのグロテスクな象徴である。
                             (続く)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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