9条加憲―都議選後の自民党の動きから(続)

 きのうの「朝日新聞」は、改憲問題に関する報道がなく、物足りなかったが、本日付朝刊で、1面、3面、4面にわたって報道し、一気に挽回している。いずれも読み応えがあるが、昨日行われた自民党改憲推進本部全体会議の主な発言を拾っている4面の記事が、何の解説も不要なほどに、現在の同党の混乱ぶりを示しており、興味深い。以下に引用する。

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保岡興治本部長 都議選の結果は残念だったが、その意味するところを踏まえて改憲に取り組む。臨時国会に自民党の具体的な改憲案を示す目標に向かって議論を進めたい。

河野太郎・前国家公安委員長 9条はかなり議論されているものだったが、緊急事態条項は相当丁寧に議論する必要がある。数多く議論の場を設けて、ちゃんと時間を取る必要がある。

石破茂・前地方創生相 都議選はなんだったのか。「丁寧な議論をちゃんとやって」「分かるようにやって」が都民の意思。きちんと丁寧な議論をやるべきだ。2012年の自民改憲草案には、9条と緊急事態はきちんと書いてある。「書いただけ」と言ったら、自民の言うことは誰も信じない。主権者にきちんと説明せず、国民投票にかけていいはずがない。

山谷えり子・党拉致問題対策本部長 安倍晋三総裁が示された改憲スケジュールを、変えないように支えていくのが、自民党のあるべき姿だと思う。

西田昌司・参院国会対策委員長代理 都議選の最終日に「安倍帰れ」コールをやった連中は改憲はやらない勢力。国民に説得力があるように感じるのは、緊急事態と9条改正は戦争のためにやっていると思っているから。憲法は占領時に作られたと分かっていない。

滝波宏文参院議員 改憲は党是。都議選で色々動いているが、こういう時こそ一致団結して改憲に向けて歩みを進めなければいけない。衆参両院で3分の2の改憲勢力がいるのは今しかない。この時に一字も変えられなかったら後悔する。

佐藤正久・元防衛政務官 緊急事態条項は腰を落ち着けてやる必要がある。国会議員の身分手続きは切り離してやるのも一案だ。

衛藤征士郎・元衆院副議長 臨時国会の会期末までに、総裁は自民案を出すと明言した。私も賛成、ぜひ提出して。9条も緊急事態も、最初から特定政党の要望に応える形で調整するのは避け、純度の高い自民原案をまず出すべきだ。

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 めいめい勝手に、あっちを撃ち、こっちを撃ち、あるいは撃ちかたやめ!を叫ぶ、まるで敗残兵の一団のようではないか。だが油断してはならない。敗残兵の中には、なんといっても死にもの狂いで、包囲網を強行突破いしょうとする愚かな挙にでる者がいるからだ。

 さて、都議選では、自民党と組むのは危ういとばかりに、どろ船をおりて、小池百合子知事と「都民ファースト」の双胴船に乗り換えた公明党は、前回当選議席数を維持することができた。実に賢いというか狡猾というか、心憎いばかりであった。その公明党の動向が気になるところであるが、それは1面の記事中でフォローされていた。

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 これに対し、山口氏は5日の記者会見で、憲法改正についての自民党内の議論を見守る考えを示したうえで、「与党の枠組みがただちに憲法の議論につながるものではない」と明言した。公明と敵対した都議選で自民が惨敗。次期衆院選で自民の小選挙区候補が推薦を受ける公明票の重みが再認識され、政権内での公明の発言力が高まるとの見方が広がる。改憲には公明の協力が不可欠なだけに、官邸幹部は「クギを刺された。臨時国会で示すのは現実的ではない」と認めた。

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 私は、さらに打て!と叫びたい。「『フェアプレイ』はまだ早い」のだ。

                                   (了)

9条加憲―都議選後の自民党の動きから


 マスコミ各社の報道によると、都議選の歴史的惨敗の結果を受けて、安倍首相、自民党は、秋の臨時国会で、衆参憲法審査会に9条加憲案を提案するとの従来方針をあくまでも堅持し、推し進めることを確認したようだ。
 しかし、それでも「丁寧な議論に努める」などと世論への慎重な配慮をにじませるなど、これまでとは異なった進め方を検討せざるを得ない状況に追い込まれている。それに党内異論派、慎重派の声も無視できない。

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7月5日付「毎日新聞」朝刊 

 自民党憲法改正推進本部(保岡興治本部長)は4日、非公式幹部会合を開き、安倍晋三首相の方針通り、今秋の臨時国会に党改憲案提出を目指すことを確認した。
東京都議選の惨敗を受け、世論をにらみながら丁寧な議論に努めることでも一致した。党内では首相主導の改憲論への批判も出ており、執行部の想定通りに進むかは見通せない。

(中略)

 船田元・推進本部長代行は自身のフェイスブックに「自民党案を押しつけることは、国民の反発を受ける可能性がある」と書き込み、公明党や野党との対話を優先するよう求めた。

 (中略)

 だが、安倍首相は3日の毎日新聞のインタビューで今秋の党改憲案の国会提出について「変わっていない」と強調した。二階俊博幹事長も4日の記者会見で「総裁(首相)の決意を全面的に支持していきたい」と後押しした。

7月5日付「東京新聞」朝刊

 自民党の高村正彦副総裁は四日、党憲法改正推進本部の保岡興治本部長、上川陽子事務局長らと党本部で会い、秋の臨時国会で改憲原案を衆参両院の憲法審査会に提出する方針を確認した。党内には、東京都議選の大敗により、安倍晋三首相(党総裁)が目指す改憲日程に影響が出るとの見方もある。

(中略)

 首相と距離を置く石破茂元幹事長は「これが改正案だというのが出てきて『シャンシャン』と(了承と)なったら、今度こそ大変なことになる」と、慎重な議論を
求めている。

「産経新聞」デジタルニュース7月4日23時28分配信

 自民党幹事長や官房長官を歴任した野中広務氏は4日夜、同党の安倍晋三総裁(首相)が目指す憲法改正について、東京都内で記者団に「私個人は反対だ」と述べた。
 野中氏は、自民党額賀派(平成研究会、旧経世会)の結成30周年の会合にOBとして出席。終了後、記者団の取材に応じ「私みたいに戦争に行き、死なずに帰ってきた人間としては、再び戦争になるような歴史を歩むべきではない。これが信念だ」と強調し、憲法9条に自衛隊の存在を明記するなどの改憲案に反対を唱えた。

(後略)

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 5月3日の安倍提案以後、急加速していた9条加憲問題に、自民党が、ピリオドを打つのは、党として安倍首相に退陣を迫るに等しいことである。今の政治状況は、まだそこまでは熟していないと見るのが大方の一致するところだろう。となると、当面は、大きな選挙がないから、よほど世論調査で内閣支持率激減ということにでもならない限り、安倍首相にとっては、モラトリアム、しばらくは派手な外交と「お得意」の経済政策に専念して、「待てば海路の日和あり」とゆきたいところではなかろうか。

 安倍首相の野望は、一時、後退を余儀なくされた。これを一時的な後退にとどめさせるのか、それとも完全断念と退陣に追い込むかは、私たち国民の努力次第である。

 私たちは、座視していてはならない。今こそ、追撃をかけるときだ。
                             (了)

イタリア憲法改正の挫折―何が問題だったのか

 イタリアでは、昨年12月4日、憲法改正国民投票が行われ、投票率65.47%、賛成40.89%、反対59.12%で、否決、この憲法改正国民投票を政権への信任投票と位置付け、強力にキャンペーンをはってきたマッテオ・レンツィ首相(民主党書記長)は、辞任に追い込まれた。

 イタリア憲法138条によると、憲法改正手続きのハードルは高い。

 上下各院において3 月以上の間隔を置いて2 回可決すること、2 回目の表決は、議員の絶対多数による可決が必要であることとなっている。
 さらに、2回目の表決が、各院の3分の2 以下であったときは、何れかの院の5分の1 以上、50 万人以上の有権者又は五つの州議会の要求(これらの要求がなければ上記で確定)があったときに、国民投票に付することとし、その過半数の賛成を得なければならないとされている。

 ではどのような憲法改正案であったのか。

 投票用紙には、「議会で承認された2016年4月15日付の官報第88号せ公布された『(上下両院が)対等な二院制を克服するための措置、議員定数の削減、諸制度の運営費の抑制、国民経済労働評議会の廃止、共和国憲法第二部第五章の改正』に関する憲法改正法を承認しますか」と記されており、賛成、反対のいずれかに印をつけるようになっていたとのことである。

 この投票用紙の記載内容を読んで、イエス、ノーの回答をするためには、よほどの基礎知識が必要であり、多くの国民にとってはとても判断ができないものにように思われる。だからレンツィはじめ政権幹部は、「ひとこと賛成に印をつけてくれさえすればよい」とのスローガンで、国民を誘導しようとしたのであろう。

 イタリア憲法では、上院は、州を基礎に選ばれ、定数315と定められている議員から構成されており、全国民の直接選挙により選出される議員からなる下院と全く対等平等な権限を持つものとされている。
 憲法改正案の中心は、この上院について、定数を100に削減し、うち5は大統領によって任命(これは報酬あり)、残り95は州議会議員や市長から互選されることとし(これは原職で報酬が支給されるので無報酬)、その権限を大幅に縮小する(法案審議や内閣信任・不信任決議採択の権限を下院に限定する。上院は下院で可決された法案の修正を提案できるが、下院は修正を拒否することができるなど)というものであった。

 戦後イタリア政治の歴史をひもとくと、政党間の対立、上院と下院の対立によってしばしば長期にわたって政治空白がもたらされていることがわかる。このような政治空白はいわばイタリア政治の宿痾であったと言っていいだろう。

 この度の憲法改正の企図は、この宿痾の原因の一つに対する外科治療を施すことにあった。しかし、治療自体にはそれなりに合理性、必要性は認められるものであったとしても、外科治療が適応であったのか、外科治療の手技、病巣摘除の範囲が適切であったのか、インフォームド・コンセントが十分に確保されていたのか、それらはまた別問題である。

 レンツィは、議会ではこれらの論議を尽くさせ、よりよい改正案を模索しなければならなかった。 

 レンツィは、民主党の書記長ではあったが、下院議員の経歴はない。そのため国民からの信任が欲しかったようだ。当初から議会における2回目の表決で三分の二を確保することが困難な状況にありながら、強引に可決し、国民投票に持ち込んで、これをプレビシット(信任を得るための人民投票)とする、こういう目論見で突っ走ってしまったのであろう。

 わが国に置き換えてみよう。憲法改正の一応の合理性、必要性があっても、それだけでは、憲法改正の立憲主義的規制の要件を満たしたことにはならない。それだけのことで突っ走り、数の力で仮に国会が憲法改正を強行発議しをしても、国民投票では、国民は承認しないだろう。

 ましてや憲法9条「改正」は、何らの合理性、必要性もないのである。

 
 安倍首相は、イタリアの経験を、少しは、まじめに考えてみるべきではないか。

                        (了)

山が動いた―9条改憲阻止への道筋

 東京都民は、都議選で、自民党に23議席しか与えなかった。自民党にとっては、結党以来の大惨敗である。

 本日付「朝日新聞」朝刊は次のように報じている。

「『1強』のもとで批判が表に出ない自民党内の権力構造が都議選の敗北で崩れ、首相が急ぐ憲法改正に向けた党内の原案づくりにも影響するのは必至だ。次の臨時国会への党原案の提出や、来年の改憲発議と国民投票という首相が描く日程も不透明になってきた。」

 都議選は、一地方自治体の選挙とはいえ、全国の有権者総数の1割近くを占める首都・東京における大型選挙であったから、各党ともに国政選挙に準ずる取り組みをし、また投票所に足を運んだ都民もそのような自覚をもって投票をしたであろう。

 安倍首相の一身独裁(森友学園事件、加計学園事件という政権スキャンダルとその強引な幕引き策、「共謀罪」法案の異例な強行採決、安倍首相による唐突な憲法9条加憲改憲提案と自民党憲法族の一斉追随)及び、その一身独裁の下での下僚たちの腐敗・弛緩現象(あいつぐ暴言とスキャンダル)。

 「危機とは、旧き世界が死滅しつつ、新たな世界が生まれない空位の中で、様々な病的症状が表れることなのだ。」(アントニオ・グラムシ)

 東京都民は、この「空位」をブレークスルーし、「新たな世界」への扉をこじ開けようとしたのである。

 上記の記事は、まこと当を得たものであった。

 これをさらに後追いする報道がなされている。朝刊には間に合わず、本日05時04配信の朝日新聞デジタルニュースで報じられたのであるが、「朝日新聞社が1、2両日に実施した全国世論調査(電話)によると、安倍内閣の支持率は38%(前回6月調査は41%)、不支持率は42%(同37%)で、2015年12月以来、約1年半ぶりに支持が不支持を下回った。」とのことだ。

 こと9条改憲問題に関して言えば、一昨日、私は、「ある政治家、ある特定政治集団の憲法9条を変えたいとの信条や情念などは、悪しきポピュリズムとはなり得ても、憲法改正の立法事実とはおよそ無縁であることは明らかです。そのような政治家や特定政治集団は、非立憲であり、やがて歴史のくずかごに投げ捨てられるでしょう。」と書いたが、この新たに出現した政治状況は、そのことを如実に示していると言ってよい。

 山が動いた。9条改憲阻止への道筋が見えてきた。

                   (了)

明治憲法は、明治維新の亜流であった

 当ブログに連載した『明治維新という時代』第二話『大西郷は永続革命をめざしたのか?』において、私は、明治六年の政変(筆頭参議西郷をはじめ、板垣、江藤、副島、後藤の五参議追放)及び明治十四年の政変(筆頭参議大隈の追放)について、以下のように述べた。

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 「1871年8月、三条、岩倉、西郷、木戸、板垣、大隈によって構成される政府(大久保は大蔵卿として大きな力をもっていたが、参議ではなかった。)が発足して以来、とりわけ遣外欧米視察団出発以来、急進的改革が累次積み重なり、同使節団全員が帰国した直後の1873年9月中旬の時点で、蜘蛛の糸の巻きあいといった具合に、もつれにもつれてしまった政権内部の対立と抗争を、遣朝使節派遣問題に焦点をあわせ、西郷が用いた「レトリックとしての使節暴殺論」を逆転させ、使節派遣=即時開戦との論をたてて、遣朝使節派遣を延期=拒否し、西郷と西郷を支持する参議らを失脚させることによって、漸進改革の提唱者である大久保を中心とした政権に一新する、同時に、有司専制なる少数者の密室政治を復活させ、確立させる、これが明治六年の政変である。」

 「大隈は、早期国会開設論と立憲政体としてイギリス流の議院内閣制をとるべき固めたが、意見書の提出を控えていた。これにより政府内の対立が先鋭化することを避けようとしたのである。しかし、有栖川宮からの重ねての催促を受けて、意見書の内容を他の参議に明かさないとの約束のもと、ようやく1881年3月に意見書を提出した。
 その内容は、年内に憲法制定、政体は政党本位の議院内閣制とする、翌年末には国会議員選挙、2年後国会開会という急進的なものであった。
 その内容に驚いた有栖川宮は、約束に反して、三条、岩倉に相談、伊藤もその意見書を閲読するに至る。伊藤は憤然として、大隈を切るための陰謀をめぐらし始める。
 伊藤は全参議を糾合し、再び岩倉と結託し、岩倉をして、折から発生した(北海道)開拓使官有物の払い下げ問題(開拓使の存続期間満了をもって、時価3000万円相当ともいわれた官有物を、わずか30万円で、しかも30年間無利息割賦払いという、現代の森友学園国有地払い下げ問題など足もとにも及ばない巨額の国家財産簒奪事件。開拓使長官が黒田清隆、払い下げを受ける者が五代友厚、いずれも旧薩摩藩出身であることから連日新聞紙上をにぎわした。)で、大隈が情報操作をして、騒ぎを大きくし、早期国会開設の自論を有利に導き、政権基盤を確保しようとしているなどと天皇に讒訴、参議罷免を上奏させるに至った。

(中略)

 大隈は涙をのんで、同年10月11日、辞表提出、翌日、これを受理するとともに開拓使官有物払下げは取り消し、あわせて「明治23年を期し、議員を召し、国会を開き、もって朕が初志をなさんとす」との勅諭(国会開設の詔)が公布された。

 大隈が追い落とされた翌年、1882年8月5日、戒厳令が制定された(太政官布告第36号)。これはたまたま時期がそうなったものではないことは、衆目の一致するところであろう。

 こうして見ると、明治十四年の政変は、明治六年の政変の規模の小さいリフレインであったといえる。伊藤の奸知がますます冴えわたっているのが見えるようだ。」・・・・・・・(以上6月10日掲載分))


 「明治六年の政変、明治十四年の政変により、フランス流立憲政治、アメリカ流立憲政治、イギリス立憲政治、いずれにも向かい得る多様な可能性は消去され、プロシア流の疑似立憲政治へと選択肢が絞られた。法律によっていかようにも制限できる「自由」と「権利」、万世一系の天皇の大権、統帥権の独立。その下でわが国は、産業の発展と軍事大国化の道をひた走り、植民地と市場の確保のために軍事力を行使し続ける。気づいてみれば、軍国主義、ファシズムが席巻し、アジア全域を侵略し、世界を相手に無謀な戦争へ突入に突入していた。」
  ・・・・・・・(以上6月11日掲載分)

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 上の文章を書いた時点では、姜範錫『征韓論政変―明治六年の権力闘争』(サイマル出版)は、まだ読んでいなかったが、最近、入手して一読してみた。
 姜は、経歴を見ると、1959年、早稲田大学政経学部政治学科を卒業、韓国日報政治部記者、中央日報東京特派員、韓国日報政治部次長を経て、1973年、官界に入り、駐日韓国公使を務め、退官後は、大阪市立大学客員教授として教鞭をとったとある。
 素人歴史家の書いたものとの先入見をもって、少し斜に構えて読み始めたが、すぐに姿勢を改めることを余儀なくされた。これは本格的な研究書である。

 明治六年の政変前、左院(太政官職制によると、太政官(政府)に置かれる一機関で、要にあたる正院(行政、司法にあわせ、立法の最終権限も握っていた。)、行政機関の長の連絡調整機関である右院に対し、立法権に参与するものとされるが、ややその地位・権限は不明確であった。)において、国憲(今日の憲法)の策定の準備が進められていた。

 当時、左院小議官であった宮島誠一郎が、その経過を記録し、『国憲編纂起源』という書物として残しており、今日、我々も読むことができる。

 それによると「いわゆる国憲なるは、フランスの五法の如く、広く人民に関渉せしものにして、その性質帝王自家の憲法にあらず」とされている。憲法は、フランスの諸法のように、広く人民の権利義務に関係するものであるから、天皇が一方的に決めるべきものではないというのである。

 姜は「(上記の)信条をいだく江藤ら土・肥派を野に放逐した明治六年の政変こそ、天皇制国家を完成した明治憲法制定への始動であり、実践的な第一歩であった」と述べている。全く同感である。

                              (了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイアして4年。歳を重ねましたが、「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう」と思います。

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