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「慰安婦」問題の記事に藉口した言論抑圧を弾劾する

 雑誌『世界』2月号に掲載された元朝日新聞記者植村隆氏の手記『私は闘う』を読んだ。サブタイトルに「不当なバッシングには屈しない」との決意がしたためてあるが、心底から激励と連帯の声をかけたくなった。植村氏に浴びせられた一連の攻撃は、単なるバッシングではなく、明白な犯罪行為にあたる。
 その中心に位置していたのは『週刊文春』の記者某であった。彼の取材にかこつけてした行為はわが法治国家においては許されるべきことではないし、彼が書いた『週刊文春』記事の内容も誹謗中傷の類で、侮辱、名誉毀損以外のなにものでもない。

 「この記事をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際イメージを大きく損なったとの指摘が重ねて提起されています。貴大学は採用にあたってこのような事情を考慮されたのでしょうか」。昨年1月27日、『週刊文春』記者某が神戸の松蔭女子大学に送りつけた質問状からの抜粋だ。

 ここに、この記事とあるのは、植村氏が書いた1991年8月11日付朝日新聞大阪本社版の社会面トップに載った記事をさしている。これは、匿名の韓国人元「慰安婦」の証言を報じたものであった。これが報道された後、その匿名の元「慰安婦」は実名で記者会見し、これに勇気をもらった韓国人元「慰安婦」らから次々と証言が寄せられるようになり、韓国において「慰安婦」問題は大きくクローズアップされることになったのであった。
 この記事は今から振り返れば若干の不正確さを指摘できるかもしれないが、大筋において間違いはなく、捏造などという非難は到底あたらない。むしろ先のアジア太平洋戦争にまつわる史実を掘り起こし、わが国の戦後処理の問題点を明らかにするとともに、植民地や占領地域における戦争犠牲者の声を闇から拾い上げ、戦争責任を今に問うというジャーナリズムの本道をいく記事であったといえるのである。

 この記事が報じられた1991年8月以後、「慰安婦」問題は、国内外において、政治・外交の場面で、あるいは裁判の場面で、多くの証拠資料がつきあわされ、その実相が浮き彫りにされてきた。「慰安婦」とは、いまや、植民地や占領地において、甘言、欺罔、強迫、人身売買その他一部には有形力の行使により駆り出され、日本軍の強制下において、日本軍兵士らの性欲処理の道具として使役された性奴隷であったことが明らかになっている。
 「慰安婦」問題は、河野談話を産み、一定の解決への筋道も用意されたが、わが国の真摯な謝罪と慰謝の措置があいまいにされた状態での解決には応じられないとの元「慰安婦」の対応や韓国世論の突き上げの中で、いまも日韓の重要な懸案事項となっている。
 その長い「慰安婦」問題史において、植村氏の書いた記事は、一つの過去のエピソードとして名残を止めているに過ぎなかった。状況はずっと先に進んでいたのであり、特定の意図をもった人たち以外には、これを掘り返すようなことはしないであろう。特定の意思を持った人たちとは、「慰安婦」問題を打ち消し、日韓の緊張と対立を煽ることに存在意義と利益を見出そうとする右派政治家、右派政治集団及び右派ジャーナリズムである。

 植村氏の書いた記事に、『週刊文春』記者某は、執拗にくらいついた。あろうことか植村氏を教授として採用したことが間違いであることを示唆する上記の質問状を松蔭女子大学に送りつける一方で、そのころ既に『週刊文春』誌上に載せる記事を書いていた。
 昨年1月末発売の『週刊文春』2月6日号は嫌韓特集を組んでいた。その中の一つの記事が彼が書いたものである。そこで彼は、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との見だしで、植村氏の書いた記事を「捏造」と決め付け、「本人は『ライフワークである慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようです」と、全く事実無根のことを書いたのである。ネット上では、植村氏バッシングが広がった。その火付け役となったのは「チャンネル桜」に流された「逃げるな!朝日新聞・植村隆記者よ」という番組であった。なんとそこに登場したのは、植村氏を朝日新聞函館支局に訪ねて『週刊文春』記者某と行動をともにした女性ジャーナリストだったという。なんと周到な仕掛けをしくんだものだろう。

 植村氏は既に松蔭女子大学の教授となることが決まっていた。『週刊文春』記者某は、植村氏の採用を取り消させることを意図したとしか考えられない。実際、同大学に抗議の電話や、採用を取り消すように要求するメールが殺到する。中には「街宣活動」をするとの脅しさえあったという。
 そのような渦中に巻き込まれた松蔭女子大学側は、そのような攻撃と闘う道をとらず、植村氏に採用辞退、即ち雇用契約の任意解除を求めてきた。これに対し、植村氏は、大学側も被害者と考え、やむなくこれを受け入れたのであった。

 しかし、それでことは終わらなかった。今度は、植村氏が非常勤講師をしている北海学園大学に鉾先が向かったのである。植村氏を切れといういやがらせの電話、メールが殺到した。北海学園大学に脅迫状を送った男が検挙されたことも昨秋報道されている。だが驚くべきが、植村氏の手記で明かされた。かの『週刊文春』記者某は、昨年8月1日、「(植村氏につき慰安婦問題記事で重大な誤りが指摘されているとして)大学教員として適性に問題はないとお考えでしょうか」という質問状を送っていたのである。これは松蔭女子抱く学への質問状と同じく植村氏をやめさせることを意図したものとしか考えられない。

 幸い植村氏への支援の輪が広がり、大学側は、一時動揺したものの今は不当な嫌がらせに屈しないとの態度を固めているとのことである。また植村氏に対する法的なサポート体制も中山武敏弁護士を筆頭に多数の弁護士が結集して弁護団体制が組まれているとのことである。
 植村氏とご家族の平穏を祈ってやまない。そのためには不当な攻撃を跳ね返す多くの人々の励ましと、言論抑圧は許さないとの世論の盛り上がりが必要である。

 『週刊文春』記者某の一連の行為は、取材の自由、表現の自由の範疇におさまるものではなく、偽計による業務妨害、名誉毀損に該当する犯罪行為として適正な法的制裁を受けるべきである。このようなことを決して許してはならない。
同時に、最近の一部週刊誌は、売れれば何でも書く。明らかにジャーナリズムの一線を越えている。恥を知れと言いたい。(了)

おそまつな外務省のテレビ朝日への抗議、訂正申し入れ

 2月3日、外務省ホームページに、妙な文章が掲載された。外務報道官及び中東局長の連名で、テレビ朝日に対し、文書及び口頭で申し入れを行ったとのコメントが付されている。短い文章だから全文を掲載しておこう。

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貴社は,平成27年2月2日放送の「報道ステーション」において,シリアにおける邦人人質殺害事件につき報じる中で,総理の中東訪問に関し,「そもそも外務省関係者によれば,パリのテロ事件もあり,外務省は総理官邸に対し中東訪問自体を見直すよう進言していた」旨報じ,また,エジプトで行われた総理の政策スピーチに関し,「外務省幹部によると,この内容についても総理官邸が主導して作成されたという」と報じるなど,あたかも外務省の意に反して,中東訪問が行われ,スピーチの当該部分が作成されたかのような報道がありました。

 この報道内容は事実と全く異なるものです。

 総理の中東訪問については,同2日の参議院予算委員会で総理も述べられているとおり,様々な観点を総合的に判断して決めたものであり,貴社のように社会的に影響力の大きい報道機関が,このように事実に反する報道を行うことは,国民に無用の誤解を与えるのみならず,テロリストを利することにもつながりかねないものであり,極めて遺憾と言わざるを得ません。

 当該報道に関し強く抗議するとともに,本日の番組の中で速やかに訂正されるよう強く求めます。

 なお,同番組のその他の部分については,申し入れの対象としておりませんが,外務省としてそれらの内容について確認したものではありませんので,念のため申し添えます。

****************************************

 今回の中東訪問とそのスケジュール、安倍首相のスピーチの内容、イスラエル国旗の前でスピーチしたというパフォーマンスなどをめぐっては様々に取り沙汰され、安倍首相への批判は根強い。とりわけイスラム国側が、直接に殺害予告と身代金要求の根拠としてあげたカイロでのスピーチの次のくだりは、イスラム国側に犯行の口実を与えたものであり、不用意かつ挑発的な発言ではなかったのかと指摘する意見が多く、安倍首相の責任問題に発展しかねないものであった。

 報道ステーションは、外務省関係者、外務省幹部への取材で、これらは官邸サイドが主導したものと報じたのである。報道ステーションの視聴者の多くは、この報道から、これらのことには、安倍首相の意向が強く働いていたのであろうと推測した筈である。それは、安倍首相にとっては、穏やかならざることだ。ただちに官邸サイドから、外務省へ指示がとんだことは見え見えである。「善処せよ」と。

 外務省は、あわてふためいて、上記のとおりのテレビ朝日への抗議、訂正の申し入れとあいなった次第である。あわれなるかな、ストレイ・シープではないか。しかしながら、真実は自ずからあらわになる。上記の文章を読むと、報道ステーションの報道内容がほぼ間違いないことを認める結果に終わってしまっているのである。

 まず「外務省は総理官邸に対し中東訪問自体を見直すよう進言していた」との報道に対しては、「総理の中東訪問については、同2日の参議院予算委員会で総理も述べられているとおり、様々な観点を総合的に判断して決めたものであ(る)」と、一見、事実と異なる点を具体的に指摘しているように見えるが、よく読むと、そうではない。様々な「観点を総合して決めた」というのはおそらくそうだろう。しかし、それは最終的な決定の態様を述べているに過ぎず、その過程で、外務省は見直しを進言したが、官邸サイドが強く主張し、決まったとの報道内容と排斥するものではないのである。

 次に総理のスピーチの内容が「総理官邸が主導して作成された」との報道に関しては、何らの具体的指摘もしておらず、報道内容を自認したに等しいのである。もっともこれは、直後の4日の衆議院予算委で、安倍首相本人が、「私の責任でスピーチを決定した」と認めてしまった。外務省の面目丸つぶれであろう。

 かくして、「国民に無用の誤解を与えるのみならず,テロリストを利することにもつながりかねない」ことをしているのは、このようなへんてこりんな抗議、訂正申し入れをした外務省であり、さらにはその背後にいると思われる某高官であることは、一目瞭然となった。

 蛇足になるかもしれないが、安倍首相のカイロでのスピーチの問題部分は以下とおりである。ここには人道支援などという文言は入っていない。

 「地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺諸国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」
 (了)

このようにして財界の政治支配は確立された

 わが国の戦後政治史において、米国の対日政策がわが国の政治に決定的影響を及ぼしてきたことはいうまでもないことである。とりわけ占領下においては、米軍を主体とするGHQの権力は絶対的であったから、そのことは顕著であった。

 占領初期には、米国の対日政策は、米英ソ中が協調のシンボルともいうべきポツダム宣言に基づいて、わが国を徹底的に改革することに主眼が置かれた。軍国主義の一掃と軍事力の徹底的解体、政治、経済、社会の徹底的民主化、超国家思想・神道・天皇崇拝の打破と基本的人権の確立などやつぎばやに推し進められた。これらはわが国指導層や一般国民から、ほとんど反発、抵抗を招くことなく、むしろ歓迎されたといってもよい。

 1947年3月、トルーマン米大統領は、米国両院合同会議で、「最近、世界の多くの国の国民が己の意に反して全体主義体制を強制された。ポーランド、ルーマニア、そしてブルガリアにおける、ヤルタ協定違反の強制と脅迫に対し、合衆国はたびたび抗議してきた。他の多くの国においても同様の事態が起こっていることを、私は述べておかねばならない。」と、ソ連を激しく非難し、共産主義者勢力との内戦状態にあるギリシャとその隣国のトルコへの軍事援助を実施することを発表し、ソ連との対決路線を鮮明にした(「トルーマン・ドクトリン」)。

 これがソ連封じ込め・冷戦政策への転換の狼煙であった。この前後ころから米国の対日占領政策に変化の兆しが表れはじめたが、その転換がはっきりと示されるようになったのは、1948年10月、第二次吉田内閣成立のころからと見てよいだろう。吉田は、米国の冷戦政策の忠実な追随者であった。

 米国は、まずポツダム宣言に基づいてわが国を改革するという目標はほぼ達成されたとして、わが国の経済復興に重点を置くようになる。もっとも、この点は、実業界から陸軍次官に就任したウィリアム・ドレーパーが、既に1947年9月に来日した際に、占領目的を「改革」から日本の経済的自立化へと転換するべきだと述べているので、その前後から徐々に進んできており、第二次吉田内閣期において一気に加速されたと見るべきであろう。
 それが最も明確な姿をとって見せたものが、いわゆるドッジラインである。

 ドッジラインで知られるジョゼフ・ドッジは、デトロイト銀行の頭取であったが、トルーマン大統領からその手腕を見込まれて、日本経済の復興の指南役に抜擢された。ドッジは、早速、日本経済の復興策として、経済安定九原則を策定し、1948年12月、GHQを通じて日本政府に示された。経済安定九原則とは以下のとおりである。

① 歳出の削減による均衡予算の達成
② 徴税の強化
③ 金融機関による融資抑制
④ 賃金安定計画の立案
⑤ 物価統制の強化
⑥ 外国貿易・為替の統制強化
⑦ 配給制度の効率化
⑧ 国産原料・製品の増産
⑨ 食料統制の効率化

 ドッジは、1949年3月、来日し、GHQ経済顧問の資格で、日本政府に対し、経済安定九原則の実施を指示・指導した。ドッジは来日時の記者会見で「日本の経済は両足を地につけていず、 竹馬にのっているようなものだ。 竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。 竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある。」と述べたが、日本政府に迫ったのは第一に予算均衡・健全財政の実現、第二に各種補助金の全廃、第三に復興金融公庫の新規貸し出し全廃で、まさに有言実行であった。

 ドッジラインにより、資金繰りが困難になった多くの企業が整理され、行政機関職員定員法の厳格な実施がなされ、多数の民間労働者、官公労働者が首切りされた。これにより労働争議が頻発した。不景気と下山事件、三鷹事件、松川事件などが続き、社会不安が亢進した。

 しかし、その厳しい時期が過ぎると、既に、GHQ、政府、資本の総力をあげた弾圧・攻撃、レッドパージと労使協調派の育成により労働組合の力は著しく弱体化し、その一方で日本経済は確実に復興を遂げ、財界は自信と力を取り戻した。その延長線上に、1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、朝鮮特需を呼び、日本経済と財界は疾風怒濤の時代を向かえた。

 こうして自信と経済的力を取り戻した財界は、日本の政治を左右する力をも回復した。吉田政権期は、今日に至る財界の政治支配確立の濫觴であった。

 1951年1月25日、財界8団体(経団連、日経連、日本商工会議所、経済同友会、日本産業協議会、金融団体協議会、日本貿易会、日本中小企業連名)は、来日中の米国特使ジョン・フォスター・ダレスに対し、政府を飛び越えて、以下のごとき「講和条約に関する基本的要望書」を提出した。

(1)確固たる国連の集団的安全保障を与えられたい。
(2)集団的安全保障が確立するまで米国が日本をあくまで防衛することを確約されたい。(3)なお、それまで日米相互の協定による米国軍の駐兵を希望し、そのために必要な基地は提供する。
(4)日本として国土防衛に必要な最小限度の防衛組織を樹立する用意がある。ただし装備については米国の強力な援助を待ちたい。
(5)防衛組織は日本側の完全に自主的な機構とする。

 吉田政権が、ためらいつつ試行錯誤繰り返していたことを、ズバッとダレスに要望し、吉田政権を引っ張って行ったのである。財界による政治支配確立の嚆矢といってよいだろう。(了)

国会議員の定数削減は民主主義の形骸化を進める


 民主主義という言葉を広辞苑でひくと次のように説明されている。

 「[民主主義] (democracy)語源はギリシャ語のdemokratiaで、demos(人民)と kratia(権力)とを結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場をいう。古代ギリシャの都市国家で行われたものを初めとし、近世において市民革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、またその実現が要請される。」

 わが日本国憲法のもとでは、国民主権と、基本的人権を尊重・擁護するための立憲主義にもとづく政治システムと言い換えてもよいだろう。そのためには国権の最高機関たる国会が、国民の声を可能な限り公正・平等に反映できるように構成され、活発かつ真摯な議論を通じて十分な審議を行い、少数意見の尊重を図りつつ、最終的には多数決によって決することとするという制度設計がなされていなければならない。

 かつて、わが国において、衆議院議員選挙に小選挙区制を導入するに際し、二大政党制と政権交代、多数派による安定政権づくりのための「政治改革」として称揚され、それが唯一の選択肢であり、これに反対する勢力は改革を妨害する守旧派であるかのごとく、政権政党側とマスコミ及び政治学者らが一体となったキャンペーンが展開されて。だが、そのようにして導入された小選挙区制によって、得票率と獲得議席とが著しく乖離し、民意に反するとさえいえる安定多数政権が出現することになり、その一方で、大量の死票と棄権・白票の発生による少数意見と小規模政党の切り捨てが現実化した。そしてそれがもたらしたものは、大量の有権者の反選挙・非選挙志向であり、選挙のパロディ化であり、民主主義の危機である。
 
 今、この小選挙区制導入時に展開されたことと似通ったことが起こっている。それは「身を切る改革」と称されている国会議員の定数削減問題である。2年前、2012年11月14日、当時の野田首相は、安倍自民党総裁との党首討論で、次のように述べた。

 「定数削減は、2014年に消費税を引き上げる前に、まず我々が身を切る覚悟で、具体的に定数削減を実現しなければいけないと思っております。我々は、45削減をする、ゼロ増5減含めて、45減の法案を今日提出を致しました。是非、御党におかれても、元々マニフェストで、国会議員の1割削減と訴えてたはずじゃありませんか。衆議院議員は480です。1割削減だったら48、細田試案だって30削減言ってきた。何としても一票の格差と定数削減、これも今国会中に実現をする。それを是非お約束していただければ、今日、近い将来を具体的に提示をさせていただきたいと思います。」

 これを引き取って、安倍氏は、次のように応じた。

 「定数是正の問題、そもそもこの党首討論において、野田総理、総理は、憲法違反と言われている定数是正を先行させる、そう約束したじゃないですか。それをまた違えるんですか?確かに私たちも定数削減をしようとしていますよ。しようと思いますよ。定数の削減と、選挙制度の改正というのは、民主主義の土俵ですよ。なるべく多くの政党の皆さんが議論に参加をして、賛成できる環境を、たとえば議長が斡旋をして作ってくる、ずうっとこうやってきたではないですか。これが直ちに前に進まないから、まずはゼロ増5減、定数是正、そして憲法違反の状況を解消する。直ちに皆さんがこれに賛成すれば、もう明日にもこれは成立をしますよ。決断してください。」

 本年11月20日付「朝日新聞」社説は、このやりとりをとりあげて、定数削減の約束を安倍氏がしたのに、その後政権獲得するや、実行していない、重大な約束違反であると断じている。かつての小選挙区制導入について、「朝日新聞」は、旗振り役、急先鋒であった。編集委員(政治担当)としてその一端をになった石川真澄氏は、反省の弁を述べているが、「朝日新聞」としてはほうかむりしている。「朝日新聞」は今またその轍を踏もうとしているようだ。

 また自民、民主、公明、維新、次世代は、いずれも定数削減を公言している。たとえば本年11月23日に放映されたNHK「日曜討論」で、福山哲郎民主党政調会長が、「消費税を上げることに自民党、公明党の協力をいただいた。そのときに当時の安倍晋三自民党総裁は議員定数削減を約束したのに、全く音沙汰がない」と自民党に鉾先を向け、稲田朋美自民党政調会長が「確かに約束した。自公は30定数削減案を示した」と応えている。

 しかし、定数削減は、それだけ国会をやせ細らせ、国民の意思を反映するためのパイプを細くしてしまうことになる。民主主義が、天皇主権のもとでいまだ民本主義などとしかいえなかった時代、ようやく1925年に普通選挙法が制定され、1928年に普通選挙法による最初の衆議院議員選挙が行われた。このときの衆議院議員定数は466、議員一人あたりの人口は12.8万人であった。現在は、定数475、議員一人当たりの人口は26.7万人。はるかに国民の意思を反映するパイプは細くなっている。

 議員定数削減は、「身を切る改革」の美名のもとに民主主義を一層形骸化するものである。政治家が「身を切る」というなら、議員歳費の引き下げであり、政党助成金の廃止であろう。(了)

トマ・ピケティ『21世紀の資本』から見たアベノミクス

 トマ・ピケティ『21世紀の資本』( みすず書房)がようやく発売された。英語で通読する気力もないので日本語版の発刊を待ちわびていたが、Amazonで注文したところ、年末ギリギリの配達になるようだ。今度の正月にゆっくり読むことにしよう。

 未だ本書を読んでもいないのに、本書のことを書くのはおこがましいが、アベノミクスに関して、本書は、格好の批判の視点を提供していると思われるので、敢えてかくことにした。できればおおめにみて頂きたい。

 本書については、既に新聞、雑誌等で書評や批評がなされているし、解説本も何冊か発刊されているようだ。たとえば、『世界』8月号には赤木昭夫「ピケティ・パニック 『21世紀の資本論は予告する』が掲載されており、『経済』1月号には高田太久吉「『21世紀の資本論』を読む」が掲載されている。いずれも簡にして要を得た批評である。

 本書は、題名から連想されるマルクスの『資本論』とは、理論的にも方法的にも無縁である。たとえば『資本論』が説く「利子率の低下」を結果的には誤りであり、むしろ「利子率の上昇ないし高止まり」傾向を指摘しているようだ。
 『資本論』は、利子とは、機能資本家が貨幣資本家に支払う利潤の分割部分であり、利子率は、長期的には利潤の大きさに規制されるので、資本の有機的構成が高度化して一般的利潤率が低下するのに伴い利子率は低下する傾向にあると説く。もっとも、本書には、資本と賃労働の階級関係も、剰余価値の概念も利潤率の概念もないので、「利子率の低下」とはマルクス的に理解されたものではないと考えられる。従って上記の記述は『資本論』との切り結びを意図したものではないであろうと思われる。

 上記各論文によると、本書は、1820年代からの膨大なデータを整理して、次のようにまとめているとのことである。

① 成長率が低く、資本収益率が高いという組み合わせは、富の分配の不公平をもたらす。過去を通覧すると、総じて資本収益率は4~6%のレンジで変動し、成長率は1~2%のレンジで変動してきた。まさにこの組み合わせで推移してきた。従って、富の分配の不公平は一貫して続いている。
② 1930年代~1940年代においては、先進国で軒並み貧富の格差縮小が進んだ。これは1930年代の世界恐慌と世界大戦による資産の著しい破壊と減少、戦時における所得税と相続税の大幅な増税と累進課税によってもたらされたものである。
③ 1980年代以後、金融の規制解除・自由化とグローバル化、資産課税と相続税・所得税の累進税率緩和によって、再び富の分配の不公正が進み、富の集中が生じている。

 その上で、本書は、資本主義の下では、政策的介入がなければ富の一極集中が必然的に進行するという命題を導き、そこから次のような提言をしているとのことである。

 20世紀の発明は社会民主主義と累進課税による富の再分配であったが、1980年以後それが覆されてしまった。21世紀の資本主義が貧富の格差拡大、不平等拡大の脅威を回避する唯一の文明的な政策は、相続税、贈与税、固定資産税を中心に累進課税制度を根本的に見直し、所得税の上限を現在の30%台からニューディールの時代の80%にすること、富裕税を実施することなどである。それには、タックスヘイブンや企業の生産拠点の海外流出などに配慮し、グローバルによく調整された世界共通の基準をもうける必要がある。

 私は、アベノミクス批判を、何回か当ブログで書いたので繰りかえさないが、本書の説くところも、期せずしてアベノミクス批判となっているようだ。

 アベノミクスは、富裕層・大企業への税を軽減する一方で、大衆課税である消費税増税を実行することを織り込んでいる。これは逆累進課税であり、富の不公平な分配を直接支えることになる。またアベノミクスは、株高を演出し、日銀の無際限な国債買い付けにより国債価格維持を維持することによって、経済の金融化・投機化、寄生構造の強化とカジノ化を推し進める。そのことは低い成長率のもとでも資本(資産)収益の増大を意図的に実現させるものであり、これは本書が指摘するとおり富の分配の不公平をもたらすことになる。

 アベノミクスは、まさしく究極の格差拡大策であり、富の集中、格差拡大、不平等をもたらす強者の、強者による、強者のための政策である。アベノミクスとは「別の道がある」。("Another World is Possible")。本書の提言もその一つである。(了)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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