『阿部一族』
森鴎外は、『阿部一族』という歴史小説を書いています。時は寛永18年、肥後藩主細川忠利が病死した後、側に仕えた家臣たちが次々に殉死する中で、いわくがあってこれに追随できなかった阿部弥一右衛門とその一族を襲った不条理を描いたとてもシリアスな物語です。
寛永18年というと西暦では1641年ですが、フランスでは、ルイ13世の末期、ルイ14世即位の直前の時期にあたります。ルイ14世は、「朕は国家なり」と叫び、君権神授説を唱えたとか。ブルボン王朝は最盛期を迎え、絶対君主制が確立しました。当時の絶対君主制のもとでは、国家も君主の世襲財産のごとくとり扱われていました。これを「家産制国家」と呼んでいます。
『阿部一族』に描かれている世界も、この「家産制国家」を連想させるものがありますが、現在の安倍政権が織りなしている政治は、その現代版の様相を呈しています。
さて、さんざんぱら憲法違反の悪行を積み重ねた上で、9条に自衛隊を明記するとの9条加憲案をはじめとする明文改憲の企み、これは憲法を私物視するものというほかはありません。従って9条を守る運動は、国家を「安倍一族」から市民に取り戻す運動の最前線に位置していると言っていいでしょう。
報道によると「安倍一族」は、現行の9条1項、2項をそのままにして、9条の2として、次の条文を創設することとしたいようです。
第1項 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとる」とは「自衛権を行使する」と同義です。「安倍一族」は、「自衛権の行使」と言うと議論の余地なく誰をも承服させる力があると思っているようですが、それはとんでもない勘違いです。
戦争と平和に関する近代国際法の歴史をひもとくと、「自衛権の行使」とは、戦争と武力行使を違法化する大きな流れに抗して、それをすりぬけ戦争と武力行使を正当化するための論拠として主張されてきたと言っていいでしょう。
国際政治の場面において、その「自衛権の行使」さえも禁止し、包括的国際機構による措置に委ねようとした瞬間がありました。それは第二次政界大戦も最終盤を迎えた1944年8月から10月に行われた米英ソ中四大国の代表によるダンバートン・オークス会談であり、その会談成果をまとめたダンバートン・オークス提案でした。しかし、やがてきたるべき戦後処理をめぐって米英とソ連の確執が表面化し、この理想は後退し、歴史の歯車は逆回転を始めてしまいました。1945年6月に調印された国連憲章においては、戦争と武力行使を禁止する一方で、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」が確認されてしまったのです。
しかし、我が9条は、国際政治が最も輝いた瞬間のこの理想を採択しました。それは当時の保守政治家たちでさえ認めざるを得なかった我が国の犯した誤りによる世界と我が国にもたらした被害と犠牲の甚大さがしからしめたものと言っていいでしょう。
「私たちは世界にさきがけて『戦争をしない』という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに『戦争のない世界』つくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり。私たちの誓いでなければならない。」
これは芦田均を会長とする憲法普及会が、1947年5月3日に発行した『新しい憲法 新しい生活』と題するパンフレットの一文です。当時の我が国民は、「正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」(1947年8月2日文部省発行『あたらしい憲法のはなし』)と教育され、この誓いを強く肝に銘じたに違いありません。
現在の複雑な国際社会において、この誓いを、守り通し、創造的に展開すること、そのことこそが現在を生きる私たちの責務ではないでしょうか。「安倍一族」のごとく「自衛権の行使」を憲法に明記することは、この誓いを破り、歴史の逆流に掉さすもの、断じて許してはなりません。 (了)
寛永18年というと西暦では1641年ですが、フランスでは、ルイ13世の末期、ルイ14世即位の直前の時期にあたります。ルイ14世は、「朕は国家なり」と叫び、君権神授説を唱えたとか。ブルボン王朝は最盛期を迎え、絶対君主制が確立しました。当時の絶対君主制のもとでは、国家も君主の世襲財産のごとくとり扱われていました。これを「家産制国家」と呼んでいます。
『阿部一族』に描かれている世界も、この「家産制国家」を連想させるものがありますが、現在の安倍政権が織りなしている政治は、その現代版の様相を呈しています。
さて、さんざんぱら憲法違反の悪行を積み重ねた上で、9条に自衛隊を明記するとの9条加憲案をはじめとする明文改憲の企み、これは憲法を私物視するものというほかはありません。従って9条を守る運動は、国家を「安倍一族」から市民に取り戻す運動の最前線に位置していると言っていいでしょう。
報道によると「安倍一族」は、現行の9条1項、2項をそのままにして、9条の2として、次の条文を創設することとしたいようです。
第1項 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとる」とは「自衛権を行使する」と同義です。「安倍一族」は、「自衛権の行使」と言うと議論の余地なく誰をも承服させる力があると思っているようですが、それはとんでもない勘違いです。
戦争と平和に関する近代国際法の歴史をひもとくと、「自衛権の行使」とは、戦争と武力行使を違法化する大きな流れに抗して、それをすりぬけ戦争と武力行使を正当化するための論拠として主張されてきたと言っていいでしょう。
国際政治の場面において、その「自衛権の行使」さえも禁止し、包括的国際機構による措置に委ねようとした瞬間がありました。それは第二次政界大戦も最終盤を迎えた1944年8月から10月に行われた米英ソ中四大国の代表によるダンバートン・オークス会談であり、その会談成果をまとめたダンバートン・オークス提案でした。しかし、やがてきたるべき戦後処理をめぐって米英とソ連の確執が表面化し、この理想は後退し、歴史の歯車は逆回転を始めてしまいました。1945年6月に調印された国連憲章においては、戦争と武力行使を禁止する一方で、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」が確認されてしまったのです。
しかし、我が9条は、国際政治が最も輝いた瞬間のこの理想を採択しました。それは当時の保守政治家たちでさえ認めざるを得なかった我が国の犯した誤りによる世界と我が国にもたらした被害と犠牲の甚大さがしからしめたものと言っていいでしょう。
「私たちは世界にさきがけて『戦争をしない』という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに『戦争のない世界』つくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり。私たちの誓いでなければならない。」
これは芦田均を会長とする憲法普及会が、1947年5月3日に発行した『新しい憲法 新しい生活』と題するパンフレットの一文です。当時の我が国民は、「正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」(1947年8月2日文部省発行『あたらしい憲法のはなし』)と教育され、この誓いを強く肝に銘じたに違いありません。
現在の複雑な国際社会において、この誓いを、守り通し、創造的に展開すること、そのことこそが現在を生きる私たちの責務ではないでしょうか。「安倍一族」のごとく「自衛権の行使」を憲法に明記することは、この誓いを破り、歴史の逆流に掉さすもの、断じて許してはなりません。 (了)
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