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緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(20)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その8)

戦後わが国は金森答弁を指針としてきた  

 緊急事態条項を拒否、排除した日本国憲法が制定されて以後、わが国は、いみじくも金森国務大臣(憲法問題担当)が答弁したとおり、「特殊の必要が起りますれば、臨時議会を召集して之に応する処置をする、又衆議院が解散後であって処置の出来ない時は、参議院の緊急集会を促して暫定の処置をする、同時に他の一面に於て、実際の特殊な場合に応する具体的な必要な規定は、平素から濫用の虞なき姿に於て準備するやうに規定を完備して置く」主義を貫いてきた。
そして、実際、各種の非常事態に対処するため、憲法の下位に立ち、憲法に適合することをそれなりに慎重にチェックされた諸法令が整備されてきた。それは以下に概観するとおりである。

非常事態に対処する諸法令・・・自然災害、テロ、戦争等に関して

①まず自然災害等に関して

 災害に関連するものとしては、災害救助法、災害対策基本法、大規模地震災害特別措置法、原子力災害対策特別措置法などを中心に災害法制が整備され、災害時の緊急対策が可能となっており、消防法、警察法、自衛隊法(災害出動)などによるマンパワーの動員も可能となっている。
 災害対策基本法には、内閣総理大臣の「災害緊急事態」布告により買い溜め、売り惜しみによる生活物資の不足を解消する、価格つり上げによる被災者の生活困窮と復旧・復興のための物資の滞りを防ぐ、差し迫った金銭債務弁済期を猶予して事業や生活の破綻を防ぐ、海外からの支援物資の救急受け入れを可能とするなど内閣に4項目の緊急政令制定権を付与するほか、内閣総理大臣に権限を集中する規定が置かれており、また被災地の市町村長に一定の強制権限が与えられている。
 災害救助法には、被災地を管轄する都道府県知事に一定の強制権限が与えられている。
 これらは、大災害に遭遇して、試行錯誤で作り上げてきた法制度であり、未だ百パーセント完璧なものとは言えないかもしれない。しかし、問題点があれば、それに即して改善をするというこれまでの行き方は決して誤りではなく、今後もその努力を続けるべきであろう。
 ただ問題なのは、法制度上の不備よりも、これらの法令を杓子定規に適用しようとしたり、逆に法令の趣旨に反する解釈、慣行がまかり通ったりして、被災地と被災者に混乱を招く事態がまま生じていること、日ごろの準備や訓練をおざなりにし、いざという時にスムースな対処ができない事態が生じていることなどである。

 大災害が発生するたびに、自民党のお偉方は、ここぞとばかりに緊急事態条項が必要だとご託宣を下し、右派メディアはこれを奉っている。しかし、これはなんとか憲法「改正」に手をつけたいという願望の吐露に過ぎない。

 ここに興味深いデータがある。日弁連が昨年9月、岩手、宮城、福島3県の太平洋沿岸37自治体に実施したアンケートの集計結果である(回答を寄せたのは、24自治体。本年4月390日弁連主催で実施されたシンポジウム「大規模災害と法制度~災害関連法規の課題、憲法の緊急事態条項~」で発表された。)。
被災地自治体は災害対策・災害対応のための緊急事態条項を必要としていないと見てよいだろう。

質問 災害対策・災害対応について市町村の権限は強化すべきか軽減すべきか
回答
権限強化     6自治体 25%
現状維持    17自治体 71%
権限軽減     1自治体  4%
   
質問 災害対策・災害対応について市町村と国の役割分担をどうすべきか
回答
市町村主導   19自治体 79%
場合による    3自治体 13%
国主導      1自治体  4%
無回答      1自治体  4%
   
 この分野で「緊急事態条項」は必要ないことは、明らかである。

②ではテロ対策としてはどうか

 テロとは、特定秘密保護法の定義によれば「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」とされている。これは、もともと刑法、爆発物取締法、ハイジャック防止法その他の刑事罰を定める法令に違反する犯罪であるから、警察法、海上保安庁法及び警職法によって防止措置、取り締まり、強制措置が可能であった。
 しかるにこれまで、有事法制の一環として、「武力攻撃事態等における我が国の安全と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(事態対処法)と「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)において、大規模なテロの発生を想定した「緊急対処事態」なる事態を設定し、災害救助法と災害対策基本法を模した仕組みがつくられ、武装した自衛隊を出動させることまでも予定されている。
 これらは、現実の必要性を検証することなく、有事法制の制定の論理・・・自衛隊のプレゼンスを鮮明にし、自衛隊の活動する場面をできるだけ拡大し、自衛隊の活動をよりスムース、容易にすること・・・に符節をあわせたもので、憲法9条に反する過剰な法制度である。
 
③戦争及び内乱に関して

 戦争や内乱は、外には憲法9条を基礎とした平和外交、内には立憲主義を実践することにより防止できるし、しなければならない。

 それでも万万が一、突如外国からの武力攻撃を受けた場合にはどうするのか。そのような事態が生じるとすれば政府の失敗以外の何物でもないが、多くの国民からすれば座して攻撃に任すということにはならないだろう。当面、自衛隊が存続する限りは、従来の武力行使三要件に基づく反撃をし、撃退に努めつつ、国民の力によって失敗した政府を新しい政府に取り換え、停戦と平和確立の外交を推進させるべきである。その場合、有事法制制定前の自衛隊法と、警察法、海外保安庁法及び警職法によって対処することは可能であり、緊急事態条項をもうける必要はない。
 漸次、軍事力としての自衛隊の縮小・解消が進むにつれて、政府の役割は一層重要になる。政府は、国際関係の緊張激化を招かず、国際社会から信頼と尊敬を得られる力量を持たねばならず、国民もそのような政府をつくる重い責任を負う。

 しかるに現在、突出した有事法制ができあがっている。これらは、日米同盟を何よりも重視し、外国からの武力攻撃を受けた場合を超えて自衛隊を出動させる道を開いており、限りなく戦争遂行法制となってしまっている。その中で、事態対処法と国民保護法に、内閣総理大臣が「武力災害事態」なるものを認定することにより、災害救助法と災害対策基本法を模した仕組みがもうけられているが、これは憲法9条に反する過剰な法制度である。

 また万万が一内乱が発生した場合には、警察法と警職法基づく警察の適切な活動により、これを抑制し、刑法の内乱罪その他の罰条により措置すればよいのである。自衛隊法には内乱の規模によっては警察を補完するために自衛隊の治安出動をさせる規定もあるが、同胞あい撃つ事態は何としても避けるべきである。
 内乱に関してもテロと同じく、「事態対処法」及び「国民保護法」所定の「緊急対処事態」を適用するのであろうか。そうだとすれば同じ批判があてはまる。

 現在の有事法制は既に過剰であり、緊急事態条項など論外であることを再度確認しておきたい。これらは憲法9条と立憲主義に照らして、再度厳密に検討しなおす必要がある。2015年9月に成立した安保法制の廃止はその第一歩である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(19)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その7)

日本国憲法は緊急事態条項を拒否し、排除した

 ご承知のとおり、日本国憲法には緊急事態条項は設けられていない。これを目して憲法に不備があると主張する人たちがいる。その急先鋒は自民党であり、安倍首相である。だがこの主張はデマゴギーに類するものである。日本国憲法は、意識的・積極的に緊急事態条項を拒否し、排除しているのだ。

 まず、恒久平和主義を基本原理として採用した憲法が、戦争や武力抗争など有事を想定とした緊急事態条項を排除したことは言うまでもない。

 では自然災害などその他の非常事態に関してはどうだろうか。その場合にも、日本国憲法は緊急事態条項を拒否し、排除しているのである。そのことは、憲法制定過程における議論によって確認できる。

 日本国憲法制定において八面六臂の活躍ぶりを示した金森徳次郎国務大臣(憲法問題担当)は、第90帝国議会(憲法制定議会)衆議院憲法改正案委員会において、いくたびか政府を代表して答弁に立ったが、その中で、緊急事態条項に係る重要なやりとりがなされている。煩を厭わず議事録によって確認しておこう。

第3回委員会(1946年7月2日)金森憲法担当相答弁

「緊急勅令其の他に付きましては、緊急勅令及び財政上の緊急処分は行政当局者に取りましては実に調法なものであります、併しながら調法と云ふ裏面に於きましては、国民の意思を或る期間有力に無視し得る制度であると云ふことが言へるのであります、だから便利を尊ぶか或は民主政治の根本の原則を尊重するか、斯う云ふ分れ目になるのであります、そこで若し国家の仲展の上に実際上差支へがないと云ふ見極めが付くならば、斯くの如き財政上の緊急措置或は緊急勅令とか云ふものは、ないことが望ましいと思ふのであります、併し本当に言って、国家には色々な変化が起り得るのでありまするが故に、全然是等の制度なくして支障なしとは断言出来ませぬ、けれども我我過去何十年の日本の此立憲政治の経験に徴しまして、間髪を待てないと云ふ程の急務はないのでありまして、さう云ふ場合には何等か臨機応変に措置を執ることが出来ます、随て緊急の措置を要しまするのは稍々余裕のある事柄であります、して見れば、さう云ふ場合には、臨時に議会を召集すると云ふ方法に依って問題を解決することが出来る、又臨時に議会を召集することが出来ない場合が考へられます、それは衆議院が解散され、末だ新議員が選挙せられない所の三、四十日の期間ガ予想せらるるのでありますが、其の時には何ともしやうがない、そこで参議院の緊急集会を以て暫定的に代へる、斯う云ふことが考へられます、尚且つ考ましても色々御意見は起り得ると思ひます、例へば咄嗟の場合に交通断絶其の他の場合に、如何に適当の処置をするかと云ふ時には、今後色色な工夫を致しまして、さう云ふ非常の場合に処する僅がばかり臨時措置の規定を必要なる法律等に編込み、大体是は警察法規等が主眼をなすものと思ひまするが、特別な場合ニ梢々臨時措置をなし得るやうな規定を平素から予備して置くと云ふのも、一つの考へ方であらう思ひます、或は又財政上の緊急処分の点に付きましては、例へば議会に於て必要なる予算の成立を見ることが出来ない、而も経費を支弁すべき時期は差迫って居る、どうするかと云ふやうな場合が考へられますが、是は議論で解決するのではなくして、政府と議会とが一心の如く合体して居りますならば、そこに自ら途が開かれて来るのでありまして、今期議会に於て始まりました所の此の暫定の予算と云ふが如きは、此の方法に於て一道の光を与へて居るものと思ふ訳でございます」

第13回委員会(1946年7月15日)金森憲法担当相答弁
「現行憲法に於きましても、非常大権の規定が存在して居ったことは今御示しになった通りであります、併しながら民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護致します為には、左様な場合の政府一存に於て行ひまする処置は、極力之を防止しなければならぬのであります、言葉を非常と云ふことに藉りて、其の大いなる途を残して置きますなら、どんなに精緻なる憲法を定めましても、口実を其処に入れて又破壊せらるる虞絶無とは断言し難いと思ひます、随て此の憲法は左様な非常なる特例を以て――謂はば行政権の自由判断の余地を出来るだけ少くするやうに考へた訳であります、随て特殊の必要が起りますれば、臨時議会を召集して之に応する処置をする、又衆議院が解散後であって処置の出来ない時は、参議院の緊急集会を促して暫定の処置をする、同時に他の一面に於て、実際の特殊な場合に応する具体的な必要な規定は、平素から濫用の虞なき姿に於て準備するやうに規定を完備して置くことが適当であらうと思ふ訳であります」


 金森答弁が単なる方便ではなく、真実をありのまま述べたものであることは、憲法改正草案確定に至るまでの政府担当者らとGHQ担当者らとの数次にわたる話し合いの経緯からも裏付けられる。即ち、災害など突発事態が生じて緊急な立法もしくは予算措置を講ずる必要が生じたときへの対処方法について、GHQ側が内閣のemergency powerで処置すればよいと述べたのに対し、政府側は「憲法をこれから作ろうという際に、超憲法的な運用を予想するようでは、明治憲法以上の弊害の原因となる」と反論し、現在の参議院の緊急集会(憲法第54条2項)と内閣の政令制定権(第73条6号)を定めることになったのであった(佐藤達夫・佐藤功『日本国憲法成立史』第3巻 有斐閣)。

 重要なことは上記の議論を日本国憲法が血肉化していることである。勿論、立法者意思は金科玉条ではない。しかし、これを変更する格別の合理的な論拠が示されない限りは、これを尊重すべきことは、法解釈学のイロハである。

 憲法学者の中にも、イ.憲法自体に緊急事態条項は定められてはいないが厳格な要件の下に不文の国家緊急権を認める説、ロ.緊急事態条項が定められていないことを憲法の欠缺とみなし、国家緊急権の要件・効果を明確に定めること、その発動は国会の認定によること、終期を明示すること、国家緊急権の効力は必要最小限度を超えてはならないこと及び事後責任を追及する仕組みをもうけることなどの条件の下に緊急事態条項をもうけるべきだとの説を唱える人がいる。しかし、これらは上記の趣旨から多数の賛同を得られるものではない。

 この項の最後に、私が、ひそかに師と仰ぐ憲法学者・小林直樹元東大教授の見解を掲げておこう。多くの憲法学者の支持を得ている見解である。

 「憲法が緊急権規定をもたなかったのは、ある種の人々が考えるように、憲法の欠缺(リュッケン)でも欠陥でもなくて、旧体制の経験にかんがみてその遺物を払拭するという過去に対するネガティブな側面と、平和原則および民主主義に徹するというポジティブな意味を有するといわねばなるまい。立法者意思をも考慮してこのように総合的解釈すれば、緊急権に関する憲法の沈黙は、憲法の基本原則に憲法自ら忠実であろうとする規範的意味とともに、自由と平和を守るという高度に積極的な政治=社会的意義も認められるであろう。」(『国家緊急権』学陽書房)

注:リュッケン ドイツ語 Lücken im Rechtは法の欠缺

(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(18)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その6)

フランスの場合・・・立憲主義に分け入った「民主独裁」の伝統

 究極の緊急事態条項である戒厳令のプロトタイプは、フランス革命さなかの1791年7月制定された「合囲状態法」(état de siègeエタ・ド・シェジュ)である。意外に思われるかもしれないが、戒厳令の母国はフランスなのだ。フランス革命は、一方でフランス人権宣言、1791年憲法により立憲主義を高らかに宣言したものの、内外の敵から革命の成果を守るために「民主独裁」で武装したのである(因みに、歴史は、ロシア革命後のソ連でも「プロレタリアート独裁」の名の下により悲劇的な軌跡を描いた。)。
 そのフランスの現行憲法第五共和制憲法にもその伝統は、色濃くその母斑を留めている。
 フランスでは、アルジェリア独立戦争による危機を乗り切るために強い大統領を標榜したシャルル・ド・ゴールが大統領に選出され、その下で1958年10月、現在の第五共和制憲法が制定され、第16条に「大統領緊急措置権」(緊急事態条項)が設けられた。

注:フランス憲法第16条
① 共和国の制度、国の独立、その領土の一体性あるいは国際協約の履行が重大かつ直接的に脅かされ、かつ、憲法上の公権力の適正な運営が中断されるときは、共和国大統領は、首相、両院議長、ならびに憲法院に公式に諮問したのち、これらの事態によって必要とされる措置をとる。
② 大統領は教書によりこれらの措置を国民に通告する。
③ これらの措置は、最も短い期間内に、憲法上の公権力に対してその任務を遂行する手段を確保させる意思に則ってとられなければならない。憲法院はこの問題について諮問される。
④ 国会は当然に開会する。
⑤ 国民議会は緊急権の行使の間は解散されない。
 

 1961年4月22日、アルジェリア独立戦争のさなか、アルジェリアにおいて、独立に対し柔軟姿勢に転じたド・ゴールに反対し、4名の退役将軍が部隊を率いて決起した。彼らは、「最高司令部」の設立を宣言し、アルジェリア全土に「戒厳令」を布告した。それにとどまらず、反乱軍は本国の軍内極右分子と連繋し、パリ進撃の気配を見せた。
 これに対し、23日、ド・ゴールは「緊急権」を発動し、反乱軍の鎮圧を宣言した。同時にフランス本土では労働者、学生、市民が反乱を糾弾する行動に立ちあがった。こうした状況で、反乱軍は孤立し、25日には反乱軍は崩壊するに至り、最終的に26日までには完全に鎮圧された。しかし、23日に発動された緊急権は9月30日になるまで維持された。
 この「緊急権」の発動について、フランスでも日本でも憲法学者らから市民の自由、人権が極端に制約されたとの緊急事態条項の悪用例として批判されている。その現場を目撃した憲法学の泰斗樋口陽一氏の話を引用しておこう。樋口氏は、東北大学の大学院生であったころ、1960年から2年間、フランス政府給費留学生としてフランスに学んでいるが、その時期の体験談である。彼は以下のように述べる。

 「フランスでは1961 年10 月17 日、私は実地でそれを目撃していたのですが、アルジェリア独立運動の大デモストレーションが警官隊と衝突して3人が死んだと公表されていました。ところが最近になって政府の求めによって作成された報告書では、少なくとも48人が警察によって殺されたとなっている。これは憲法16条の緊急権の発動によるものです。40年近く経ってから、政府筋が公式にこういった事件の真相を追究しようとするような国でも、緊急権というのはこれだけ危ないことを引き起こすのです。」(『世界』1999年11月号)。

その他の諸国・・・小括を兼ねて

 以上のほか中南米、東アジア、東南アジア、中東、アフリカ諸国及び社会主義国における緊急事態条項、あるいは裸の国家緊急権の悪用もしくは濫用の事例は、この50年程の間でも、韓国、インドネシア、チリ、中国、ビルマ、タイ等々、記憶に鮮明に刻みつけられている。
 悪用もしくは濫用事例をおしなべて見てみると、独裁体制確立、体制の危機や弱さを取り繕うための治安強化、政敵の封じ込めなど不当な目的のために、不当に長期間にわたり、人権を過度に侵害するという共通項があるようである。
 緊急事態条項の危険・有害性はもはや多言を要しないだろう。

 付言すれば、災害対策に絞ってみても緊急事態条項により政府に権限を集中させることは危険・有害である。

 4月14日夜に発生した最大震度7の地震のあと、熊本県の被災地では難を逃れて多くの人々が屋外避難をしていた。翌15日午前、閣議のあと河野太郎防災担当相は記者会見で、「熊本県を震源とする地震の避難者が約4万4千人に上ることを明らかにし」、「(熊本)県庁に現地対策本部を立ち上げる予定。避難されている方を今日中に屋内にきちんと収容できるよう準備を進めているところだ。」と述べた(朝日新聞4月15日午前9時44分配信のデジタルニュース)。
 これをもう少し詳しく確認してみると、河野担当相は、15日、安倍首相の指示を受けて屋内避難の方針を決め、各自治体に周知させようとしたころ、熊本県知事から「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ」と反発され、沙汰やみになったとのことである(4月16日付毎日新聞朝刊)。政府の方針が地元各自治体に周知されずに済んだわけであるが、それによって多くの人たちの命が救われたといってよい。16日未明に再び最大震度7の本震が熊本地方を襲ったのである。
 現場から遠く離れた政府に権限を集中させてはならないことが証明された一事例である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(17)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その5)

ドイツの場合・・・パーペンの虜囚から独裁者へ

 1933年1月、偉大な奇跡が起こった。日の目を見る筈もなかったヒットラー内閣が、パーペンとヒンデンブルグの介助によって産み落とされたのだ。
 だがヒットラー内閣には、ナチスからはヒットラーのほかには2名しか入閣しておらず、ヒットラー自身もパーペンの虜囚になったのだとさえうそぶいていたということだし、パーペンはヒットラーを雇ったと豪語している。ヒンデンブルグも、以前からヒットラーを「ボヘミアの伍長」と呼んで蔑んでいたことは有名な話である。 きっとパーペンもヒンデンブルグも、殊勝なヒットラーの態度を見て、ヒットラーを、当面、利用できるだけ利用し、時がくれば手を切ればよいと踏んでいたに違いない。彼らはヒットラーの狡猾さとナチスの突破力をあなどっていたようだ。
 ヒットラーは首相になるや、ナチス突撃隊(SA)に暴力的街頭行動を展開させ、その圧力のもとに暴走を始める。高齢のヒンデンブルグも野心家のパーペンも、逆にヒットラーとナチスの虜囚になってしまった。
 ヒットラーが首相に就任してからナチス独裁体制とワイマール憲法の安楽死までわずか2カ月弱、まさに一瞬の間のできごとであった。その梃子になったのがワイマール憲法48条の大統領非常措置権なる緊急事態条項であり、これこそ緊急事態条項を悪用もしくは濫用した顕著な事例である。

注:ワイマール憲法48条(大統領非常措置権)
① ドイツ国内において、ドイツ国憲法あるいはドイツ国法律に付随する諸義務が履行されない事態が発生した場合、ドイツ国大統領は武力を用いて事態に対処することができる。
② ドイツ国内において公共の安全や秩序が著しく乱され、公共の安全や秩序を回復するための措置をとる場合、ドイツ国大統領は、必要ならば、武力を用いて介入することができる。この目的のためにドイツ国大統領は一時的に、114条(人身の自由)、115条(住居の平穏・不可侵)、117条(信書等の秘密)、118条(表現の自由・検閲の禁止)、123条(集会の自由)、124条(結社の自由)及び153条(財産権の保障等)で規定された基本権利の全て、またはその一部を停止することができる。
(以下略)

 ヒットラーは、今やナチスの陰謀説が定着している同年2月27日の国会放火事件を最大限利用した。ヒットラーは、翌日、この大統領非常措置権に基づき、虜囚として思いのままに動かせる存在と化したヒンデンブルグをして、上記の七箇条の基本権を停止し、無令状による逮捕、捜索、押収及び予防拘禁を認める「民族及び国家の防衛に関する大統領令」を発令せしめた。

注:ドイツ国会放火事件についてはドイツ共産党のテロだとするナチスの主張は、ディミトロフらの裁判の結果否定されている。有罪を認定され処刑された元オランダ共産党員のファン=デル=ルッペによる単独犯行説もあるが、現代史の通説は、ナチス陰謀説である。

 これに基づきおよそ5000名ともいわれる多数の共産党員、社会民主党員などが拘禁され、収容所に入れられた(このとき設置された収容所は後に絶滅収容所となり、人類史上かってない大量の「人間廃棄処分」が行われることになった。)。
 こうした弾圧と、ナチスの突撃隊や親衛隊の暴力的街頭行動により共産党や社会民主党の活動は完全に封じ込められた。しかし、そのさなかに行われた3月5日の総選挙で、ナチスは議席数を大幅に増やしたものの、それでも過半数に及ばなかったことは、特筆しておかなければならない。

注:1933年3月5日総選挙の結果は以下とおりであった。
 ナチス:288注議席 社会民主党:120 共産党:81 中央党:74 国家人民党:52 バイエルン人民党:18 諸派:14
 

 ヒットラーが独裁を確立するにはもうひと山越えなければならなかった。それは、通常「全権委任法」と呼ばれる「民族と国家の危難を除去する法律」の獲得である。

注:「民族と国家の危難を除去する法律」(1933年3月24日成立)は以下のとおり。
① 憲法に規定されている手続き以外に、政府も法律を制定する。
② 政府によって制定された法律は、国会及び第二院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる。
③ 政府によって定められた法律は、公布の翌日からその効力を有する。
④ 条約も、政府が単独で締結し、政府は条約の履行に必要な法律を発布する。
⑤ 本法は公布の日を以て発効し、1937年4月1日もしくは現政府が他の政府に交代した日のいずれか早い方の日に失効する。


 全権委任法は、ワイマール憲法76条に定められている「憲法改正法」に該当するから、これを国会で議決するには「3分の2の出席で、その3分の2の賛成」という特別多数を必要とする。そこでここでも狡猾なヒットラーはかの緊急事態条項(大統領非常措置権)を悪用し、新たな大統領令を発令させて、拘禁中の共産党等の議員を存在しないものとして総議員の定数を減じることとし、保守政党、中間政党の議員の抱き込みにより、ようやく成立させることができたのであった。
 緊急事態条項のあわせ技で一本、ワイマール憲法は見事に踏み越えられた。この後、ヒットラーとナチスが人類史上例を見ない蛮行に突き進んだことは天下周知の事実である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(16)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その4)
  
 諸外国でも緊急事態条項の悪用や濫用の事例は枚挙にいとまがないほどである。以下に掲げるのはそのほんの一部に過ぎない。

ドイツの場合・・・ナチス政権登場の前夜
 ドイツでは、第一次大戦の敗北により帝政が崩壊し、政治の民主化が急速に進行し、1919年、当時、世界で最も民主的と評価されたワイマール憲法が制定された。
 同憲法54条によると宰相も各大臣も議会の不信任決議があった時は辞任しなければならないとされており、議会の多数派の信任を得て内閣を構成する議院内閣制を志向していた。しかし他方で、第53条では、大統領には憲法上は何ら制約のない宰相及び各大臣の任免権が認められていた。つまり大統領内閣制である。このためにワイマール憲法下の内閣は、二人の主人を持つと評されていた。
 かくして元来、内閣の政治的基盤は不安定であった上に、議会が不信任決議をするにあたって、次の宰相や各大臣を選出することは義務づけられておらず、政争の果てに無責任な不信任決議が繰り返された。
 ワイマール憲法の定める統治機構は、政治的混乱と動揺をもたらす構造的欠陥を孕んでいたのである。

注:現在のドイツ憲法(ボン基本法)は以下のようい規定している。

第67条(不信任投票)
① 連邦議会が連邦宰相に対して不信任を表明できるのは、その議員の過半数をもって後任を選出するとともに、連邦大統領に対しては連邦宰相の否認を要請した場合に限られる。連邦大統領は、この罷免要請に応じるとともに、被選出者に対する任命を行わなければならない。
② 略

 議院内閣制に純化するとともに、議会が宰相を不信任する場合には次の宰相選出を条件とことしたのである。後者を、聞きなれない言葉であるが「建設的不信任制度」と呼んでいる。
 ボン基本法は、ワイマール憲法の上記の欠陥を除去しようとしたのである。
 ドイツ国法学の大家カール・シュミットは、当初はナチス政権寄りの姿勢をとりナチスに重用さたが、その後、政権から疎んじられることになった。そのカール・シュミットは、戦後、ナチスが猛威を振るった時期、自分は暇だったので、ナチス台頭の原因に思いめぐらす十分な時間があったと述懐している。彼の思いめぐらしたことが曲折を経て、ボン基本法に採択されたのであろう。


 ドイツでは、ワイマール憲法が制定された1919年からヒットラーが首相に就任する1933年1月まで、議会においては安定多数の政治勢力が形成されず、首相や各大臣に対する不信任決議が度々なされては、後任首相が議会で選任できず、前内閣が暫定内閣として事務処理を続けるか、政治的空白となるか、大統領の任免権に基づいて新内閣を組閣するか、いずれかで推移してきた。当然のことながら次第に議会も内閣も弱体化し、世界恐慌期にあっても積極策が打ち出せず、国民の不満が高まって行った。
 そうした国民の不満の高まりがナチス躍進の原動力となったである。
 もっとも、1932年7月の総選挙で、総議席608のうち230を獲得、第一党となった時が、本当はナチスが自由な選挙で国民の支持を得たピークであった。その4ヶ月後、同年11月の総選挙では、196に議席を後退させてしまった。同時に、ようやく世界恐慌からの脱出の兆候もようやく見え始め、今後、ナチスが伸びる要素はなくなりつつあった。しかし、そのときナチスにとっては思わぬ救世主が現れた。
 保守政党の実力者フランツ・フォン・パーペンなる野心家が画策し、ヒンデンブルグ大統領にヒットラーを首相に任命させたのである。まさにパーペンとヒンデンブルグは、坂道を転がり始める寸前に、ナチスを助け起こしてしまったのであり、ナチスにあってプロパガンダの天才と言われたゲッペルスも、この事態を評して、「偉大な奇跡が起きた」と日記に記しているほどである。
(続く)
プロフィール

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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