緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(最終)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その13)

自民党改憲草案の緊急事態条項批判

 2012年4月27日、自民党は、日本国憲法改憲草案を公表し、その後部分的修正をしつつ、現在もこれを改憲案として維持している。そこには以下の緊急事態条項が置かれている。

第98条(緊急事態の宣言) 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

第99条(緊急事態の宣言の効果) 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。


 これについての批判は、ここまでお読みいただいた読者には、簡単なことだろう。敢えて指摘するならば、以下のとおりである。

 第一に悪用もしくは濫用のおそれが大きいこと。緊急事態の認定・宣言は内閣総理大臣に委ねられており、国会は事後審査をするに過ぎず、しかもその時期の明示もなければ、不承認の場合の法的効果の定めもない。

 第二に、緊急事態宣言の継続期間が不当に長期化するおそれがあること。まず最長100日はそもそも長い。それに国会の承認を得さえすれば何回でも更新できてしまう。

 第三に、内閣独裁を招くこと。内閣単独で発令できる緊急政令の対象事項に限定がなく、これにより法律を改廃することも可能である。このような強力な立法権を内閣に持たせることは、ナチスの全権委任法にも匹敵する。

 第四に、過度の人権侵害が行われ得ること。99条第3項では、制限を受ける人権に限定はなく、最大限の尊重などというが、「公益及び公の秩序」による人権制限を認める自民党改憲草案(第12条、13条)の規定とあいまって人権侵害の歯止めは何もない。

 第五に、解散の制限、国会議員の任期及び選挙の特例をもうける必要はないこと。

 そして最後に、これが一番重要であるが、この緊急事態条項は、憲法9条を国防軍創設と海外派兵の承認、国防軍審判所設置と一体をなすものであること。自民党改憲草案は、日本国憲法の採用する現代立憲主義を骨抜きにし、いつか来た道を歩むことにつながるものである。

まとめ
 
 『緊急事態条項と憲法9条・立憲主義』を延々25回にわたって連載してきたが、いよいよ最終回となった。緊急事態条項は、現代立憲主義に反し、危険・有害かつ不必要であることが論証できたかどうか、その成否はともかくとして、私の、緊急事態条項創設の目論見をなんとしても阻止しなければならないとの思いはお伝えすることができたのではなかろうか。
  
 参院選の結果、はからずもというか、計略どおりというべき、改憲勢力は国会両院で三分の二を超える議席を確保した。しかし、自民党の悲願である第9条にいきなり手をつけられるという情勢にないことも明白だ。彼らの戦術は、おそらく緊急事態条項の創設、それもそのうちの自然災害とテロに限定する、あるいはさらに限定して国会議員の任期と選挙の特例をもうけるなどといったところから手をつけていき、徐々に国民を改憲に「訓育」するという迂回作戦であろう。

 国民投票は、国の重要な政治課題について国民の意思を問う直接民主主義の手法であり、議会制民主主義を補完する重要な制度である。日本国憲法には、憲法改正の可否を問う国民投票がおかれている。
しかし、国民投票には二面性があることを私たちはしっかり学習しておく必要がある。それは民主主義の重要なツールであるという面と、権力者によって、その権力基盤を固めたり、政治目標を実現したりするための大衆操作の手法として悪用されるという面である。前者の積極面からはレフェレンダム、後者の悪用の側面からはプレビシットという言葉が用いられている。
 先にイギリスで行われたEC離脱の是非を問う国民投票は、プレビシットだっただろう。そのような手法を好んで用いたのはヒットラーであった。
 今、私たちの足もとには改憲のプレビシットの波が押し寄せようとしている。これを押し返し、断じて「訓育」を拒否しようではないか。
                              (了)



  
                                

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(24)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その12)

「緊急事態条項は世界の常識」は揺らいでいる・・・序

 確かに諸外国の憲法の多くは緊急事態条項を定めている。

 改憲論者は、このことを過度に一般化し、国家緊急権は国家の自己保存権であり、国家固有の権能である、などとの理由で緊急事態条項をもうけるのは当たり前のことだと声高に叫んでいる。

 しかし、そもそも国家緊急権なるものは、絶対君主制の時代には、そうした概念さえもなかった。それは絶対君主制が揺らぎ、あるいは解体されたときに浮かび上がってきた概念である。言い換えるならば、絶対君主制から近代立憲主義への移行時おけるアンシャン・レジームと新体制との鬩ぎあいの中で、新体制に刻み付けられたアンシャン・レジームの母斑である。
 歴史は飛躍するものではない。新しい高みといえども古いものをかかえている。また世界は一直線に前進するものでもない。必ず、現状維持や後退を志向する逆流があり、停滞と混乱を伴いながらジグザグに前進するものである。このことは既に戦争と平和の問題を論じたところで述べたことである。
 思い起こして欲しい。自衛権の概念は、無差別戦争論(戦争の自由、同盟の自由)の殻を突き破って生まれてきた戦争と武力行使の違法化・禁止の時代の子であったことを。国家緊急権なるものは、まさにこれと表裏の関係に立つものであり、やがて歴史の舞台からフェードアウトして行くことになるだろう。

 このことをいくつかの国の実情によって確認しておくこととする。

「緊急事態条項は世界の常識」は揺らいでいる・・・いくつかの国の実情

フランス

 フランスは、憲法に緊急事態条項を定めている。しかし、それはアルジェリア独立戦争時にド・ゴールによって発動された以後、既に封印されて50年以上に及んでいる。
 先般のパリ連続テロ事件に際しても緊急事態条項は発動されておらず、危急状態法という憲法の下位に立つ法律が適用されている。

注:フランスでは、2015年11月に発生したパリ連続テロ事件の後、危急状態法を適用して危急事態を宣言、テロ危険人物に対する指定場所での事実上の軟禁、劇場や居酒屋など多数の人の集まる場所の強制閉鎖、令状なしの捜索・押収、メディア規制など、警察権限の強化がなされている。危急状態法はその後、改正され、軟禁措置が取られた者に1日3度の警察への出頭義務を課する、前科のある者に発信装置付きのブレスレッドを装着して監視する、危険団体の強制解散、深夜帯でも無令状の捜索・押収を可とする等、きわどい措置までとれるようになっている。
 オランド大統領は、この改正法が憲法院(憲法裁判所)に憲法違反と判断されることを危惧して、その根拠条項をもうけるべく憲法改正案を国会に提出した。この憲法改正については強い異論もあり、帰趨が注目されていたが、憲法院が、この法改正を合憲と判断をしたところからオランダ大統領も憲法改正案を取り下げることになった。
 しかし、元老院(上院)は、政府による濫用を危惧して、国会によるコントロールを強化する決議をした。
 1789年に、「人及び市民の権利宣言」を発したフランスは、テロ攻撃にさらされて、人権よりも安全にギアチェンジしようとする圧力が強まる一方で、人権との折り合いをつけなければならないとブレーキをかける良識も未だ健在で、この綱引きのなかで、苦悩しているようだ。


ドイツ

 ドイツでは、ボン基本法(憲法)に、自然災害に対処する条項が置かれているが、これは、被害を受けた州は他の州や連邦の支援を要請できること、被害を受けた州が対処できないときは連邦が救援することを定めているに過ぎず、緊急事態条項には該当しない。
 また1968年に、戦争や内乱・騒擾に対して詳細を極めた緊急事態条項を定めたが、これは憲法を改正して再軍備をした後の選択であり、我が国には参考とはならない。それにしてもその規定ぶりは、防衛事態、緊迫事態等の事態認定を連邦議会の権限とし、人権制限も、職業選択の自由や人身の自由に対する最小限度の範囲に限定し、連邦憲法裁判所による司法審査も害されないなど、濫用防止に対する慎重な配慮がなされている。

イギリス、アメリカ

 イギリスやアメリカについては、martial law(「マーシャル・ロー」)なる不文の憲法律により国家緊急権の発動が認められていると言われるが、必ずしも当を得ていないように思われる。マーシャル・ローとは、軍法であり、一般に、戦乱もしくは事変に見舞われた地域において、軍司令官に一時的に当該地域の秩序維持の全権を委ねるというものと理解されている。そのようなものが、本当に、現在も認められているのであろうか。

 まず、イギリスの場合。20世紀初頭まで活躍したイギリスを代表する憲法学者アルバート・ヴェン・ダイシーは、その著書において、イギリスにおいては法の支配(立憲主義)が確立しており、包囲状態の下で秩序と公安を維持するために、通常はcivil powerに委ねられている権限を全面的に軍事当局に委ねるような不文律は認められていないと述べている。実際、第一次世界大戦時の国土防衛法以後、憲法の下位に立つ議会制定法により、緊急事態に対処してきており(現在は1964年制定の「緊急権法」と2000年制定のテロ防止対策法が適用される。)、立憲主義の停止という事態は生じていない。

 次にアメリカの場合。イギリスからの独立直後の戦乱期や南北戦争下において特定地域の治安維持を軍司令官に委ねた例はあるが、その後はない。憲法上、大統領は、軍の指揮権及び行政の執行権が認められ、法律の忠実執行義務が課されている。大統領はそれに付随して大統領令制定権が当然に認められている。その大統領の権限が、ある時期に広く解され、議会や司法と悶着を引き起こすこともあった。しかし、議会は立法権その他により大統領の権限をチェックし、司法は違憲審査権を行使することにより、立憲主義が貫かれてきたと言ってよい。特に大統領の軍指揮権を制約する「戦争権限法」(1973年制定)や過去の大統領令を整理し、新たに緊急事態を宣言する手続き定めるなど大統領の執行権を制約する国家緊急事態法(1976年制定)などは注目に値する。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(23)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その11)

世界の常識化と日本の常識

 著名な改憲論者・西修駒澤大学名誉教授は、1990年から2014年の間に制定された世界の102カ国の憲法を調べたところ、全てに緊急事態条項がもうけられていたと述べているとのことである。2015年5月7日衆院憲法審査会で、船田元自民党幹事(当時)は、早速これを持ちあげて、次のように主張している。

 特に、緊急事態条項におきましては、今後高い確率で起こると指摘されるいわゆる東京直下型地震などの大規模自然災害発生時などに国会議員の任期が延長できることなど、憲法においてあらかじめ規定しておくことが急務となっています。このような措置は、防災における最大の課題でもあり、統治システム整備の基本でもあります。しかも、これは憲法によってのみ規定できるものと考えております。
 ちなみに、駒沢大学名誉教授西修先生の調査では、1990年から2014年までに新たに制定された102カ国の憲法のうち、国家非常事態に関する規定は100%に達しているとのことであります。(同審査会議録)


 改憲勢力は、緊急事態条項は世界の常識であるとばかりに、その創設を推進しようとしているのである。しかし、戦争と武力行使の違法・禁止と国連による集団点安全保障を国際法の原則として打ち立てながら、未だその道半ばにして、軍事力による抑止力を頼みの綱とし、パワーポリティクスの真っただ中で試行錯誤している国際社会における常識は、必ずしもわが国の常識ではない。
 わが国は、そのような国際社会から一歩抜け出して、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、軍事力によらない国際平和を追求することを誓い、かつ明治憲法下にあって緊急勅令をはじめとする緊急事態条項の悪用、濫用によって軍部独裁とファシズムを招き、侵略と亡国の道を突き進んだことの反省に立って、明確な意思をもって緊急事態条項を拒否、排除したのである。

 既に述べたように第90帝国議会(憲法制定議会)衆議院憲法改正案委員会における金森徳次郎国務大臣(憲法問題担当)の緊急勅令や非常大権に関わる答弁は、制定時の審議を通じて日本国憲法に血肉化している。前に引用した同答弁を要約すると、以下のとおりである。

 ①緊急事態条項は民主主義の根本原則を侵すものである。
 ②立憲主義に反するものである。
 ③緊急事態に対しては、平素からの法令の整備によって対応できるようにするべきである。
 ④過去に経験に照らし、間髪をいれないような事態はなく、臨時議会、参議院の緊急集会によって対処できる。
 
 これらの前に、大前提として、そもそも日本国憲法の恒久平和主義の下では戦時や内乱など軍事力を用いた緊急事態条項はあり得ない。

 わが国においては、これらがのことが常識である。

 このことを確認した上で、次回には、改憲勢力がよりどころとしている世界の常識なるものについても一瞥しておくこととする。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(22)

国会議員の任期や選挙の特例をもうけることは必要か

 大災害が発生したとき、当該被災地において、国政選挙の執行に支障が生じる事態があり得ることは、まぎれもない事実である。このような事態に対処するために、公職選挙法は「繰延投票」という方法を用意している。

注:公職選挙法第57条(繰延投票)
① 天災その他避けることのできない事故により投票を行うことができないとき又は更に投票を行う必要があるときは、都道府県の選挙管理委員会(市町村の議会の議員又は長の選挙については、市町村の選挙管理委員会)は、更に期日を定めて投票を行わせなければならない。ただし、その期日は、当該選挙管理委員会において、少なくとも五日前に告示しなければならない。
② 略
 

 被災地の都道府県選挙管理委員会は、この規定を適用して、被害の実情、復旧の見通しを勘案し、投票日を定めればいいのである。従って、近藤議員が言うように「国政選挙の選挙期日を延期するとともに国会議員の任期を延長することができないならば、大災害の発生という不可抗力によって、被災地では実際上選挙が行われなくなるおそれがある」などということはあり得ない。

 もっともこの場合、衆議院議員の総選挙であれば、当該被災地の小選挙区と比例ブロックからの議員選出が、参議院議員の通常選挙であれば、当該被災地の選挙区の議員選出と比例区全体の議員選出が、それぞれ繰延投票の結果を待たなければならない。

 そこで近藤議員は、この点にくらいつく。先の質問主意書、再質問主意書に引き続いて、翌2012年3月15日、さらに質問主意書を提出し、以下のように問いを発している。

 緊急事態が発生し、これによって大きな被害を受けた被災地の代表が最も求められている時に、その被災地から繰延投票が行われるまで衆議院議員が選出されないという事態は、まさに被災地の国民の参政権、憲法第十五条第三項で保障されるべき参政権が侵害されている事態であって、憲法上きわめて大きな問題であると考える。
これらを踏まえてもなお、緊急事態時に衆議院が解散されている場合、現行の規定の下で、憲法第十五条第三項に規定されている参政権は保障されていると言えると考えているのか。改めて、政府の見解如何。


 これではもはや憲法論、法律論ではなく、一政治家の心情吐露に過ぎない。案の定、野田内閣総理大臣の答弁書では、「国会の在り方に関することを前提としていることから、政府としてお答えすることは差し控えたい」と、またもやするりとかわしている。

 ここで繰延投票が実施された場合、各議院の構成がどうなるか確認しておこう。繰延投票の結果確定前でも、いずれの院も大半の議席は埋められており、国会の機能は、何ら問題なく働くことになる。

衆議院
繰延投票の結果確定前・・・繰延投票が実施されない大半の小選挙区、比例ブロック選出議員により構成
繰延投票の結果確定後・・・全議員により構成
参議院
繰延投票の結果確定前・・・非改選の半数の議員と改選議席中繰延投票が実施されない大半の選挙区選出議員により構成
繰延投票の結果確定後・・・全議員により構成

 以上に対し、一地方ではなく、巨大な首都直下型地震が発生し、全国規模で選挙が執行できなくなる場合が皆無とは言えないではないか、その場合にはどうなるのかと突っ込んでくるかもしれない。だが、そのような事態は、果たしてあり得るであろうか。国政選挙の歴史は、明治憲法制定以来、実に120年以上に及ぶが、大災害のためにその執行があやうい事態になったことは一度もない。

注:なお、わが国では、衆議院議員の任期を1年延長し、予定された国政選挙を延期したことが一度だけある(明治憲法下にあっては衆議院議員の任期は憲法上定められておらず、衆議院議員選挙法により4年と定められていた。)。1937年4月30日の第20回総選挙で選出された衆議院議員の任期は本来1941年4月30日をもって終了し、同日総選挙が行われる予定であったが、東条内閣は帝国議会で「衆議院の任期延長に関する法律」を可決させ、任期を1年間延長、第21回総選挙を1942年4月30日に執行した。これは「今日のような緊迫した内外情勢下に、短期間でもでも国民を選挙に没頭させることは、国政について不必要な議論を誘発し、不必要な摩擦競争を生ぜしめて、内治外交上はなはだ面白くない結果を招くおそれがあるのみならず、挙国一致防衛国家体制の整備を邁進しようとする決意について疑いを起さしめぬとも限らぬので、議会の議員の任期を延長して、今後ほぼ1年間選挙を行わぬこととした」と説明されているように、今日とは異次元の議会無視、軽視の考え方に基づいている。

 それでも万が一にもその可能性をあり得るではないか。そのときのために国会が機能できるようにしておくことがベターではないか。ここまで言うとすればもはや強迫観念以外のなにものでもない。だが、日本国憲法は、そうした強迫観念に基づいて迫ってくる人に対しても、以下により対応できるようにしているから安心しなさいと諭している。

① 参議院議員を半数ずつの改選とし、恒常的に機能するようにした。
② 各議院の定足数を総議員の三分の一とした。
③ 参議院の緊急集会を用意した。なお、憲法の条文上は、「衆議院が解散されたときは」となっているが、解散のときだけに限定する合理性はなく、任期満了の場合も利用できる。

 憲法に、国会議員の任期や選挙に関して、大災害時の特例をもうけるべきだとの主張は失当である。
(続く)

緊急事態条項と憲法9条・立憲主義(21)

緊急事態条項は、危険、有害かつ不必要である(その9)

国会議員の任期や選挙の特例をもうけることは必要か・・・序論

 憲法に、国会議員の任期や選挙に関して、大災害時の特例をもうけるべきだという議論がなされている。

 ご承知のように、憲法は、国会議員の任期を、衆議院議員4年(解散の場合には解散と同時に終了)、参議院議員は6年(3年ごとに半数改選)と定め、ごとに、衆議院が解散されたときは解散の日から40日以内に総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に、国会を召集すべきことを定めている。

注:参考までに憲法の関連条文を掲げておくこととする。

(衆議院議員の任期)
第45条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
(参議院議員の任期)
第46条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。
(総選挙、特別会及び緊急集会)
第54条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
(議事の定足数と過半数議決)
第56条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。


 大災害のときに、これでは不備があるのではないかという議論である。

 たとえば、自民党の近藤三津枝衆議院議員は、2011年11月2日、民主党・野田内閣に対し、次のような質問主意書を提出している。

 今回のような大災害(注:東日本大震災)が国政選挙の公示日の直前に発生した場合、「東日本大震災に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律」のような法律を制定することにより、国政選挙の選挙期日を延期するとともに、国会議員の任期を延長することは、日本国憲法に照らして許されるかどうか、政府の見解如何。

 これに対する野田内閣総理大臣の答弁書は、「できないものと考える」とすげないものであった。そこで近藤議員はさらに、同年11月29日、次の再質問主意書を提出した。

一 東日本大震災のような大災害が国政選挙の公示日の直前に発生した場合においても、国政選挙の選挙期日を延期するとともに国会議員の任期を延長することができないならば、大災害の発生という不可抗力によって、被災地では実際上選挙が行われなくなるおそれがある。その場合、被災地の住民にとっては実質上参政権が奪われてしまうことにならないか。また、憲法前文では、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来」するとされているが、これでは、そのような国民主権や、憲法第十四条の法の下の平等という憲法の根本の原理が侵されることにならないか。このようなことになるのは、やむを得ないものと考えるか、政府の見解如何。
二 一に述べたような観点から考えれば、現行憲法の下でも、大災害が発生した場合等の非常時においては、必要最低限の範囲で、国政選挙の選挙期日を延期するとともに国会議員の任期を延長することが必要ではないか。これを踏まえても、法律によってこれらを行うことは許されないか、政府の見解如何。


 野田内閣総理大臣の答弁書は、一に対しては「ご指摘のような場合であっても公職選挙法の下で選挙が執行されることになると考えている」、二に対してはやはり「できないものと考える」、であった。野田さんは、するりとドジョウにように身をかわしたつもりだったのだろう。

 このような瑣末な問題を議論することにどれだけの意味があるかと疑問に思われる方も多いだろう。私もそう思う。国会議員の任期と身分に関して言えば、衆議院解散権の所在に関わる問題の方がずっと重要であった。

 憲法第7条第3号に、天皇の国事行為の一つとして、「衆議院を解散」が掲げられている。天皇の国事行為は、形式的、儀礼的行為であるし、天皇は国政に関する権限を有しないとされている(第4条第1項)。だから天皇に真実の解散決定権があるわけではない。ありていにいえば「名ばかり解散」である。
 内閣は、この「名ばかり解散」について、「助言と承認」という形で関与することになっている(第3条、第7条柱書き)。このことを根拠として、内閣の代表者である内閣総理大臣が、真実の衆議院解散権を持っているのだという憲法解釈がまかり通っている。これは、無から有が生じるというまるで手品みたいな不思議な解釈である。
 憲法第69条には、衆議院で不信任案が可決された場合又は信任案が否決された場合、内閣は衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならないと定められている。解散がされる場合は、憲法上、これ以外には規定されていない。そうすると、この場合以外には解散は認められないと考えるのがまっとうな解釈ではないか。
 伝家の宝刀ともてはやされて内閣総理大臣が、自己の権力基盤を固めたり、与党有利な情勢を斟酌したりして解散権を行使することが、どれだけ議会制民主主義を損なっているか。このような解釈を問題にしないで、国会議員の任期や選挙に関して、大災害時の特例をもうけるべきだという議論は何と瑣末なことか。

 だが近藤議員の質問に根本的な誤りがあるので、次回、私も蚤取り眼になってこの瑣末な議論に分け入ってみることにしようと思う。
(続く)
プロフィール

深草 徹

Author:深草 徹
1977年4月、弁護士登録。2013年4月、セミリタイア。
「これからも、社会正義の話を、青臭く、続けよう。」

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